塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

脱冷房のすゝめ

2008年07月27日 | 徒然
    
 昨年に続けて今年も恐ろしいまでの酷暑が早くも始まりました。東北出身で汗っかき体質の自分には特にこたえます。

 しかし更に面倒なことに、熱がりのくせにここ2・3年で完全に冷房病に罹ってしまいました。外ではTシャツ一枚でも数分でびっしょりなのに、電車の中などでは長袖の上掛けが手放せない状態です。店舗や車内の冷房の強さは以前より問題となっていますし、エコブームの今日此の頃ですから何とかして欲しい次第ですが、同時に人々の夏の暮らし方そのものにも最近疑問を感じます。

 屋内では冷房をガンガンに入れたいけれど、家では電気代が気になるのでなるべくデパートや図書館など外の施設で涼しく過ごすという方は多いのではないかと思います。そして、汗一つかかない快適な環境を求める人が多いからこそ、こうした施設は過度の冷房を止められない循環に陥っています。

 しかし、夏なのに全く汗もかかない生活を続けていては、健康にも環境にもはるかに悪影響だといえるでしょう。夏なのだから多少の汗や暑さは当たり前のはずです。そして「暑さを感じない環境」ではなく「暑いけど耐えられる環境」を求める心の余裕があれば、冷房に頼らずとも充分快適に暮らせると思います。

 たとえば我が家は、多摩の山の手にあるためか家の窓々や戸を開けて風通しを良くすれば割と涼しい風が入ってきます。もちろん一歩家の外に出ればむっとした熱気に包まれる訳ですが、こうして家の中にいる分には少なくとも耐えられない暑さではありません。

 汗も多少は滲んできますが、ちょっと我慢してうちわや自然の風に涼を求めれば、夏を心地よく感じることさえできます。夜になれば、風さえ入ればビールの味もまた格別です。

 他にも、ベランダに苦瓜を植えて日陰を作ったり、寝るときも冷房は入れずに枕にアイスノンを仕込んだり、冷蔵庫に冷たいお茶を絶やさないようにして水分で体を冷やしたりと、冷房を使わずに家で過ごす方法を模索しています。

 これで暑がりで汗っかきの上に冷房病の僕が充分暮らしていけるわけですから、一般の人たちならなおのこと問題なくやっていけるはずです。冷房を使わずに済むならそのほうが間違いなく健康的ですし、環境にもやさしく経済的にも大助かりと、一石三鳥です。
 
 温暖化だ酷暑だと声高に叫ばれる今日だからこそ、冷房に頼らず様々な自然の涼に耳を傾ける努力がますます必要ではないでしょうか。
  



乱立簇生するクイズ番組

2008年07月19日 | 社会考
  
 このところ、テレビではクイズ番組がブームなのでしょうか?泡沫番組とでも呼べるほど、新しいクイズ番組が現れては消えていくように感じています。今週は珍しくゴールデンアワーを家で過ごす日が多かったのですが、ふとテレビをつけると、必ずどこかでこの手の番組をやっていたように思います。

 僕自身、高校時代にクイズ研究会なるものに入った経験もありクイズ自体はわりと好きなのですが、最近のこうした一連の番組には少なからず不快感を覚えています。

 というのも、出演している解答者が余りにも無知で、まるでその常識の無さを競っているようにすら思えるからです。クイズの解答者なんて人選の余地はいくらでもあるだろうに、何でわざわざ下のほうから選んでくるのかと呆れてしまいます。他のジャンルで考えれば、たとえば筋肉番付みたいな番組にわざわざアキバ系オタクみたいなのばかりを起用しているようなものです。

 では何故、無知な人材が多く起用され、あまつさえバカを売りにするような輩が現れるのでしょうか。

 単純に需要と供給の面から考えて、視聴者層が自分より下に見られる人を求めているからではないか、というのが僕の考えです。能力主義や普遍主義、個人本位などが定着しつつある現在にあって、人々は自分よりどんどん上に登って行くエリート層を仰ぎ見つつ、自分より下にもまだまだ人がいることを確認して安心したい心理が強く働いているように思います。

 それは、ますます進展する格差社会やグローバル社会にあっては、人が自分の位置を探る中で不可避の視点であるとは思います。ただ、下に見ることのできる個体をわざわざ抽出して何とか安心を得ようというのでは、江戸時代に農民の下にえた・を設けて蔑みの対象とさせたのと同じ論理であり、余りにも低劣な考え方でしょう。

 スポーツ番組などに登場する筋骨隆々の一流アスリート達は、一般視聴者からすれば届かぬ存在であり、仰ぎ見る存在です。かつてのクイズ番組にも、こうしたポジションに近いインテリと呼ばれる人々がいたように思います。それはクイズやそれに類する番組が、もちろんバラエティであると同時に、自らの知識や思考力を高めようとする視聴者のための立派な教養番組であったからでしょう。

 ところが、最近のクイズ番組は完全にバラエティ色に染まっており、扱う問題も、お水のねーちゃんを口説くのにしか使えないような雑学や薀蓄ばかりです。需要と供給が成り立っている以上、今すぐ変えろといって変わるものではないでしょうが、少しでも知識欲と向上心を満足させてくれるような番組へと方向転換されるようになればと願います。

 こうしてみると、僕なんかは何かとマスコミの堕落を批判することが多いのですが、他方で視聴者など受け手の側も拙劣化が進んでおり、結局片方だけ改善しようとするのでは上手くいかない負の連環関係があるように思うのです。

  



ローカル線はいいねぇ。心を潤してくれる。

2008年07月06日 | 旅行
 
 先日地下鉄副都心線に乗りました。電車は昔から好きですが、マニアではないためか特になんとも思いませんでした。感じたことといえば、新宿三丁目が綺麗になって、高島屋や紀伊国屋書店まで繋がったことくらいでしょうか。

 ただ電車つながりで記憶を振り返ってみると、過去にはなかなかマイナーな鉄道に乗ったり見たりしていることに気がつきました。そこで今回は、写真が残っているローカル線についてマイ・コレクションの中から何枚かご紹介しようかと思います(どうやら写真掲載枚数にかなり制限があるようなので)。

1、くりはら田園鉄道(昨年廃線)

2、明知鉄道(恵那~明智)


3、樽見鉄道美江寺駅(大垣~樽見)


4、秋田内陸縦貫鉄道(角館~鷹巣)


5、近江鉄道鳥居本駅(米原~貴生川)にあった、
  どうしても開けてみたいポスト。。


  



コンビニ深夜営業規制所感

2008年07月03日 | 社会考
 
 コンビニの深夜営業に対する規制が自治体レヴェルで俄かに議論され始めましたね。コンビニの24時間営業は僕の歳と同じくらいの歴史があるように思いますが、何で今更?というのが真っ先に出てきた感想でした。

 まあ、おそらくは洞爺湖サミットを控えて一に環境、二に環境と叫んでみたものの、そう簡単に効果的な環境政策を打ち出せない各地方行政団体が、一番センセーショナルでかつ自身には影響のないスケープゴートとしてコンビニに白羽の矢を立てたのだろうとは、容易に想像がつきます。

 ただ僕としては、雨後の竹の子のように増える24時間営業にはある種の規制をかけても良いように思います。ただし、現在検討されているような杓子定規的な一律規制ではなく、また環境対策上の目的に限らず、という意味においてですが。

 たとえば、閑静な住宅街と都市中心部の繁華街、田んぼのど真ん中の市道沿いとトラックの往来激しい幹線沿い、歴史的文化財の立ち並ぶ一角とオフィスビルの立ち並ぶ一角。いずれも後者に比して前者の立地においては、24時間営業の需要は著しく低いように思われます。また、需要や節電・環境の問題だけでなく、治安や生活・景観の維持といった面からもコンビニなどの24時間営業には望まれる土地と望まれざる土地の厳然たる差異があるはずです。

 もっと端的に言えば、京都の祇園白川のようなところに24時間営業のコンビニや牛丼屋などが建っては観光価値を著しく損ねますし、新宿・渋谷のコンビニを10時閉店にするなどニーズを考えれば言語道断といえるでしょう。

 ですから、個人的な意見としては、これを機会に環境だけでなく治安や景観維持の観点から、規制区域をあらかじめ精査・限定した上での規制を、とりあえず検討してはいかがかと思いますね。

 余談ですが、新興住宅地の我が家の最寄り駅周辺は、逆に規制がかかりすぎているのかコンビニがないどころか、駅前に初めてできたスーパーも8時で閉まるため全く使い物にならず困っております。。