塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

道路信号改善提言

2016年03月28日 | 社会考
  
日曜のお昼、久しぶりに会った家族との外食で出かけると、片側一車線の幹線道路は大いに混雑していました。信号1つごとにのろのろ進んでは止まり、平日の日中の3倍以上の時間はかかったでしょうか。渋滞に巻き込まれて、気持ち良いなどということはありません。

高速道路などでは、渋滞の主な原因は登り坂やトンネルの出入り口での速度低下にあるといわれています。対して一般道の場合は、信号での混雑が一番の要因となっているように感じます。道路の信号の問題というと、2月17日に起きた町田市での小学生ひき逃げ事件を受けて、車両と歩行者の交錯を避ける歩車分離式信号機の普及を求める声が強まっていると聞きます。一般道における信号付き交差点は、渋滞だけでなく交通事故の温床ともなっているといえます。

全ての信号にカメラやセンサーを設置し、モニターやコンピューターで車の流れを監視して交通整理のごとく適宜赤青を切り替えられるようにできれば、それに越したことはないでしょう。実際に、ごく一部の信号では手動による切り替えが行われていると聞きますが、すべての信号となると、コスト的にほぼ不可能です。将来的にはセンサー搭載の信号機が普及していくことになるような気はするのですが、そうなったとしても数十年は先の話でしょう。

しかし、急速に少子高齢化が進む今日、安全対策の強化は喫緊の課題ですし、渋滞の緩和も経済などの観点から非常に重要です。そのようななか、現下の状況で比較的短時間でできる改善策として、3点ほど個人的に考えていることがあります。

1つ目は、渋滞の起きやすい、交通量の多い信号の1回ごとの切り替わりまでの時間を長くすることです。言い換えれば、頻繁に信号が変わらないようにするということです。歩行者も車も、青信号が点滅したり黄色に変わったりすれば、自然と慌てて交差点に飛び込んでしまうものです。これは当然事故の危険性に繋がるだけでなく、信号が切り替わった後も交差点内に人や車が留まってしまうため、青に変わった側の車両が発進できず、混雑や渋滞を誘発することにもなります。横断・縦断とも青でいる時間が長いほど、青点滅や黄色の回数が減り、それはすなわち危険な交差点進入が行われ得る時間が少なくなることを意味します。

また、自動車は一般的に加速が遅い乗り物です。とくに止まっている状態からの発進に時間がかかるので、信号が青に変わってから交差点を渡りきるまでのタイムは、自転車や人が走って渡るのと同じくらいか、むしろ後者の方が早いくらいになります。つまり、信号が変わってから通常の車の流れになるまでには結構な時間量が浪費され、それは交通の回転という点からみれば死んだ時間となります。この場合もやはり、双方向の青の継続時間を長くすることで、切り替わりの回数を減らし、死んだ時間を削減することができるはずです。

2つ目は、幹線道路の信号はなるべく同時一斉に変わるようにするというものです。すなわち、幹線道路の信号では目の前の信号もその先の信号もそのまた先も、一定の距離にわたって同時一斉に赤に変わり、同時一斉に青になるようにします。ドライバーの方にもそれが周知されていれば、黄信号を突っ走ったところで次で赤に引っかかるのだから、無理せずここで止まっておこうという心理がはたらくものと考えられます。

名古屋では反対に、ちょこちょこ赤に引っかかるように大通りの信号を設定したという話を数年前に聞いたのですが、これではむしろ逆効果です。「ここを無理してでも通過すれば、次はずっと青かもしれない」という予感がはたらくことにより、危険な交差点進入が増加する可能性の方が高くなると思われます(今も続いているのかは不明ですが)。要は、先々の予想が立たないから無茶に走るわけで、次に何が待ち受けているか分かっていれば、人はある程度合理的に判断できるはずなのです。

また、幹線道路のそれなりに長い区間で青の時間を共有できれば、ちょっと進んでは止まりの繰り返しという死んだ時間の連続を回避することができ、交通のスムーズな流れにもつながることが期待されます。

3つ目は、信号自体を減らすベクトルをもつということです。逆説的ですが、信号があることによって、人はそれを信用するあまり自分で注意するということを省いてしまいます。たとえば、ひとつ前の記事にあるとおり先月にベトナムへ旅行してきたのですが、バイクがバンバン走る市街地にも、信号機や横断歩道はほとんどありません。それでも意外に事故が起きないのは、どこでも人が横断する可能性があり、人も轢かれたくなければ車やバイクの方だって轢きたくはないということで、お互いに注意し合っているからです。

もちろんベトナムを見習えなどとは言いませんが、大して交通量のないところに信号機を設置することは、かえって事故の危険スポットを増やしているように感じられます。さらにいえば、信号機が増えるとそれを忌み嫌って抜け道を探す人が一定数現れ、そのようなせかせかしたドライバーは、住宅街の細い道を大通りの車には負けまいと走り抜けていくことになります。これもまた、事故の危険性をいたずらに引き上げることにつながるといえます。

ただし、お互いに注意すればというのは、足腰や注意力に問題のない限りの話であって、子供や老人、障碍者などについては当然別途に配慮しなければなりません。そこで、考え方を少し敷衍させて、常時動いている信号を減らすというだけでも、かなりの効果が上がるものと思われます。

具体的に真っ先に思い浮かぶのは、押しボタン式信号です。なぜか日本の押しボタン式信号の大半は、押しても押しても信号が変わらないという不思議な仕様になっていますが、これらをきちんと歩行者優先のプログラムにして普及させれば、十分交通は上手く回るでしょうし、車も人もお互いを視認する時間的余裕が生まれるので、安全性も確保できます。。

もうひとつ私が注目しているのは、感応式信号です。首都圏ではあまり見かけないのでご存じない方も多いかと思いますが、交通量の少ない方の道路の上に感知器を設置し、その下に車が止まると、信号が変わる仕組みになっています。センサーで管理するのと同質とはいえますが、こちらはずっとアナログなので、設置も容易でコストも低く抑えられるはずです。

残念ながら、感応式信号はほぼ地方でしか見かけることがなく、都会で導入するのは恥だ!くらいに思っているのかもしれません。ですが、リアルタイムの交通に則した運用という面でみれば、感応式信号はかなり合理的で実用的な信号機ではないかと考えています。留保としては、当然ながら感応式は車道でしか有用ではないので、用いる時には歩行者側の押しボタンとの合わせ技となるでしょう。

以上に上げた3点は、実際の道路でいきなり実験してみなくても、コンピューターのシミュレーションである程度検証できるはずです。歩車分離式の導入にせよ、あとは担当部署(警察ないし国土交通省ということになるでしょうか)が、どれだけ本気で取り組むかにかかっているといえるでしょう。とくに1つ目と2つ目は、プログラムをいじるだけで新たに何かを建てたり設置したりという類のものではないので、やろうと思えばすぐにでも実行に移せるはずです。私の家の周辺にもサンプルにしていただきたい道路がいくつもあるので、試行錯誤をお願いしたいところです。

  



ベトナム、ハノイ旅行

2016年03月16日 | 旅行
 
先月末の話なのですが、友人とベトナムのハノイへ旅行に行ってきました。向こうに出向しているもう1人の友人を訪ねるという名目で、2泊3日のやや強行軍でした。アジアの首都ということで、別に私のレビューなどなくてもいくらでも行ったことのある人はいると思うのですが、ネタ的に書きやすいし忘れないうちにということで、中継ぎ記事でアップすることにしました。

よくごっちゃになってしまうところですが、南北に細長いベトナムの両端にハノイとホーチミン(サイゴン)の二大都市があり、北の方がハノイです。北とはいっても台湾何かよりは南で、十分暑い地域に属するはずですが、地形のせいか冬場はわりと涼しいらしく、我々が訪れたときには最高気温が20度ほどで湿気もなく、実に快適でした。

入国して最初に戸惑ったのは、通貨です。ベトナムはドンという固有通貨を使っているのですが、1円≒200ドンくらいで、日本円で考えるには200掛けないし200で割らなければならないため、頭がこんがらがります。私は結局最後まで慣れませんでした。現在手元には12万ドンほど余っていますが、日本円に換算すると650円程度です。最高額の紙幣は50万ドン紙幣ですが、これでも円にすればだいたい2500円札ということになります。硬貨は存在しないようで(あるかもしれませんが、ついぞ見ませんでした)、すべての紙幣の肖像画は国父ホー・チ・ミンの同じ絵なので、ホーおじさんの顔はもう一生分見た気がします(笑)。

次に驚いたのは交通事情です。いったいどこから来たのかというほど絶えることなく市内どこででもバイクが走っています。バイクの数がすごいのは台湾などでも同じですが、ベトナムの違うのは、車線や信号がほとんどなく、おそらくそもそも車線という概念がありません。バイクも自動車もバスも、右から左からと自由闊達に追い抜き追い越され、クラクションはほぼ条件反射の習慣となっていて、鳴らされたからといって道を開ける車は一台もありません。大統領府近くの、日本でいうなら外堀通りのような道でも、まるで『北斗の拳』のモヒカン集団の襲撃のようです。



横断歩道も滅多にないので、歩行者はこのなかを横切って渡らなければなりません。友人曰く、大事なのはとにかく立ち止まらないことだそうです。向こうも別に轢きたいわけではないので、切れ目を見つけて堂々と渡っていれば、適当に避けて走ってくれます。クラクションは鳴らされるかもしれませんが、これにたじろいで走り出したりすると、かえって危険です(笑)。こちらは1日と経たずに慣れましたが、逆に日本に帰ってうっかりやったら間違いなく事故死してしまうなと心配になりました。

2日目は世界遺産ハロン湾に行ってきました。だいたいハノイから120kmほど離れたところにある、奇岩険岩の島々が散在する風光明媚なところなのですが、普通は現地の企画会社のツアーに参加してバスで向かいます。ほんの一部だけ高速道路があり、あとはひたすら下道を走って片道4時間かかります。移動時間が現地観光時間の倍ということで、やはり道路のせいか…と思ったのですが、後々考えてみると日本では東京~富士宮間ぐらいの距離なので、それをほぼ下道で4時間なら結構いいタイムなのではないかとも感じます。その分、中途はバスがバスを抜きつ抜かれつのチキンレースになります^^;





ハロン湾ではひっきりなしに出ている木造船での船巡りとなります。途中、ボートに乗り換えて入り江や洞窟を周ったり、鍾乳洞を見学したりできます。



初めは、わざわざツアーに参加して、往復8時間もかけて行くものかとも思いましたが、帰ってきてしまえば、行って良かったと思えるほどには楽しかったです。

他にもいろいろと思うところ、感じるところはありましたが、全体としてとくに嫌な目にあったということや、困ったことなどはありませんでした。ぼったくりに遭うこともなく、しつこく物を売りつけられたりということもなく、穏やかに過ごせました。ただ、ハノイとホーチミンではだいぶ勝手がことなるようなので、あくまでハノイの感想と受け取って下さい。

ベトナムはまだまだ発展途上国ですが、急成長中の勢いのある国でもあります。旧市街を一歩出ればあちこちで建設ラッシュが起きているようです。これから、年を追うごとに便利に観光しやすくなっていくと思いますので、これから日本でももっと注目されていくのではないでしょうか。


おまけの大統領府。
日本では類を見ないほどの超巨大近代建造物w



  



東日本大震災から5年

2016年03月12日 | 東日本大震災
 
震災から5年が経ちました。私の生活の周辺では、震災の爪痕はどんどん薄くなってきました。あの当時の自分を振り返り、落ち着いて評価する余裕さえ出てきています。

しかし現実には、5年をもってなお仮設住宅暮らしを余儀なくされている被災者の方々が、またまだ多くいらっしゃいます。東北の大都市仙台ですら、入居者はだいぶ減ったとはいえ、街中に建設された仮設住宅を新幹線から見ることができます。

安倍首相は今年を復興元年と位置づけるそうですが、今までの5年はいったい何だったというのでしょうか。そして、今後5年を復興に充てるということですが、一分一秒でも早く生活を再建したい被災地域の人たちに対して、あと5年、都合10年待てとはどういうことでしょうか。

4年半後には東京オリンピックが控えています。5年という設定期間の裏には、復興が完了したと五輪の舞台で東北をお披露目したいという思惑が透けて見えます。つまり、首相にとっては五輪がメインであり、震災復興は手段に過ぎないということなのでしょうか。アベノミクスの効果が議論の的となっている昨今、インフレへ邁進しているのは首相の「決意」や「~元年」などのスローガンばかりで、実質の進展しない日々が続いています。

震災が記憶となりつつもあり、進行形でもあり、そんな過渡期ともいえる状況のなか、私個人がどう在るべきか、いま一度じっくり考えてみたいと、そんな風に思っています。

 



民維合同、新党名募集雑感

2016年03月07日 | 徒然
 
今月中の合同を予定している民主党と維新の党が新党名を公募しているそうですね。小生からみれば、とってもとってもどうでもいい話なのですが、意外と(?)世間の関心は小さくないようで、すでに2万ほどの応募があったようです。

自民党(自由党+民主党)のように両方足し合わせてしまえばいいような気もしますが、民主維新党(略して民維党)や維新民主党(略して維民党)では確かに語呂が悪いようにも感じます。

であれば、「維新」の語を同義語に置き換えてみてはどうでしょう。すなわち、民主革命党(民革党)ないし革命民主党(革民党)ではいかがでしょうというのが、私からの提案です。自民党との対決姿勢もはっきり示せて、ばっちり印象にも残ります。

ここで、おや?と思われた方もいるのではないでしょうか。今の維新の党は、解党したみんなの党の片割れである結いの党が前身ですが、もともとの名付け親はおおさか維新の会を設立した橋下徹氏です。橋下氏というと、慰安婦発言に代表されるように、どちらかというと保守的なスタンスというイメージの強い人物です。それなのに、維新の同義語が革命というのでは、まったく逆ということになります。

そもそも「維新」とは、『詩経』の一節「周雖旧邦其命維新(周は旧邦といえども、その命これ新なり)」が初出といわれています。もともとは「これ(維)新なり」と、状態を表す言葉であったものが、明治維新において「これを新たむる」という動詞形として使われ、以来現在に至るまで定着しています。橋下氏の維新の会も、念頭にあるのは明治維新だと思われます。ここで、間違えてはならないことは、明治維新とは革命に他ならないということです。

革命とは旧体制および支配母体の変革であり、徳川幕府を滅ぼして樹立された明治政府は、間違いなく革命の産物です。「明治革命」ではなく「明治維新」と呼ばれるのは、おそらく当時はまだ革命という言葉が一般的でなかったからでしょう。あるいは、やはり漢語である「革命」が、もともとは中国での王朝交代を指す言葉だったので、明治維新前後も一貫して天皇制が続いていた日本にはそぐわないと判断されたのかもしれません(事実、英語でも一応"revolution"という単語は用いられていません)。

いずれにせよ、維新(これをあらたむる)という語が革命(命をあらたむる)と同義であることは疑いのない事実であり、保守派の橋下氏が用いるのには違和感を覚えます。そして皮肉なことに、民主党や庇を借りて母屋を持ってった現維新の党の方が、名付け親よりも「維新」の語を冠するのに相応しいように感じるのです。

とはいえ重ねて言いますが、民主党と維新の党が合同して何党を名乗ろうが、酒のつまみほどにも気にはならないのでした。