7月5日、ユネスコ(UNESCO)の世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決定された。まずは祝意を表したいところだが、今回の登録劇に関しては、祝賀ムードよりも妨害工作に奔走する韓国に対する厭戦気分の方が勝ってしまっている。これまでの日本の文化遺産登録に際しても、首をかしげたくなるような事案はいくつもあった(当ブログでも何度か取り上げた)。しかし、それらはすべて、あくまで日本国あるいは各種自治体がそれぞれ対処すべき問題であり、大いに論じる余地があった。他方で今回は、他国による妨害という国際問題であり、解決の糸口を探るのは容易ではない。
おそらくいくつか選択肢があったであろう世界遺産委員会の場で、日本の外務省筋がとった手法について、すでに方々から異論が噴出している。これに対し当の外務省の反応は、とにもかくにも登録決定にこぎつけたことで、ほっと一息ついたといった感じにみえる。ともすれば、日韓で「WIN-WIN」の妥結(どちらもが利益を獲得できている)にもちこめたと胸を張っているようにさえ、個人的には感じられる。
だが、私の今のところの感想としては、WIN-WINどころかどちらもが損しかしていない「LOSE-LOSE」に陥っているようにみえる。つまり、日韓双方にとって百害あって一利なしの結末に終わったドタバタ劇のように映るのだ。
それぞれの「LOSE」について、まずは韓国側についてみてみたい。
委員会での決定後、韓国では「勝利」を謳う見出しで各メディアとも賑わっているという。たしかに、日本に苦虫を噛み潰させ、国際的な場で戦時徴用について「forced(強制された)」という語句を引き出せたのだから、彼らにしてみれば何とも小気味よいだろう。だが、当の産業遺産はしっかり登録されてしまっており、肝心の「妨害」は不成功に終わっている。
強制徴用を世界に訴えて賠償や公式謝罪を得たいという思惑もあるのだろうが、そもそもこれは二国間の問題であり、他国が分け入っても一文の得にもならない。したがって、国際社会が真剣に介入しようという気運が生まれる可能性は、ほとんどないだろう。悲しいことだが、太平洋戦争終結まで一度も完全な独立国であったことのない韓国(朝鮮半島)には、どうもこのあたりがまだ分からないようだ。
逆に、本来二国間で解決すべき課題で、あらかじめ「政治の場にすべきでない」というコンセンサスのできている国際的な場を紛糾させたことは、おそらく各国外交筋の心証をかなり損ねたのではないだろうか。すなわち、韓国という国は外交上の常識や慣例よりも自分たちの主張(それも他国には無関係の)を優先する、という印象を植え付けてしまったように感じられる。
当事者の日本においてはいわずもがな、反韓・厭韓感情が著しく高まったことだろう。それ以上に、「韓国は合意を守らない」という意識を実務レベルにまで広く浸透させてしまったことは、今後の日韓間のあらゆる合意形成に影響を及ぼすものと思われる。
総じてみれば、「とっちめてやった」という気分を味わうことはできただろうが、実利としては何も得られていない。実を捨てて名をとったわけで、外交の面からみれば労力の無駄としかいいようがない。
一方国内政治の面からみれば、これまで国内外含めて失態続きだった朴槿恵政権の初めての白星として、しばらくは支持率上昇につながるかもしれない。だが、経済や社会など他の面でまったく功績を残せていない以上、韓国民の目が再びそちらの失点に向くまでにそう時間はかからないだろうと思う。本来ならMERSの感染拡大に関して方々に頭を下げて回らなければならない尹炳世外相を、登録妨害の為だけにわざわざヨーロッパ歴訪させるほどに力を入れたわりには、まったく限定的な対症療法にしかなっていない。囲碁にたとえるなら、8石使って1目しか作れていないうえに、周囲を囲まれつつあって生きられるかどうかわからないといった状況にみえる。
さて、今度は日本側のルーズについてみてみよう。
日本にとってまず重要なことは、遺産登録が保留されるという決定的な「敗北」となる可能性が、ほとんどなかったということだ。私は世界遺産についてそこまで高い関心をもっていないので、その決定過程について詳しくはないのだが、委員会の勧告にまで至った案件が不登録となることはまずないと聞いている。議長国のドイツが和解を促していた(つまり穏便に登録の運びとなることを望んでいた)のだから、たとえ投票となったとしても、二国間の問題を理由に反対票が多数を占めることはなかっただろう。韓国が遺産登録を「人質」に交渉したという論調がしばしばみられるが、はじめからその人質に縄はかかっていなかったはずだ。
したがって、わざわざ「forced」などという文言をお互いに口にするような妥協をする必要がそもそもあったのか、大いに疑問といえる。不必要な譲歩によって、相手方に「勝利」と喧伝される材料を与えたのだとすれば、まずそれは相対的な「敗北」といえる。
ただし、これは名の面でのルーズであって、実の面では今のところ大した問題ではない。だが、これが後々、今年中には開かれるであろう日韓首脳会談には確実に影響してくるだろう。今までの文脈では、この会談は外交上の得点のない朴政権が国内の突き上げに晒されて仕方なく行うもので、朴槿恵大統領はそこで雪解けムードを演出せざるを得ないはずであった。ところが、今回の件で一時的にせよ韓国の「勝利」が謳われることで、朴大統領には胸を張って(もちろんそこにも実はないのだが)会談に臨む余地ができた。これによって、ただでさえ困難な韓国との種々の交渉が、ますます暗礁に乗り上げることは間違いない。
ここまでは日韓間の問題であり、「何を今さら」と思われる方も少なくないと思う。しかし、日本側のルーズは、韓国同様国際的な舞台にも及んでいると私は考えている。第三者(第三国)からみれば、今回の騒動においてはまず韓国の駄々っ子ぶりが目に付いたことだろうとは思う。だが他方で、日本についても、自分が当事者でありながら二国間の問題を国際的な場(それも非政治的な)に持ち込まれ、なかなか和解に至らないばかりか決定後までゴタゴタを収拾できないでいる国とみられている可能性がある。我々日本人からすれば、「ちょっかい出してきたのは向こうだろう」といいたくなるところだが、無関係な国々からすればどちらも「ゴタゴタの当事者」という括りに入ってしまいかねないのだ。今回の件で日本が「ゴタゴタの収拾の下手な国」と認識されてしまうと、今後さまざまな国際的な場において、発言力を低下させてしまうことになりかねないように案じられる。
ここまで、双方の「LOSE」にあたると思われる点を挙げ連ねてみた。相手の欠点だけ挙げて、「アイツは悪い奴だ」とこき下ろすのは飲み屋の会話の常套手段だが、議論の話法としてはあまりに拙い。だが、私には今回の妥結によって日韓それぞれが得られる「WIN」があるようには、どうにも思えないのだ。
唯一今回の一件で利益に浴することができたと思われるのは、登録された世界遺産の地元住民だろう(それに越したことはないのだが)。お金をかけずにすでにあるもので地元が潤うのであれば、少なくともオリンピックよりはマシなイベントということになるのだろうか。日韓関係改善の機運はまた雲の彼方へ遠ざかってしまったが、日本の地方経済の活性化につながってくれればと期待するばかりだ。
最後に余談だが、日本の「明治日本の産業革命遺産」と並んで、日本の支持を当初の交換条件として取り付ける形で韓国の「百済歴史地区群」が世界遺産に登録された。百済といえば日本との関わりが深く、新羅に対抗するために倭国(日本)に人質まで送って援軍を要請し、滅んだ後は多くの王族貴族が倭国へ逃れたという歴史をもっているはず。片方で日本憎しで遺産登録に反対しておきながら、足下では日本の影響下にあった自国王朝の遺跡の遺産登録を慶ぶ。この国のもつ不思議な二面性を見るような気がするのは、私だけだろうか。