塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

高齢者用電動カートの交通事故についての考察

2016年09月21日 | 社会考
 
もう先月のことなのですが、高齢者用のいわゆる電動カートに乗った老人が自動車に追突されて死亡するという事故がありました。死亡した高齢者は道路の中央を走っていたということで、ネットのコメントでは当然ながら被害者が認知症だったのではないかという憶測が大勢を占めていました。

ですが、私はその事実だけでこの高齢者を認知症とみるのは早計と考えています。相応の老人であれば、誰でも電動カートで摩訶不思議なところを走りかねないものだからです。

どんなに「危ないからやめて」と懇願しても聞き入れてもらえないご老人、あなたの周りにもいませんか?私の近親にもいます。人というものは、歳を重ねると長い人生経験を基盤とした裏付けのない自身が高まっていく生き物のようです。さらには、視力や聴力が衰えることによって周囲の具体的な危険が目や耳に入りにくくなります。

結果として、「自分は大丈夫!」という頑固で絶対的な自身が生まれ、周りを顧みることがあまりなくなっていきます。中学生ぐらいのころに「自分は死ぬはずがない」と感じて行動するようになる時期があると聞きますが、まさに思春期のころに逆戻りしてしまうわけです。

そこへスイッチひとつでスイスイ動く電動カーに乗れば、機械に対する信用と安心から、自信はさらに増幅されます。「後ろから自分が轢かれたり追突されたりしてしまうかもしれない」などという推測は、つゆほども頭に上ってはきません。したがって、路側帯から半分はみ出ていようと、信号もない道路を横切ろうと、中央分離帯の上を走っていようとも、本人には危険だという意識は働かなくなってしまうわけです。

都市部の混雑した道路ではほとんど見かけませんが、地方に行くとこちらがヒヤヒヤするようなこういった方々に遭遇します。さすがに道路のど真ん中はまだありませんが、路側帯と道路本線の間をフラフラしながら走行している電動カートには幾度となく出会いました。

電動カートのご老人を見かけたときは、いつどこにハンドルを切るか分からないという気持ちで、常に緊張して運転しています。轢いてしまいたくなければ、残念ながら後方の運転者が気を付けるしかないのです。

この問題は、電動カートのハンドル操作も機械に100%委ねられるようにならない限りは、解決されないでしょう。ドライバーのみなさま、非都市部の道路を走行される際にはくれぐれもご注意ください!