塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

今年最後のごあいさつ:光のページェントの写真を添えて。

2011年12月31日 | 徒然
  
 今年最後の更新となります。本年も、皆様にはたいへんお世話になりました。とりわけ今年は東日本大震災があり、私の生活にも少なからず影響がありましたが、皆様のご愛顧をもちましてここまで続けることができました。暗いニュースの多い年でしたが、来年こそはここから復興・希望の年となるよう、心より願っております。来年もどうぞ、当ブログをよろしくお願いします。

 さて、今年最後の記事は、仙台の「光のページェント」の写真で飾ろうと思います。一時は開催も危ぶまれましたが、何とか例年通り12月31日まで、時間を短縮して行われました。これを見に県外からも人出があるわけですから、経済効果もかなり高いと思われます。ただ、今年はいつもより一等寒いように感じられるのが心配です。

 
定禅寺通りと一番町の角


 
定禅寺通り中央の遊歩道より


 
定禅寺通りと晩翠通りの角


 
定禅寺通りと東二番丁の角のイルミネーション


 来年が皆様にとって、さらなる飛躍の年でありますよう。。。

  



橋下徹大阪新市長就任会見雑感

2011年12月20日 | 政治
    
 今年の最後の最後に、10大ニュースも入れ替わる一報が入ってきましたね。北朝鮮の金正日総書記が死去するとは。いや、そう遠くないこととは思っていましたが、意外とあっさりといった感じだったので驚きました。亡くなったことはさておき、今後の北朝鮮政情がどのように推移していくのかが注目されます。

 さて、このニュースと同日の19日(月)、大阪新市長となった橋下徹氏が正式に初登庁し、就任会見を開きました。世間ではやれ橋下節だなんだともてはやしていますが、私はどうしてもこの人が深い考えをもっているようにはみえません。そしてこの見方は、今回の就任会見を通じてより一層強まってしまいました。会見の全文を探してみたのですが見つからず、もしかしたら編集によって本来の意図とは違って捉えてしまっているかもしれません。しかし、断片的に聞く限りでも、肝心の部分で矛盾が生じているように思うのです。

 まず、橋下氏の目玉公約である大阪都構想ですが、あいかわらず構想の内容やメリットがはっきりしません。それに加えて、これまでチラチラ口にしていた道州制について、今回の会見ではっきり国と連携して目指すと言及しました。都構想とは、簡単にいえば、東京23区のように大阪市を廃して、旧市内各区を市町村と同等に引き上げるということなのでしょう。すなわち、都道府県の中のシステムの改変ということになります。

 これに対して道州制とは、都道府県を廃してさらに大きな「州」(北海道のみ「道」)にまとめてしまおうというものです。いうなれば廃藩置県ならぬ廃県置州といったところです。つまり、道州制を導入するというなら、大阪が府であるか都であるかは意味のない議論ということになります。本当に道州制を目指したいのであれば、都構想などというものは余計な道草でしかありません。この矛盾について、橋下氏がどのように考えているのか、今のところ私には分かりません。

 続いてマスコミが大きく取り上げていたのが、生活保護行政に対する一幕です。橋下新市長は、生活保護行政についての質問に対し、「国は無策。僕の言い分を国が聞かないなら政治闘争しかない。」と国への批判をまくしたてました。マスコミはこれを「早くも国へ注文」と肯定的に持ち上げていますが、私からみればただの論点のすり替えとしか思えません。記者がこの部分の質問をするところはテレビでも放映されていたのですが、明らかに「大阪市」が生活保護行政をどうするつもりなのかを尋ねているものでした。大阪市は生活保護受給者数が全国ワースト1であるという事実をふまえれば、これに新市長がどう対処するつもりであるのか質問するのは、ごく当然の流れと思われます。大阪市長の就任会見なのですから、大阪市の政策案を問い質しているはずです。ところが、橋下氏はこれに対し、具体的な政策案は1つも示さず、代わりに国が悪いと放言したわけです。責任転嫁ととられても仕方のない言動といわざるを得ません。約3.5人に1人の得票率という圧倒的な民意のなかには、約18人に1人という大阪市の生活保護受給者(すごい数字ですね…)の民意も少なからず含まれているはずです。こうした民意の前に、就任会見でいきなり国に責任を押し付けるような発言を堂々となさるのは、いかがなものかと思います。

 さらにいえば、橋下氏が唱える道州制や地方分権とは、権限や財源をなるべく地方に移し、地方で出来ることは地方に任せるというもののはずです。現在でも生活保護の自治体負担は4分の1(だったはず)あるので、道州制や地方分権がもし実現すれば、地方負担割合が2分の1以上に引き上げられるか、全額地方持ちになるはずです。ですから、本気で道州制云々と考えているのであれば、国の無策批判も結構ですが、自治体自身の生活保護行政についても同じくらいかそれ以上に厳しい態度で臨まなければならないはずです。ですが、就任会見からはそのような態度やアイデアは残念ながらうかがえませんでした。

 そして最後の点なんですが、これは私には半分笑い話のようにすら思えました。「面従腹背は大歓迎」と言っておきながら、「報復ではないが人事権は僕にある」と続けています。私はこれを聞いて、飲み物を吹き出しそうになりました。このとき、少々マニアックなネタですが、漫画『北斗の拳』で拳王侵攻隊が村を襲うシーンが頭をよぎりました。部隊長は村人に、忠誠の証の焼き印を自分で入れるように要求し、従わない者は焼けた鉄板に放り投げられて殺されます。そして部隊長は村人たちに「私は少しも強制はしない!自らの意思で忠誠を誓うのだ!」「もしいやだと言ったら黒コゲになるまで踊ってもらうがな…」と言い放ちます。どうでもいい例ですが、あまりに言っていることが似通っていたので、取り上げてみました。

 さて、このように、就任会見ひとつとっても現在のところあちこち矛盾だらけなのが橋下氏の改革の実情です。ですが実際のところ、大阪の有権者が橋下氏に期待したのは、とにかく現状の閉塞感の打破に尽きるようです。ただ、民主党の政権交代の原動力がまさにそうだったように、「何でもいいから現状を変えてくれそうな人」というだけの理由で選んだことによる失敗は、これまで日本各地で幾度となく経験してきたはずです。地方行政においては、私が自称型改革派知事と実績型改革派知事と勝手に分類して以前記事にしたことがありますが、鳴り物入りで出てきた人ほど、終わってみれば大した実績は残っていないものです。

 ただ、橋下氏が卓越しているのは、小泉純一郎元首相と同様の劇場に人を引きこむ才覚だと思います。すなわち、筋を徹しきる手腕は十分にもっていらっしゃるのでしょう。ですから、残念なのは筋を徹す力はもっているのに、肝心の筋がまだはっきりしていないという点です。ここは、せっかく圧倒的民意を受けて選出されたわけですから、ぜひまずご自身が何をなさりたいのかはっきり目標を据えて、そこから道順を考えていただきたいと願っています(お前は何様だと言われそうですが)。

 逆に、とても心配なのは、人気さえあればなんにでもなびく民主党の面々です。民主党に限らずいろいろな政党がラブコールを送っているそうですが、政権党が一地方旋風に尻尾を振るというのは、なんとも情けないことです。それどころか、たしか民主党は自民党や共産党と相乗りしてまで維新の会と争っていたように記憶しています。にもかかわらず、維新の会が大勝したとみるや秋波を送りだすとは、節操がないにもほどがあるでしょう。橋下改革の旋風それ自体を私は懐疑的にみていますが、より心配なのは橋下フィーバーでより一層明らかとなった民主党の思考停止状態です。

 ただ待っているだけでは当然何も変わりませんが、閉塞感の打破だけでも前には進みません。確固たる未来への展望をもってこの国を導いてくれるような人は、現れないものでしょうか。将来の政情が不安なのは、北朝鮮だけではないようです。

  



今年の漢字…「絆」!?

2011年12月17日 | 社会考
  
 今月11日で大震災から9か月となり、その翌日には今年の漢字が発表されました。今年の漢字は「絆」だそうで、選考理由をみると、災害や女子ワールドカップなどで絆の大切さを改めて感じた一年であるからだそうです。

 しかし私は、この字が今年を代表する漢字として選ばれることにとても違和感を覚えます。とくに、選考理由にある「国内外で発生した自然災害などにより、家族や友といった身近でかけがえのない人物に対する絆を改めて感じたり」とは、いったいどういうつもりで言っているのだろうと思います。災害により身近でかけがえのない人物を失った人たちに対して「絆を改めて感じましたよね」などと、面と向かって言えるのでしょうか。

 今年は、震災をはじめ、それに伴う放射能問題や紀伊半島の集中豪雨など、第一に災害にさいなまれた一年でした。とくに、三陸沿岸や紀伊半島では、今もなお普通の生活とは程遠い暮らしを送っている被災者が大勢います。来年の見通しすら立たないこうした人たちにとっては、当然ながら今年は「災」であり「震」であり「難」であり「苦」であり「辛」であり、とにかく耐えることばかりの年であったと思います。もちろん、日本全国世界各国からの支援や家族・友人とのつながりを通して、いろいろなことに感謝したり絆を感じたりすることもあったでしょう。しかし、今年一年を振り返って一字で表せといわれれば、被災地には残念ながらネガティブなものしか出てこないと思います。実際、清水寺の和尚が「絆」の理由を滔々と語るのに対して、被災地でのテレビインタビューでは災害関連の字ばかりが聞かれました。

 結局、このようなときにあって「震災とか豪雨とか大変だったけど、「絆」も感じたよね」などといえるのは、災害からは遠く離れて比較的安全なところにいる人間の発想なのだと思います。とくに、今年の漢字を選考する日本漢字能力検定協会本部や字を揮毫する清水寺のある京都は、陸前高田の松の事件の起こった大文字焼きが行われる場所です。あの一件で、被災地の人たちの心は大きく傷つけられたというのに、それを尻目に「絆」とは、私にはとても大きな驚きです。

 このように書くとまた京都の方から大バッシングが来そうですが、あのときと状況が異なるのは、その後京都と同じ近畿圏である紀伊半島でも未曾有の災害が起こっているという点です。西でも東でも、自然災害(原発事故は自然災害とはいいにくいですが)により多大な被害が生じ、今なお復興以前の厳しい状況にあるのに、ちょっと離れて直接の関係のないところでは「絆」の一年と謳ってはばからない。私としては、それ自体が絆を損なう言動のように思います。

 もちろん私も、絆を感じなかった年というわけではありません。陰に陽に東北を支援して下さった方々には大きな感謝の念を抱いていますし、人と人とのつながりも改めて実感しました。しかし、だからといってそれを、今年を代表する字に選ぶべきかどうかというのは別の話だと思います。今年の漢字というのは一応全国からの公募で決まるそうですが、「絆」と送る前に、被災地で苦しんでいる人たちのことを思い浮かべることはできなかったのでしょうか。

 さきほど、公募に対して「一応」と付けたのは、「震」や「災」の字はすでに使われているから省かれたのだという見方もあるのだそうです。今年の漢字は1995年に始まりましたが、第一回の字は阪神・淡路大震災を受けて「震」だったそうです。規模だけからみても、それなら今年の方がよほど「震」の字があてはまりますし、地震以外の災害も含めれば「災」の字がふさわしいように思います。実際には「震」や「災」の方が多かったのに、一度使ったからという理由ではじかれて、わざわざ「絆」の字を使ったというのであれば(勝手な邪推ですが)…日本漢字検定協会に対して憤らざるを得ません。

 今年の漢字。今年は自然災害に限らず、政治に対する不信の増大、その裏返しである橋下旋風、世界的経済危機、食材不信や米中との摩擦など、やはりマイナスの衝撃の多かった年だと思います。絆を強く感じたのは事実ですが、やはりそれを今年の漢字に選ぶことには違和感をぬぐえません。私は公募とやらに応募したことがないのでこれ以上は強くいえませんが、皆様はどのようにお考えでしょうか。


  



浦和にて秋の土用

2011年12月01日 | 徒然
  
 とうとう12月に入ってしまいました。今年も残すところあと1か月ですね。今年はとにかく震災の影響につきる大変な年でしたが、結局毎年のごとく「今年ももう終わりか。早いものだ」とあちこちでぼやいています。

 さて、今日の話題はちょうど1か月ほど前のネタで、ずっと書こう書こうと思っていたんですが時機を逸してしまっていたものです。一応、月が替わりということもあるので、書いても差し支えないタイミングかなと思い、引っ張り出してきました。

 先月の頭に、秋の土用で浦和にウナギを食べに行ってきました。土用の鰻というと、もちろん夏のイメージですが、土用自体は実は年に4回あります。土用とは立春・立夏・立秋・立冬の直前の18日間(17日や19日のこともあるそうですが)を指すもので、いわゆる夏の土用とは立秋の前の土用にあたります。

 平賀源内のキャッチコピーで始まったとかいわれる土用丑の鰻ですが、それ以前に季節の変わり目にスタミナのつくものを食べようという意味合いのイベントなんですから、年に4回やったってバチが当たるものではないでしょう。とまぁ、要は自分に理由をつけて美味しいものを食べようというコトなんですが、先月の3日が秋の土用丑の日ということで、浦和へ足を運びました。

 つい最近知ったのですが、浦和一帯はウナギが有名な土地なのだそうです。単にウナギの獲れる沼地が多かったということもありますが、江戸時代に中山道浦和宿を越えて北に向かうと、山深くなって当分食べられなくなるため、江戸を出発した旅人が多く浦和宿や蕨宿で鰻を食べていったことに由来するのだそうです。

 今回訪ねたのは、JR南浦和駅から歩いて15分くらいのところにある幸楽園という鰻屋さんです。昭和五年創業という老舗で、あとで浦和に詳しい人に聞いたんですが、周辺でも指折りの有名店なのだそうです。

 
あまりいい写真じゃありませんが、幸楽園外観。


 私が今回このお店を選んだのは、鰻云々とは別のところにありました。私のことを知っている人にとってはいつものことで「またか」と嘆かれてしまいますが、幸楽園は領ヶ谷城址という城跡の上に建っています。お店の方でも、城跡の上に建つ鰻屋というのを売りにしているようで、あちこちの看板に領ヶ谷城址と銘打っています。ただ、城跡といっても中世の砦ですから、何が残っているという訳でもなく、そんなに宣伝効果があるようには思えないのですが(笑)。

 唯一関係してくるのは、この城は河岸段丘を利用して築かれたもので、幸楽園も崖に面して建設されています。ですので、お店からの景色は創業当時からのウリなのだそうです。ところが、食後に店の女将さんとお話しする機会があったのですが、近年開発が進み、景色も見えるのは家ばかりでお世辞にも良いとは言えなくなってしまったとのこと。とくに、幸楽園は御座敷の広間席と一般客用の食堂が別棟になっているのですが、食堂の方はもう目の前に住宅が建ってしまっていて残念ながら窓の外には何も見えません。昔は、眼下に谷戸田が広がり、白鷺などが舞い遊ぶのどかな田園風景だったそうです。

 鰻の方は、安くはないですが特別高いという訳でもなく、一般的な鰻屋さんのお値段でした。味もボリュームもしっかりしているので、満足の内容でした。浦和には他にも名店が数多くあるということなので、次の土用にでもまた別の店に行ってみようかと思っています。

 こうして今年から始めてみた年に4度の土用丑ですが、遠く名店を求めて足を運んでみて思ったのは、鰻の名店というものを知っているようであまり知らないんだなぁっちゅうことです。まぁ、そんなに贅沢ができる身分ではないので、当たり前といえば当たり前かもしれませんが、名前だけでも知っているという店も少ないのは自分の勉強不足なのかな、と感じました。仙台の鰻屋なら結構知ってるし行ってるんですけどねww

 ちなみに、次の冬の土用丑の日は1月29日(日)だそうです。