塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

川原湯温泉 2011夏

2011年08月29日 | 旅行
  
 また群馬県の川原湯温泉へ行ってきました。震災後は初めてなので、かれこれ半年以上行ってなかったことになります。八ツ場ダム建設問題に振り回されるこの小さな温泉町は、やはり訪れるたびにさびれていってしまっています。

 反対に、ダムの建設云々とは関係なく周辺の開発工事は着々と進んでいます。山上の温泉代替地には、旅館こそまだ1軒も移転していませんが、一般の新しい家々が確実に増えてきています。 

 また、建設中のようすがテレビにしばしば登場したダム横断橋も完成し、これとつながる吾妻川北側のバイパスもだいぶできてきています。橋の上から眺めると、昔はのどかで山深い谷あいだった吾妻渓谷の風景もあちこちの山肌が削られコンクリートで固められ、大きく変わってきているのが分かります。これでダムに水が溜まらないなどということになれば、景観資源は一方的に損なわれただけになってしまいます。

 
完成したダム横断橋


 
橋から望む吾妻渓谷の風景。
奥の山肌は開発によって削られています。


 
橋から反対側(西側)を望む。


 私が泊まった旅館で、ご主人がテレビのインタビューを受けていました。民主党代表選に絡んでコメントをもらいに来たようです。とはいっても、民主党政権の間は誰が大臣になろうとダムの話はてんで進まないのでしょうから、あまりコメントと言われても困りますよね~、と後でご主人と話をしました。

 川原湯温泉は相変わらず素晴らしいお湯です。ダムができるとできないとにかかわらず、刻々と風景が変わってしまいつつあります。今のうちに、ぜひとも一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

  



天竜川下り転覆事故:ほんの蛇足的な雑感

2011年08月18日 | 社会考
  
 静岡県の天竜川で川下り船が転覆し、いまだに行方不明者が見つかっていないという痛ましい事故が起きました。私なんぞは25mも泳げない超カナヅチですので、もしその場に居合わせてしまったらなす術もなく溺れ死んでいたことでしょう。

 天竜川の川下りと聞いて、私は当初もっと上流の秋葉街道沿いあたりでやっていたのだろうと思っていました。ところが、今朝の新聞に掲載されていた現場の地図をみると、現場はやや下流の浜松市天竜区にある城山の直下ということでした。私はこの現地図を見て驚きました。

 というのも、この城山には、戦国時代に二俣城という城がありました。三方を天竜川とその支流の崖に囲まれた天険の要害の城です。この城では、かつて有名な三方ヶ原の戦いの前哨戦が行われました。元亀三年(1572)、二俣城に攻め寄せた武田信玄の軍は、城兵の20倍以上の兵力を擁していましたが、要害の二俣城を力攻めでは落とすことができませんでした。

 そこで信玄が思いついたのは、水の手を絶つ戦法でした。二俣城は城内に井戸がなく、今回の衝突事故があった側の崖に櫓を組み、そこに釣瓶を垂らして天竜川から水を汲み上げていました。そこで信玄は、上流から大量の丸木いかだを流し、水の手櫓に激突させました。これにより櫓は破壊され、水の手を切られた二俣城はまもなく降伏を余儀なくされました。三方ヶ原の戦いを取り上げた歴史群像シリーズの雑誌などには、粉々に砕け散る水の手櫓のようすがイラストに描かれています(多少誇張されているようにも感じますが)。

 流した筏が激突した衝撃で櫓1つ壊れるからには、素人目に考えても相当な急流であったと思われます。もっとも、現代では治水・利水により、水量や流路、流れの速さなどは当時とは異なっているかもしれません。ですが、今回事故が起きた現場は、そういった過去をもつ、いわくのある場所なのです。

 私が今回の事故現場が二俣城直下であることを知ったとき、真っ先に思ったのは「よりにもよってそこが航行ルートなのか」ということです。私だったら、先のような歴史を知っているので、とても乗りたくはありません。たとえ上流にダムだなんだとできて昔よりも穏やかになっているとしても、です。今回の事故では、一番の焦点は救命胴衣の着用義務云々というところにあるようですが、私としては同時にルートの選定に問題があったのではないか、という点も大きく気になっています。

 急流大国日本では、全国いたるところに川下りがあることと思います。そのルート選定や許可・認可の基準がどこにあるのか、またあるのかないのかは分かりません。ですが、もしないのだとすればこれを機会に設ける必要があると思いますし、あったとしても、今一度見直しの上全国の川下り運営会社に調査を入れる必要があるのではないかと考えています。

  



靖国神社へ参拝してきました。

2011年08月17日 | 徒然
    
 私の中のジンクスで、休前日や連休に限って体調を崩すというのがあります。お盆に入った途端、喉に違和感を覚え、見てみるとどうも扁桃腺が腫れているようでした。病院はどこもやっていないようなので、仕方なく何とか気合で治しました…。

 さて、一昨日の終戦記念日に靖国神社へ行ってきました。普段、お盆は仙台にいるので、これまで終戦記念日に靖国神社を訪れたことはありませんでした。戦没者に心から手を合わせたい気持ちと、毎年ニュースでしか目にしていないこの日の靖国ならではの方々を見に行きたい気持ちで参拝しました。

 

 朝8時に電車で行ったのですが、九段下駅を出ると鳥居までの間に様々な団体のビラ配りの方が頑張っておられました。朝からカンカンに蒸し暑い中を、皆さん声を張り上げ必死に配っておられました。その姿には少し打たれましたが、まだまだ驚嘆するまではいきません。神社に向かう人の波のなか、旭日旗をもった白い軍服の方を見かけました。でも1人でさっそうと歩いているだけなので、気にはなりましたが、驚きはしませんでした。

 
ドイツ軍の方もいました


 まずは参拝に向かいます。途中、何かないかと見回しながら歩きましたが、暴走族のようなつなぎを着た方々をぽつぽつ見かける程度でした。ひょっとして有名な政治家とかいないかな~とも思ったのですが、あまりに暑くて人の顔もとろけて見えてました…。

 

 さて、参道では何やかやとうるさくても、本殿前ではキーンと静まりかえっています。ここでは右も左もありません。みな静かに戦没者への祈りを捧げます。本殿にあがる方もいらっしゃるようですが、私はぷらっと訪れただけなのでここで引き返します。

 参道に戻ると、小腹が減ったので脇の茶店に立ち寄りました。850円と微妙に高い「靖国そば」なるものをたのみました。肉入りの五目そばといった感じでした。食った食ったと出てみると、ちょうど「靖国神社に参拝する全国地方議員の会」なる緑の旗をもった集団に出くわしました。これが、私がその日見た中で一番組織だった集団でした。

 

 ひとつ気になったのが、正午です。普通にみな立ち止まって黙とうするのかと思いきや、正午が迫ってもほとんどの人が参道をだらだら歩いています。正午になってもだらだら・・・。私は目を閉じましたが、1分過ぎて目を開けてみてもだらだら・・・。そこいらの往来ならともかく、靖国神社なんですから、黙祷ぐらいは全員立ち止まってやったらいいのにと思いましたね。今はこんなもんなんでしょうか。

 とまぁ、何事もなく無事に終わった初めての終戦記念日の靖国参拝ですが、実際にはもっと下調べをしてから行けば、いろいろなものが見られたのかもしれませんね。全体的に、神社周辺で活動する側も高齢化が進んでいるのか、ずいぶんとおとなしくなっているように感じました。だからといって激しく騒ぎ立てろというのではありませんが、時代の変化がここにも表れているのかなぁと思いました(本当は毎年訪れてみないと分からないことでしょうが)。

  



城プラモデル市場に競争の風?:PLUM社「諏訪高島城」

2011年08月13日 | 徒然
  
 一昨日で東日本大震災から5か月、そして明後日は終戦記念日ですね。今年のお盆は、例年にない祈りの期間となるのでしょう。

 さて、話はコロッと変わるのですが、先日とある模型店にふらりと立ち寄ったところ、非常に興味深いものを見つけました。日本の城のプラモデルなのですが、これまで城のプラモは童友社という会社からしか出ていませんでした。しかも、ラインナップも私が幼少の頃からずっと変わらず、たま~に「また作ってみようかなぁ」と思い立っても「でも全部一度作ったことあるしなぁ」と思うと萎えてしまっていました。

 そんな中、先日見つけたのがこの1/200「諏訪高島城」です。

 

 PLUMという、フィギュアやロボット系が専門の会社が制作しているようで、調べたところ先月発売されたばかりとのこと。またよりにもよって諏訪高島城というチョイスの渋さにもやられてしまい、即買いでした(笑)。

 もう1つ、会社名は忘れてしまいましたが別なメーカーから犬山城というのも出ていました。犬山城は、国宝天守をもつ4つの城の中で唯一これまでプラモ化されていなかったので、チョイス的には王道といえます。しかし、こちらは完成度があまり高いとは言えず、もう一度じっくり現物を研究してくださいという感じだったので、購入しませんでした。

 ともあれ、これまでなぜか独占市場だった城のプラモ業界に新たに2社も参戦したことは、消費者としては期待が大きく膨らむところです。PLUM社の高島城には「castle colection01」と書いてあるので、第二弾・第三弾と今後増えるのだろうと楽しみにしています。逆に、童友社はここにきてようやく焦りを感じはじめたのか、私の20年ほどの記憶の中で初めて、新作の「松江城」と「赤瓦鶴ヶ城」を投入してきたようです。まだお目にかかってはいませんが。

 この調子で、閉鎖的(?)だった城プラモ業界にも競争の風が吹いてくれればと思っています。そしてできれば、義援金付きの仙台城や弘前城、白河小峰城なんかが出れば最高かな~っと。

 とりあえず、夏休みの自由研究はこれで何とかなりそうです(笑)。出来上がったら、またブログに写真を載せるかもしれません。

  



仙台七夕2011レポ

2011年08月08日 | 仙台
  
 今年も仙台七夕祭りが本日8日まで開催されています。例年、七夕期間中は割と雨が降りやすいように記憶しているのですが、今年は3日間とも晴天続きという奇跡のような恵まれた天候の中での開催となりました。

 何といっても、今年は東日本大震災を受けての「復興と鎮魂」がテーマということで、これまでとは様相の異なる部分が多々ありました。また、震災の影響で来客数が激減するとの予想も出ていたようですが、実際に歩いてみた様子では混雑ぶりはいつもと変わらず、それほど人出が減っているようには見えませんでした。

 さて、下の写真をご覧ください。

 

 素晴らしい天気なのもさることながら、見ていただきたいのは七夕飾りです。例年ですと、どれも各店舗が趣向を凝らした和紙の綺麗な吹き流しが並んでいます。ですが、今年の飾りは大多数が千羽鶴と願いなどが書かれた短冊でできています。写真の一番手前の飾りは、すべて折り鶴でできています。その奥に連なっている飾りは、短冊をつなげてつくってあります。そもそも七夕はお願い事をする祭りですから、例年でも折り鶴や短冊を基調とする飾りはあるにはありました。ですが、今年はその数が圧倒的に多いといえます。

 また、店舗前の通路部分にも、例年であればミニサイズの七夕飾りが飾られているのですが、今年はそこに各地から寄せられた折り鶴や短冊が並んでいます。中には外国から寄せられたものも少なからずありました。

 
このように世界中から寄せられた飾りも飾られています


 そのような「復興と鎮魂」をテーマに開催された今年の七夕のなかで、もっとも目を引いたのがこちらの飾りです。

 

 日の当たらない方向から撮ってしまったので分かりにくいですが、すべて銀の折り紙で折られた鶴です。近寄ってみると、

 

やはり見づらいですが、市内すべての小中学校で1本ずつ折ったものを束ねて作られていることが分かります。他に何が書いてある訳でもなく、延々と銀色の折り鶴が連なっているだけの飾りなのですが、これが今回最も心打たれたものの1つです。

 駅へ向かう途中に通りながら見たので、あまりゆっくりとはできませんでしたが、どの飾りも工夫ではなく気持ちを凝らしたものとなっていて、例年とはひと味もふた味も違った七夕となっていました。鎮魂の祈りと復興の願いが、無事に天へと届きますように。