塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

続・八ツ場ダム建設中止問題:前原大臣の視察を踏まえて

2009年09月25日 | 政治
  
 前回、私が八ツ場ダムに沈む予定であった川原湯温泉には度々足を運んでいたことから、この問題に対する地元目線での記事を書きました。それから5日が経ち、この間に前原大臣による現地視察が行われました。こうした動きを踏まえて、メディアでは少しずつ論点の整理がつき始めているように見えますが、一般世論においては今なお問題の所在や理解が十分ではないように思います。

 現在世論は、中止に対して賛否相分かれるといった感じに見受けられますが、賛成・反対それぞれの意見を大まかにまとめてみると、

<賛成>
 ・公共事業はとにかく無駄だから、できるだけ止める
  べき。
 ・マニフェストに盛り込まれていたのだから、個人の
  利害でとやかくいうべきでない。
 ・貴重な自然や観光資源が失われるのはもったいない。

<反対>
 ・中止のほうが、建設するより費用がかかる。
 ・住民の生活再建を考えると建設せざるを得ない。
 ・利水、治水上必要だ。

といったところになるかと思います。

 このなかで、私が一番気になるのは、前原大臣自身も二言目には口にする「マニフェストにあったから」という理由です。私は、この問題に関しては、マニフェストを大義に掲げるのは完全な暴論だと考えています。

 その理由は3つあります。1つ目は、民主党は盛んに「民主党のマニフェストを国民が選んだ」と喧伝していますが、本当にマニフェストの全項目に賛成した上で同党に投票した国民などいるのだろうか、という点です。国民が民主党に政権を委ねたのは、「自民党ではとにかく駄目だから」という諦観ムードの中で、「一度民主党に任せてとにかく新しい風を政治に吹き込もう」と、閉塞状況の打開を漠然と期待したに過ぎません。実際にマニフェストの項目1つ1つについて見てみれば、すでに子供手当てを巡る扶養控除の廃止や学校の無償化などで明らかなように、賛否が分かれる事案が多数あります。更に言えば、今挙げた福祉や教育の問題は選挙期間中から議題に上がっていましたが、八ツ場ダム中止については、おそらくほとんどの人がマニフェストに記載されていることすら知らず、知っていたとしても気にも留めなかったでしょう。こうして問題化するまでは、八ツ場ダムの場所を知っている人さえ一握りだったのではないでしょうか。かくいう私でさえ、マニフェストに建設中止が載っているのは知っていましたが、こうも早く民主党の「やる気あります」パフォーマンスの生け贄にされるとは思ってもいませんでした。

 2つ目は、このマニフェストの作成から今回の実行に至るまで、地元の意見には一切耳を傾けられていないという点です。前回の記事にも書きましたが、民主党は今回の選挙で八ツ場ダム周辺住民の属する選挙区に候補者を立てていませんでした。つまり、マニフェストに対するイエス or ノーを、民主党は最初から問うつもりさえなかったということになります。いくらマニフェストが国民に支持されたといっても、当の地元でその是非を聞いていなかったというのでは、公約として効力を持つとはいえないでしょう。そもそもマニフェスト作成段階においても、私が現地で聞いた限りでは、地元の意見は全く聴取されていません。つまり、民主党のマニフェストは最初から今まで地元を完全無視しているのです。

 3つ目に、八ツ場ダム問題についてはマニフェスト記載を盾に歩み寄りの可能性を否定しているのに対し、他の分野では早くも柔軟な対応を唱え始めていることです。たとえば、高速道路無料化については「全線に適応されるわけではない」と早々に前言を翻していますし、郵政政策や防衛政策についても、分かりきってはいたことですが連立他党との兼ね合いで態度は曖昧なままです。つまり、他の公約についてはごく当たり前な政治的に柔軟な対応を取っているのに、この八ツ場ダム建設中止においてのみ、異様に強硬な姿勢を崩さないのは余りにも不自然です。

 以上の3点から、「マニフェストにあるから」と建設中止に拘泥するのは理にかなっていないと言わざるを得ません。また、今回の視察を踏まえて感じるのは、やはり八ツ場ダム建設中止が、民主党にとっては脱自民党の象徴として利用すべき御旗としてしか見られていないということです。

 本当の問題の所在は、建設するにしろ中止するにしろ、50年以上にわたって翻弄され続けてきた住民の今後の生活まで脅かしてはならないということだと思います。私個人としては、ダムがあったほうが良いか否かと問われれば、無い方が良いと答えます。ただそれは、カネの問題というよりも、名勝吾妻峡や名湯川原湯温泉を失いたくないという環境的な視点においてです。カネの問題としては、実際のところ作ろうが作るまいが、いずれにしろ同程度の莫大な費用がかかります。本当に目を向けなければならないのは、既に移転後に向けて準備を続けている住民の、将来の生活の保障ではないでしょうか。川原湯の人たちは、建設後のダム湖を新たな観光資源として、新川原湯温泉計画に前向きに取り組んできました(同じような例に、ダム湖を利用して復活した同じ群馬県の猿ヶ京温泉があります)。政権のイメージ作り、もっと言えばプロパガンダのために、こつこつと積み上げてきた地元の努力が一瞬にして崩されてしまったのでは、やはり暴論・暴挙としか言いようがないと思います。

 八ツ場ダム問題は、メディアで一面的に報じられているよりずっと複雑で根が深い問題です。こうした地元の目線を十分に踏まえて、前原大臣はもちろんメディアや世論にも再考をお願いしたいと思います。

    



八ツ場ダム建設中止はパフォーマンスか序曲か

2009年09月20日 | 政治
   
 試行錯誤の民主党政権がいよいよ動き出しました。その最大の焦点の一つが、大風呂敷を広げたマニフェストの実現可能性にあることは疑いないでしょう。連日の討論や報道で少しずつ構想の筋立てが明らかになる中、選挙の公約でもあった群馬県八ツ場(やんば)ダムの建設中止がほぼ確定となりました。

 実はこの八ツ場ダム、二年ほど前にこのブログで簡単に取り上げたことがあります。というのも、このダムの完成とともに沈む予定であった川原湯温泉は、私が最も好きな温泉の一つだからです。

 東京から近いこともあって、近年定宿として度々訪れ、つい先月の選挙前にもいったばかりでした。訪れるたびに、旅館の数も減り、残った旅館も移転の準備が着々と進んでいました。現在、周辺の地ならし工事はほとんど終わっていて、後はちゃっちゃと作って完了という状況です。

 そのようななかでの今回の建設中止は、はっきり言って温泉関係者にとっては「今更中止といわれても困る」というのが実情です。八ツ場ダムは、昭和二十四年に計画され、以来五十年以上にわたって激しい抵抗が繰り広げられた、ダム反対運動の象徴的存在でした。しかし、反対運動の担い手の高齢化や代替地建設計画の調整と説得、また反対派町長の引退と推進派町長の当選といった要因によって、近年ついに建設計画が動き足しました。そのようなあきらめムードの中、ある人は廃業し、ある人は移転の算段に衷心するようになりました。さていよいよ移転が間近に迫ったというこの時点での建設中止というのは、はっきりいって考えうる最悪のタイミングといか言いようが無いのです。民主党は、代替案を用意するとはいっていますが、本当に人口百人いくかいかないかの温泉小集落のことを考えてくれるのかどうか、甚だ心配なのです。


建設予定地@2007



同地点@2009
分かりにくいですが、真ん中にダムの基体ができてます。


 ところで、八ツ場ダムを巡る報道で一つ注意していただきたいのが、「地元」と呼ばれる人々をメディアが一緒くたに扱っている点です。ここで私が取り上げている川原湯温泉とその周辺と、八ツ場ダムが属する自治体である長野原町ではダムに対する考え方が異なるのです。先に挙げた建設反対派の元町長は川原湯の出身で、このグループは町の重要な観光資源である温泉や国の名勝吾妻峡が失われることを危惧していました。これに対して建設派の町長はダムより上流の地域の出身で、ダムができようができまいが特段の不利益を蒙らない人々でした。テレビで大反対を唱える現町長も含めて、これらの人々が危惧するのは、「ここまで作っておいて、中止されては地元の建設業界が困る」というお決まりの利権問題の話に過ぎません。メディアの報道では、川原湯の関係者も町長も同じトーンで建設中止に異議を唱えているように言われていますが、その理由には根本的に大きな違いがあるのです。

 ですから、町長らの推進派には補償費を握らせてあげれば済むことですが、生活の行く末がかかっている川原湯の人たちにとっては、目先のお金ではすまない話なのです。今度現地を視察するという前原国交大臣がどこまでこの違いを理解し、川原湯温泉に配慮した計画を打ち出せるかが、私にとってこの問題の本当の焦点です。

 全体の話として、私はこのダム建設中止が単なるパフォーマンスで、八ツ場は運悪くその象徴に選ばれてしまったのではないかと思っています。というのも、今回の選挙で長野原町を含むダム周辺の選挙区には民主党の議員が立候補していなかったからです。ですから地元の人たちは、もしダムの建設中止を求めていたとしても、その票を投じる受け皿が最初からなかったのです。これでは地元の意見など最初から聞く気はありませんでしたと自ら言っているようなものです。

 ではなぜ民主党は候補者を立てなかったのか。おそらくですが、ダムのある吾妻地方が小渕優子議員の選挙区だったからでしょう。小渕議員には勝てないと踏んで立てなかったのであれば、尻尾を巻いて逃げた選挙区の建設問題に口を出す権利があるのかという疑問も湧きます。

 もう一つ気になるのが、八ツ場・川辺川以外のダムについて検討する声が聞かれないことです。先日岩手県の三陸へ旅行に行きましたが、その際簗川ダムの建設計画地を通りました。この簗川ダムは、北上川に注ぐ小さな支流に計画された治水ではなく利水用のダムです。利水の効用や、道路の付け替えなどの大規模な工事などを巡って、この簗川ダムも建設反対運動が盛んなダムの一つです。私は宮城の出身ですが、北上水系にこれ以上新規のダムが必要と考える人が(もちろん利権関係者は除いて)どれだけいるのか甚だ疑問です。

 簗川ダムについては、一応県が事業主体ということですが、八ツ場ダムを吊るし上げておきながら、裁判まで持ち込まれているこのダムに全くお声がかからないのはなぜでしょうか。答えは簡単で、小沢王国岩手県の事業だからです。岩手を走っていると、至るところで小沢一郎の笑顔まぶしいポスターに出くわします。

 民主王国の公共事業はいそいそと進め、自民王国の事業は吊るし上げる。八ツ場ダムがそうした民主党のメディアアピール戦略の人身御供とされないことを願うばかりです。

   



仙台探訪③:松島(海岸線)

2009年09月16日 | 仙台
  
 ようやくというか、今回は仙台以上にポピュラーな名所松島です。ただ松島というと、一般的には松の小島が並ぶ景勝地といった漠然としたイメージだと思われますが、松島の見方には大きく分けて三つあります。

 一つは、遠く沖合いまで幾つとなく連なる島々の景観。もう一つは、古く平安時代頃から続く宗教や修行の場としての海岸線の古跡。最後に、伊達政宗が建立した瑞巌寺と周辺の趣です。

 このブログは一度に掲載できる写真が5枚までなので、まずは海岸線の古跡をご紹介しようと思います。

 松島へは、仙台駅からJR仙石線を利用します。30分ほどで松島海岸駅に着きます。紛らわしいことに、JR東北本線に「松島駅」がありますが、こちらはいわゆる松島からはおよそ遠く離れたところにあるので要注意です。

 松島海岸駅を出たら、瑞巌寺の案内を頼りに進むと良いでしょう。松島は海岸線を端から端まで歩けばほとんどの名所を巡れますので、まずは端まで行ってもよし、先に瑞巌寺を訪ねてもよしです。

 とりあえず瑞巌寺は次回に譲って、海岸に沿って北東へ歩きます。すると、赤い欄干の大きな橋が見えてきます。橋の名を福浦橋といって、その先の島を福浦島といいます。この福浦橋、昔はところどころ板が落ちていて下に海が覗けるほど古い木橋だったそうですが、今では立派なコンクリート橋となりました。橋の向こうの福浦島は、とりたてて何がある訳でもないので、一応渡ってみるもよし、眺めるだけで引き返してもよしです。


福浦島と福浦橋。
残念なことに、天気が余りよくありません。


 福浦島から駅のほうへ引き返して少し歩くと、観光ポスターなどでも良く見かける五大堂に着きます。五大堂は、言い伝えによれば坂上田村麻呂にまで遡る古いお堂ですが、現在の建物は伊達政宗によって建てられたものです。五大堂の見所は、お堂そのものというよりも、お堂が乗る島を含めた周囲からの景観です。肌色の岩のえぐれた小島にずっしりとお堂が据わり、その周りを松が彩る景色は絶品です。


五大堂


 この五大堂の道路を挟んだ向かい側当たりから、瑞巌寺参道口あたりまでがお土産屋の密集地なので、お好きな方は立ち寄りながら歩かれると良いでしょう。

 さて、五大堂からさらに海岸線伝いに駅へと南下すると、今度は観瀾亭があります。この観瀾亭は、伊達家の御仮屋御殿として使われ、秀吉が築いた伏見城の建物を政宗が拝領・移築したものとも言われています。仙台藩主の遊覧・観月に使用されただけあって、ここからの景色もなかなかのものです。観瀾亭では、座敷に上がって抹茶をいただくことができます。数年前に訪れたときには、縁側に座って一服飲みましたが、後で裏に回ると、水屋の前でガチャガチャと威勢よく茶筅を引っ掻き回すおばさま方を目にしてしまい興ざめした記憶があります。今回はさらにエスカレートしていて、券買所でお茶券セットを薦めてくるばかりか、お座敷にテーブルを並べて、俗っぽさが格段にアップしていました。


観瀾亭


 観瀾亭を過ぎると、急にあたりがさびしくなります。しかしめげずに今しばらく南に向かいます。駅を通りすぎると、右手に松島水族館が見えてきます。これも通り越すと、薄らさびしい山道になりますが、なおも進みます。すると左手に雄島の入り口が見えてきます。雄島は、古来より修行の場として使われ、島内のあちこちに岩窟が見られます。それもあってか、サスペンスドラマで松島が舞台となる場合は、大抵ここで人が死にます(笑)。今回は一人旅でしたが、誰かと来たときには是非とも死体写真を撮りたいと目論んでいます。雄島の見所は、島全体が古跡であるというだけでなく、この島から今まで見てきた福浦島や五大堂・観瀾亭などが一望の下に収めることができるところにあります。


雄島


 雄島から駅まではすぐです。電車の到着まで時間があるようでしたら、駅前に並ぶ海鮮料理屋で牡蠣でも召し上がってはいかがでしょうか。僕も、20分ほど待ち時間があったので、大ぶりの松島ガキを一つ炭火焼で食べました。