塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

祝世界遺産登録:韮山反射炉

2015年07月23日 | 旅行
  
 「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されてからはや2週間。その決定過程のゴタゴタについて記事にしたりもしましたが、まずはそれぞれの地元が潤ってくれれば、それに越したことはありません。

 複合遺産として登録されたうちの1つ、韮山反射炉には、偶然ながら6年前に一度訪れています。当時は観光客もまばらで、きれいな写真が撮り放題でした。一度しか行っていないくせに偉そうな感じで恐縮ですが、私は韮山反射炉のベストシーズンは春だと確信しています。

 というのも、反射炉の周囲には立派な桜の木が巡らされており、朴訥な骨組みと煉瓦の炉塔によく映えるのです。「一度は」行ってみたいとお考えの方には、タイムリーな今夏ではなく、来春の訪豆をお勧めします。河津桜に代表されるように、伊豆の春は早く訪れるので、3月中旬から4月上旬まであたりが狙い目でしょう。私が訪れたのは4月の頭でした。

 以下、当時の写真より。

 

 

 

 韮山周辺は、古くから伊豆国の中心地だったので、歴史的な痕跡はかなり集中しています(北条早雲の居城韮山城址や源頼朝が配流された蛭ヶ小島、頼朝の妻北条政子の実家北条氏館跡など)。ただ、これらの旧跡は一般的な観光地として見て面白いかというと難しいところです。そのなかで、反射炉に次いで名所として整備されているのが、江川邸です。江川邸は、江戸時代に伊豆・相模・武蔵・甲斐・駿河の5ヶ国の幕府直轄地を代々治めた韮山代官江川家の邸宅です。韮山反射炉建設を幕府に具申した江川英龍もここに住んでいました。

 こちらにも桜の古木がいくつもあり、よく手入れされた古い建物に合います。母屋の表玄関は、かつて大河ドラマ「篤姫」に使用されたそうで、ひそかな自慢となっているようです。

 

 メジャー嫌いの私は当分再訪することはないと思いますが、これから行かれることを検討中の方々に、多少なりとも参考になればと願うところです。

  



新国立競技場建設問題雑感

2015年07月20日 | 社会考
  
 建築家ザハ・ハディド氏のデザインによる新国立競技場の建設予算が2520億円にまで膨らんでいる問題で、安倍首相が計画を白紙に戻すことを表明した。安倍首相の腹の内を読むことは至極簡単で、建築コストや財源に疑問をもったからではないだろう。安保法案の現状での採決に国民の過半数が納得していないなか、新国立競技場の現行案での着工に反対する声は9割前後ともいわれる。すなわち、安保法案には賛成でもザハ案の競技場建設には反対という有権者が相当数いることになる。ただでさえ法案強行採決によって国民の反発を買っているうえに、残った味方にも疑念を抱かれるようなことはどうしても避けたいという、保身と打算による決定であることは想像に難くない。したがって、問題の本質がどこにあるのか理解しておられるかどうかは、かなり怪しいところだ。

 もちろん、今回の騒動で問題視されたのは当初予算の2倍弱、過去数回のオリンピックメインスタジアムの平均の5倍弱という膨大な建設費である。ただ、なぜそうなってしまったのかと考えた時に、重要な論点は2つあるだろうと思われる。ひとつは、すでに方々で言われていることだが、責任の所在が曖昧に過ぎるということ。もうひとつは、デザインを選定するにあたってのコンセプトが明確でないという点だ。

 一般的には、五輪組織委員長を務める森喜朗元首相の責任を問う論調が強いように思う。たしかに、五輪のメインスタジアムについて五輪委員長に責任がないわけはないし、実際に安倍氏の所属する細田派の元派閥会長でもあった森氏の存在が、建設見直しを躊躇させる大きな要因となったことは否めないだろう。しかし、「建設費がなぜここまで増大したのか」というテーゼにおいては、森氏の果たした役割はそれほど大きくないのではないかと考えている。

 森氏としては、「新しい競技場を俺が作った」「オリンピックを俺が主導した」と自慢できればそれでいいわけで、その建設費がいくらであろうが、そのデザインが生ガキに似てようがホタテに似てようが、はじめからほとんど関心の外にあるように感じられる。だからこそ、見直しが決定された途端に手のひらを返して旧案をこきおろすことができるのだ。

 したがって、とりあえず「なぜ建設費がかさんでしまったのか」という点においては、ザハ案の選定に強く関与し、かつその実現に拘った人物の責任がもっとも大きかろうと思われる。すなわち、新国立競技場デザインの審査委員長を務めた建築家の安藤忠雄氏である。

 この問題が持ちあがったとき、ザハ案の選定プロセスについては知らなかったのだが、安藤氏が審査の責任者であると聞いて妙に納得してしまった。私は建築については専門ではないが、このデザインを強く推したのは安藤氏なのだろうなというのは、容易に想像がつく。

 私のなかの安藤氏のイメージは、拝金ならぬ物質崇拝、それも無機物の塊を愛する建築家といったところだ。京都三条の町屋や表参道の同潤会アパートといった歴史も温かみもある建物を冷たいコンクリート塊へと一変させたり、東京有数の乗換駅を迷宮に作り替えて利用者を困らせたりと、質量にこだわるあまり実用性や環境への配慮がすっかりなおざりとなっているように感じる。

 安藤氏の物質重視のデザインは、経済が復興期から高度成長期へと移り、人々がモノの豊かさを実感したいと思うようになった70年代から80年代くらいまでは、世の中の需要とぴったりマッチしていたのだろう。だが、豊かさの指標が量から質へと変わった今日においては、安藤氏のようなベクトルは、すでに過去のものとなっているように感じている。たとえば日本の代表的なハコモノ建築である学校施設においても、近年では木材を多用したデザインが好まれるようになってきている。ただ斬新で耳目を集めるというだけではなく、自然や歴史、町の特色といった、その土地の環境をいかに上手に利用するかという点が、現代の建築においては重要となっているといえる。そのような建築の例として、当ブログでは過去に福岡市のアクロス福岡を取り上げた。

 物質主義の安藤氏だからこそ、キールアーチなどという実用性のない巨大構造物に魅かれたのだろう。その考案者であるザハ・ハディド氏についても、先進的な建築家とする向きが強いようだが、私にはとてもそうは思えない。報道で耳にしたところでは、ザハ氏のデザインはかつての建築技術では実現が困難とされ、建てられない建物を発案するということから「アンビルトの女王」と渾名されたという。そして、時代が進むにつれて彼女のデザインがいよいよ建築可能となったことから、時代が彼女に追いついたと喧伝されるようになった。

 だが、建築技術がザハ氏のデザインに追いついたことは、必ずしも彼女のアイデアが時代の先を行っていたことを示すものではない。ザハ氏の作品をざっと見てみても、奇抜ではあるが目新しいものには感じられない。というのも、私からみればどれもこれも、70年代・80年代のマンガやアニメーションに出てくる近未来や異星人の町の建物によく似ているのだ。たしか、ドラえもんに出てくる21世紀や22世紀の風景には、ザハ作品のような建築物が建ち並んでいたような気がする。

 話がデザインそのものの批判へと逸れてしまったが、要は安藤氏を審査委員長に据えた時点で、建設費が高騰しかねないデザインが選ばれることは覚悟していなければならなかったはずなのだ。安藤氏は、「デザインは選んだが、建築費については関知しない」といった趣旨の発言をしているようだが、これはとんでもないことだ。1300億円という予算が提示されていながら、その枠内に収まるかどうかを判断する気もない人物が選考の責任者となっているとは驚きである。安藤氏には猛省を求めたいが、同氏を審査委員長に選んだ人物も同じく大きな責任を負っているといえよう。

 さて、ザハ案は白紙撤回となり、新たなデザインが選定されることが決まったわけだが、その際に重要となるのが、2つ目の論点として挙げたコンセプトの問題である。ザハ案が選ばれた際に統一された選考基準があったのかどうかは知らないが、もしあったとして、森氏と安藤氏が責任者ということであれば「大きくて立派で、奇抜で重いもの」といったところだろうか。

 この安藤―森路線で失敗して白紙撤回となったのだから、次なる選考のコンセプトはこれと異なるものでなければならない。そして、それに拠って選ぶという確固たる基準がなければ、結局は同じ混乱を繰り返すことになりかねない。菅官房長官は、新デザインに求める予算について明言せず、「安ければ安いほどいい」と発言したが、これはこれで、コンセプトとしては良いのではないかと思う。すなわち、「できるだけ安価で、なおかつこれこれこういうもの」とあらかじめ基準を明示しておけば、応募する側も後々で文句を付けられるようなおそれはなくなるし、選考する側も個人の選り好みを差し挟む余地はなくなるのだ。間に合わせることと面子を守ること、および責任を回避することに神経が集中してしまっている関係者各位に、腰を据えてコンセプトを定めることができるかどうかかなり心配ではあるが、最低でも「安ければ安いほど」という菅氏の発言は堅持してもらいたいところである。

 最後に余談であるが、建築に限らずデザインとはいったい何なのだろうか。予算を気にしなくて良いなら、実用性を無視して構わないなら、実現可能性を考慮しなくて良いなら、周辺環境に配慮する必要がないなら、奇抜なデザインなどいくらでもできる。だが、費用を負担する人がいて、実際に使う人がいて、設計する人建てる人がいて、周辺で生活する人がいる。これらとの折り合いを考えていないアイデアが、そもそもデザインといえるのだろうか。私は、これらの実の面とのバランスがしっかり担保されてはじめて、「デザイン」としての価値が生まれるものだと考えている。


  



日韓世界遺産登録問題雑感:ルーズ・ルーズの妥結

2015年07月13日 | 政治
  
 7月5日、ユネスコ(UNESCO)の世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決定された。まずは祝意を表したいところだが、今回の登録劇に関しては、祝賀ムードよりも妨害工作に奔走する韓国に対する厭戦気分の方が勝ってしまっている。これまでの日本の文化遺産登録に際しても、首をかしげたくなるような事案はいくつもあった(当ブログでも何度か取り上げた)。しかし、それらはすべて、あくまで日本国あるいは各種自治体がそれぞれ対処すべき問題であり、大いに論じる余地があった。他方で今回は、他国による妨害という国際問題であり、解決の糸口を探るのは容易ではない。

 おそらくいくつか選択肢があったであろう世界遺産委員会の場で、日本の外務省筋がとった手法について、すでに方々から異論が噴出している。これに対し当の外務省の反応は、とにもかくにも登録決定にこぎつけたことで、ほっと一息ついたといった感じにみえる。ともすれば、日韓で「WIN-WIN」の妥結(どちらもが利益を獲得できている)にもちこめたと胸を張っているようにさえ、個人的には感じられる。

 だが、私の今のところの感想としては、WIN-WINどころかどちらもが損しかしていない「LOSE-LOSE」に陥っているようにみえる。つまり、日韓双方にとって百害あって一利なしの結末に終わったドタバタ劇のように映るのだ。

 それぞれの「LOSE」について、まずは韓国側についてみてみたい。

 委員会での決定後、韓国では「勝利」を謳う見出しで各メディアとも賑わっているという。たしかに、日本に苦虫を噛み潰させ、国際的な場で戦時徴用について「forced(強制された)」という語句を引き出せたのだから、彼らにしてみれば何とも小気味よいだろう。だが、当の産業遺産はしっかり登録されてしまっており、肝心の「妨害」は不成功に終わっている。

 強制徴用を世界に訴えて賠償や公式謝罪を得たいという思惑もあるのだろうが、そもそもこれは二国間の問題であり、他国が分け入っても一文の得にもならない。したがって、国際社会が真剣に介入しようという気運が生まれる可能性は、ほとんどないだろう。悲しいことだが、太平洋戦争終結まで一度も完全な独立国であったことのない韓国(朝鮮半島)には、どうもこのあたりがまだ分からないようだ。

 逆に、本来二国間で解決すべき課題で、あらかじめ「政治の場にすべきでない」というコンセンサスのできている国際的な場を紛糾させたことは、おそらく各国外交筋の心証をかなり損ねたのではないだろうか。すなわち、韓国という国は外交上の常識や慣例よりも自分たちの主張(それも他国には無関係の)を優先する、という印象を植え付けてしまったように感じられる。

 当事者の日本においてはいわずもがな、反韓・厭韓感情が著しく高まったことだろう。それ以上に、「韓国は合意を守らない」という意識を実務レベルにまで広く浸透させてしまったことは、今後の日韓間のあらゆる合意形成に影響を及ぼすものと思われる。

総じてみれば、「とっちめてやった」という気分を味わうことはできただろうが、実利としては何も得られていない。実を捨てて名をとったわけで、外交の面からみれば労力の無駄としかいいようがない。

 一方国内政治の面からみれば、これまで国内外含めて失態続きだった朴槿恵政権の初めての白星として、しばらくは支持率上昇につながるかもしれない。だが、経済や社会など他の面でまったく功績を残せていない以上、韓国民の目が再びそちらの失点に向くまでにそう時間はかからないだろうと思う。本来ならMERSの感染拡大に関して方々に頭を下げて回らなければならない尹炳世外相を、登録妨害の為だけにわざわざヨーロッパ歴訪させるほどに力を入れたわりには、まったく限定的な対症療法にしかなっていない。囲碁にたとえるなら、8石使って1目しか作れていないうえに、周囲を囲まれつつあって生きられるかどうかわからないといった状況にみえる。

 さて、今度は日本側のルーズについてみてみよう。

 日本にとってまず重要なことは、遺産登録が保留されるという決定的な「敗北」となる可能性が、ほとんどなかったということだ。私は世界遺産についてそこまで高い関心をもっていないので、その決定過程について詳しくはないのだが、委員会の勧告にまで至った案件が不登録となることはまずないと聞いている。議長国のドイツが和解を促していた(つまり穏便に登録の運びとなることを望んでいた)のだから、たとえ投票となったとしても、二国間の問題を理由に反対票が多数を占めることはなかっただろう。韓国が遺産登録を「人質」に交渉したという論調がしばしばみられるが、はじめからその人質に縄はかかっていなかったはずだ。

 したがって、わざわざ「forced」などという文言をお互いに口にするような妥協をする必要がそもそもあったのか、大いに疑問といえる。不必要な譲歩によって、相手方に「勝利」と喧伝される材料を与えたのだとすれば、まずそれは相対的な「敗北」といえる。

 ただし、これは名の面でのルーズであって、実の面では今のところ大した問題ではない。だが、これが後々、今年中には開かれるであろう日韓首脳会談には確実に影響してくるだろう。今までの文脈では、この会談は外交上の得点のない朴政権が国内の突き上げに晒されて仕方なく行うもので、朴槿恵大統領はそこで雪解けムードを演出せざるを得ないはずであった。ところが、今回の件で一時的にせよ韓国の「勝利」が謳われることで、朴大統領には胸を張って(もちろんそこにも実はないのだが)会談に臨む余地ができた。これによって、ただでさえ困難な韓国との種々の交渉が、ますます暗礁に乗り上げることは間違いない。

 ここまでは日韓間の問題であり、「何を今さら」と思われる方も少なくないと思う。しかし、日本側のルーズは、韓国同様国際的な舞台にも及んでいると私は考えている。第三者(第三国)からみれば、今回の騒動においてはまず韓国の駄々っ子ぶりが目に付いたことだろうとは思う。だが他方で、日本についても、自分が当事者でありながら二国間の問題を国際的な場(それも非政治的な)に持ち込まれ、なかなか和解に至らないばかりか決定後までゴタゴタを収拾できないでいる国とみられている可能性がある。我々日本人からすれば、「ちょっかい出してきたのは向こうだろう」といいたくなるところだが、無関係な国々からすればどちらも「ゴタゴタの当事者」という括りに入ってしまいかねないのだ。今回の件で日本が「ゴタゴタの収拾の下手な国」と認識されてしまうと、今後さまざまな国際的な場において、発言力を低下させてしまうことになりかねないように案じられる。

 ここまで、双方の「LOSE」にあたると思われる点を挙げ連ねてみた。相手の欠点だけ挙げて、「アイツは悪い奴だ」とこき下ろすのは飲み屋の会話の常套手段だが、議論の話法としてはあまりに拙い。だが、私には今回の妥結によって日韓それぞれが得られる「WIN」があるようには、どうにも思えないのだ。

 唯一今回の一件で利益に浴することができたと思われるのは、登録された世界遺産の地元住民だろう(それに越したことはないのだが)。お金をかけずにすでにあるもので地元が潤うのであれば、少なくともオリンピックよりはマシなイベントということになるのだろうか。日韓関係改善の機運はまた雲の彼方へ遠ざかってしまったが、日本の地方経済の活性化につながってくれればと期待するばかりだ。

 最後に余談だが、日本の「明治日本の産業革命遺産」と並んで、日本の支持を当初の交換条件として取り付ける形で韓国の「百済歴史地区群」が世界遺産に登録された。百済といえば日本との関わりが深く、新羅に対抗するために倭国(日本)に人質まで送って援軍を要請し、滅んだ後は多くの王族貴族が倭国へ逃れたという歴史をもっているはず。片方で日本憎しで遺産登録に反対しておきながら、足下では日本の影響下にあった自国王朝の遺跡の遺産登録を慶ぶ。この国のもつ不思議な二面性を見るような気がするのは、私だけだろうか。


  



近年の天気予報についての愚痴。

2015年07月10日 | 徒然
  
 今日の東京は雲ひとつない快晴でした。たしか火曜あたりまでの予報では今週いっぱい雨か曇りだったはず…。台風の動きが不確かという面もあるのかもしれませんが、ここ2~3年くらい天気予報の外れ方がひどいような気がします。

 そんななか、今週から気象衛星ひまわり8号の運用が開始されたとか。その性能については各種メディアで盛んに報じられていますが、ただ単に「キレイな画像が撮れるようになりましたね~」で終わってもらっては困ります。また、何らかの異常気象が起きた後で、「ひまわり8号のおかげで詳しく説明できるようになりました」でも困ります。

 とにもかくにも、予報を当ててもらわなくてはなりません。せっかく高い機材を打ち上げたのですから、予報の精度も上がらなければ意味がありません。天気予報ビジネスについては、かなり緩和が進んでおり、各予報機関の間でこれからますます競争が強まるのでしょうから、そのなかで差別化と淘汰が図られれば良いのかなと思います。

 さてはて、どんよりするかと思っていたら意外と行楽日和になりそうな今週末。どのように過ごしたものか、にわか雨のように降って湧いた課題です。