塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

安倍首相の突然の靖国神社参拝

2013年12月27日 | 政治
  
 昨日26日、安倍晋三首相が突如として靖国神社を参拝した。1日明けた今日になっても、安倍首相の真意はっきりとしないが、私は今回の靖国参拝には大きな疑念と危機感を抱いている。

 私を知っている方や当ブログを以前から閲覧していただいている方からみると、私が靖国参拝に反対することを意外に思われるかもしれない。ただ、私が問題視しているのは、靖国神社参拝の是非ではなく、そのタイミングだ。

 日本の政治家が靖国神社に参拝すると、中国・韓国が条件反射的に激しいアレルギー反応を示す。これに対し、日本国内の右寄りの人たちは内政干渉であると応酬し、母国のために命を落とした英霊を追悼するのに、外国の反応を気にする必要はないと訴える。

 たしかに、彼らの主張は間違ってはいないかもしれない。しかし、政治上の観点からみれば、正解ともいえないと思う。政治とは他者とのゲームであり、一般人ならいざしらず、政治家が他者の反応を考えずに行動を起こすということは、本来あってはならないことだ。靖国神社の参拝は、第一義的には国内の問題に還元されるのだろうが、これに特定のリアクションを示す国がある以上、外交上の影響を無視することはできない案件なのだ。

 翻って、外交上特定の効果をもたらすということは、靖国神社を参拝するかしないかということは、重要かつ強力な外交カードであるということになる。すなわち、このカードを「いつ」切るのかということが最大のポイントであるといえる。そして、私が今回の安倍首相の参拝を疑問視しているのも、なぜ「今」なのかという一点に尽きるのだ。

 最近ブレイクした人気作家が「たまたま今日だっただけ」と手放しで歓迎するコメントを発しているが、これは政治的にまったくナンセンスな発言だ。政治家が「たまたま」でカードを切るなどお粗末千万であり、どのような効果を狙ったものか、明確に意図されている必要がある。

 とりわけ、靖国参拝は劇薬ともいえる強力なカードだ。いうなれば、自分を1回休みにする代わりに、相手を2回休みにするようなものだ。プレイヤーが日中韓の3国だけだというのなら、いくら切っても日本が損をすることはないかもしれない。しかし、今や極東3国の関係は当事者だけの問題ではなく、国際社会の関心事である。複雑な国際関係のなかで、相手を3回も4回も休みにできるような絶好のタイミングを見極めることが肝要であると考える。

 現状を見渡すに、くどいようだが今このカードを切る理由がまったく見えないのだ。韓国の朴槿恵大統領は、これまで異常なまでの反日姿勢を固持し続け、日本が「告げ口外交」と呼ぶ場所柄を弁えない日本バッシングに、アジア以外の各国からもうんざりという反応が返ってくるようになった。韓国国内からさえも、ようやくメディアを中心に朴大統領の強硬一辺倒の外交姿勢に疑問が呈されるようになってきていた。

 加えて、先日の南スーダンにおける日本の自衛隊から韓国軍部隊への銃弾提供によって、日本はさらなる攻勢に出ることができていた。日本は道義上当然の協力を行ったまでであるのに、韓国からは最低限の謝意すらなく、なんと失礼かつ未熟な国なのだと全世界にアピールできるチャンスを得ることができたのだ。これによって、国際社会における日本の立場をますます有利にすることができ、朴大統領の強硬姿勢維持をさらに難しいものにできたはずだ。

 ところが、今回の靖国参拝によって、全てがパァになってしまう可能性が高い。朴大統領がこれを利用しないわけはなく、「やっぱり私の反日強硬姿勢は間違ってなかった」と喧伝するだろうし、韓国国民は理性のタガを失ってこれに同調するだろう。朴大統領にとって、これほどありがたい助け舟があるだろうか。

 日本は、韓国以上に中国との間により深刻な問題を抱えている。そして残念なことに、日本単独で中国の海洋進出に対処することは、非常に困難である。その際、恃む相手はアメリカをおいて他にないわけだが、アメリカからみれば「余計なことをしてくれた」としか言いようのないところだろう。遠く太平洋を隔てたアメリカが求めるのは、アジア地域の「安定」であって、日本を中国に勝たせてやろうなどという気はさらさらない。中国や北朝鮮が、アメリカの許容できるところまでで踏みとどまってくれていれば、それで良いのだ。したがって、アメリカは日本と中国の狭間の国である韓国(韓国自身はそう思っていないかもしれないが)が、中国側にすり寄ってしまう事態を懸念しているはずだ。アメリカが朴大統領の告げ口外交に苦言を呈したのは、それがアメリカの望む極東アジアの安定に寄与しないからであって、とくに日本に肩入れしたからではないと思われる。アメリカが今回の靖国参拝を批判したのは、そうしたアメリカの思惑もパァにしてしまうからだ。これによって、明らかに韓国は中国傾斜を強めることになり、極東アジアにおけるアメリカの立場をも難しいものにしてしまった。

 以上は、先に挙げたたとえでいえば、日本が喰らうであろう「1回休み」の面である。これに対し、中韓側が最低でも「2回休み」を受けるのであれば、今この時期に参拝を行った意義も十分にあるといえる。だが、どうにもこの点においての安倍首相の意図が見えないのだ。ちょうど、政権が発足して1年の節目ということだが、もしそれが唯一の理由であるとするなら、それこそ「たまたまその日だった」というだけで何の思慮もみられない。高い支持率を維持し、重要法案も通ったことで、「そろそろいいか」という程度で参拝に踏み切ったとするのなら、あまりに軽率といわざるを得ない。

 私は、安倍氏は現実的な政治家だと思っていたのだが、案外おだてられると乗ってしまうお坊ちゃまだったのだろうか。それとも、この時期に参拝を決断した裏には、私なぞが想像もつかないような深謀遠慮が潜んでいるのだろうか。年の瀬を目前に、どうにも不安な年越しとなりそうだ。

  



先進国首脳のソチ五輪開会式等ボイコット

2013年12月21日 | 政治
   
 今月17日、アメリカのホワイトハウスは、来年2月のソチ五輪にオバマ大統領が出席しないことを明らかにした。表向きは「日程上の都合」ということだが、ロシアの「同性愛宣伝禁止法」などの反人権的政策に、ドイツ・フランスに次いで抗議の意を示したものとみられている。

 発端は、今月8日にドイツのガウク大統領が欠席を表明したことだが、より重要なのはフランスのオランド大統領がこれに続いたことだ。というのも、ドイツの大統領は国家元首ではあるものの、政治的な権限は非常に限定されている(国内での政治的立場は「中立」とされているため)。自身で五輪への出欠を決められたり、間接的に選挙で選ばれるあたり、日本の天皇と異なって政治的発言力を有しているといえるが、必ずしも政府の意向を反映しなければならないということはない。それに対し、フランス大統領は国家元首であると同時に、実質的な政治の最高権力者でもある。同じ欠席表明でも、ガウク大統領とオランド大統領では、発言の重みが違うといえる。

 オバマ大統領の決定は、ガウク大統領に加えてオランド大統領が欠席を表明したことが大きく影響しているのではないかと思われる。そして、今月19日にロシアのプーチン大統領が政敵であるオリガルヒ(新興財閥)のホドルコフスキ受刑者に「人道上の理由」から恩赦を出したが、先進3国の大統領(とりわけ米仏)の相次ぐ欠席に危機感を覚えたプーチン大統領が人権政策批判をかわすために発したものであることは容易に察しがつく。

 一連の欠席表明問題は、とりわけ西洋世界では大きく報じられており、私もたいへん関心をもってみているのだが、日本ではどうも重要な話題として取り上げられているようには感じられない。今回に限らず、人権や生命倫理などの問題になると、日本のマス・メディアはアジア特有ともいえる無関心をもって深く議論しようとはしたがらないように思われる。

 私がいま一番注意深く見ているのは、安倍首相はさてどうするのかという点である。独仏大統領が表明した時点では、文字通り対岸の火事として看過することもできたであろうが、米大統領までもが欠席するとなると、アメリカの強い影響下にある日本としては、見ざる言わざる考えざるというわけにはいくまい。出席するにせよ欠席するにせよ、日本国首相として、きちんと理由をつけて表明する必要が生じているといえる。

 他方で、日本は7年後に東京オリンピックを控えている。今ここで五輪を欠席すれば、7年後に何らかの形で跳ね返ってくるかもしれないなどという考えも、浮かばないではない。政府としては、日本人の真髄である八方美人で乗り切りたいところかもしれないが、事態は日本人が思っている以上に深刻であると私は考えている。安倍首相には、7年後の日本に恥じることのない姿勢で3か月後のソチ五輪に臨んでいただきたいと思う。

  



「天空の城」竹田城址人気についての雑感

2013年12月15日 | 歴史

 師走もはや半分が過ぎました。まだ一年の総括には早いですが、今年だけで持病が2つも増えてしまった私としては、残り半月無事に過ごせれば何も言うことはありません(笑)。

 さて、兵庫県朝来市(旧和田山町)にある竹田城址という古城址の名を聞いたことのある方は、最近ではかなり多くなったのではないでしょうか。建物は残っていないものの、峻険な山上に石垣が累々と連なるさまから、「天空の城」や「日本のマチュピチュ」としてメディアでしばしば喧伝されている城跡です。

 竹田城のある旧和田山町は、県北部に近い山間部で、お世辞にも交通の便は良いとはいえません(一応、城のすぐ麓にJR播但線の竹田駅があります)。朝来市もそれほど観光に力を入れている自治体とは言い難いようで、にわかに急増した訪城客への対応は後手後手に回っているようです。世界遺産に登録された富士山と同様、増え続ける観光客が史跡に与える影響への心配から、竹田城址でも登山料を徴収するようになりましたが、それでも訪れた登城者の重みで石垣が孕んでしまったということですから、その人気ぶりは尋常ではありません。他方で、登城者が誤って石垣から転落するという事故も起きており、今月まで緊急の安全対策工事が行われているとのことです。

 私の城跡オタクっぷりは、こちらのページにある通りですが、周囲からはこの竹田城址についての感想や、「もう行ったのか?」などの質問をよく受けます。ですが、この場をかりてはっきり申し上げますと、私は竹田城址には個人的にあまり食指が動きません。理由はいろいろとありますが、一言でいえば「キレイ」であることがアイデンティティーとなっている城には、あまり心が動かなくなってしまっているのです。お城に限らずオタク道に邁進している方なら共感いただけるのではないかと思うのですが、「キレイ」に整ったものよりも、一見「キタナイ」、崩れかけの石垣を藪のなかに発見した時の方が、圧倒的にキュンとくるカラダになってしまっているのです^^;

 念のためにことわっておきますと、私も竹田城址の美しさや重要性を認めない訳ではなく、ただ私のなかの「訪れたいお城リスト」においては、竹田城址の順位はかなり低いところにランクされているというだけです。

 実は今年、私は竹田城址の割とすぐ近くを通りかかっています。10月に出雲から山陰を東へとスライドする形で旅行したのですが、城崎温泉から特急こうのとりに乗って阪神方面へと向かいました。その際、播但線の終点であり、竹田駅の隣駅でもある和田山駅に停車しましたが、車内アナウンスでも「天空の城へは当駅でお乗換え」としっかり流れ、実際に降りる客も少なくありませんでした。私も寄り道しようと思えばできたのですが、残念ながら腰は上がりませんでした。私には、城崎温泉と和田山の中間あたりにある出石城(有子山城)の方が、よほど魅力的でした。

 ということで、「天空の城」ともてはやされる一連の報道について、私にはあまり意見も感想もありません。だったらわざわざ記事なぞ書くなよといったところですが、今年の竹田城址ブームを見ていて1つだけ、「ミーハーの行動力ってすごいなぁ~」と感じました。

 たしかに、山の上に総石垣の城跡が非常に良好な形で残っているというのは珍しく美しいように思いますが、実際には日本三大山城と呼ばれる岩村城・備中松山城・高取城をはじめ、数え上げれば結構あります。竹田城址が有名になったのは、日本100名城に選定されたからともいわれますが、竹田城がなぜ「名城」のトップ100に入っているのか私には納得がいきません(100名城なるものに対する疑問は竹田城に限ったことではないのですが、今回の主題と離れるので回を改めることにします)。山の上の美しい石垣を目にするためだけに、私のような城跡オタクでもない一般の人々がわざわざ山間の和田山までやってくるというのが、和田山の方には申し訳ないですがちょっと奇特に感じるのです。

 私が思うに、今日の竹田城址ブームは、今年に入ってテレビやネット、雑誌などで雲海に浮かぶ竹田城の石垣の姿があちらこちらと掲載されるようになったからではないかとみています。一面の雲の海から、石垣だけがポッコリと顔を出している景色は、日本広しといえどもそうそうあるものではないでしょう。この点だけは、竹田城が他に比して優れている点といえるでしょう(とはいえ、「名城」というのとは違うと考えていますが)。ですが、この名物の風景を目にしようとするなら、雲海の発生条件である気温差の激しい早朝(秋が適季といわれています)に、竹田城址の周囲の、城跡より高い山に登らなければなりません。ましてや、当の城跡に登ってしまったら、「日本のマチュピチュ」と呼ばれる壮麗な石垣の全景を望むことはできません。この点、各種メディアの写真・映像に魅せられて訪れたミーハーの方々がどのように考えているのか、非常に気になります。

 もう1つ気になるのは、一般の方々は竹田城という城についてどのくらいご存じなのかということです。私からみると、竹田城のもっとも重要な点は、関ヶ原の戦いからまもなく廃城となったというところにあります。先に挙げた三大山城をはじめ、今日まで山上に美しい高石垣を残す城のほとんどは、関ヶ原の戦いの後、すなわち江戸時代に入ってから築かれたり改修されたりしたものです。それに対して、竹田城は江戸時代にはすでに廃墟だったわけですから、江戸時代以前のままの姿を残しており、徳川の前の豊臣時代の築城形態を知ることのできる貴重な遺構といえるのです。とはいえ、そんなことは一般の人たちにはあまり関心の湧かないことでしょうし、そもそも竹田城が誰の城であったのか、知っている方がどれくらいいらっしゃるのか疑問です。竹田城は、戦国時代を通じて山名氏の重臣太田垣氏の居城であり、織田信長の家臣であった豊臣秀吉(当時は羽柴姓)によって攻め落とされ、一時期秀吉の弟の秀長に預けられていましたが、現在に残る城に改修したのは、関ヶ原の戦いまで城主であった斎村政広でした。といって、太田垣氏や斎村氏の名を知っている人はそう多くはないでしょう。つまり、歴戦の城ではあるものの、その戦いや城主については決して有名とはいえず、歴史上の名所という点からも、一般の興味を惹くところとは言い難いように思います。

 以上のことから、一般の人々が竹田城址の本丸をめがけて年間単位数十万人もやってくる理由というのは、「メディアで取り上げられているから」「何か最近よく話題になっているから」ということ以外には、どうにもこうにも説明がつかないのです。もしそうであるなら、最近トレンドだからというだけで、大して関心もないところへ次から次へと人が押し寄せるというところに、私はミーハーと呼ばれる種類の人々の集団的な底力のようなものを感じるのです。それが、和田山の地域活性化につながり、ひいては竹田城址の本格的な調査や保存につながってくれれば、それ以上は望むべくもないかなと、一介の城オタクの考えるところであります。

ただ怖いのは、ミーハーの興味は常に一過性のものなので、現在の通りのブームはあと1~2年もすれば過ぎ去ってしまうだろうということです。ブームが去ったとき、一通りの環境整備がきちんと済んでおり、あとは名のみを求めるミーハーでない、実を求める観光客をしっかり掴める城跡となっているかどうかが、私の本当の気がかりです。

ちなみに、先に挙げた通り、竹田城は織田家臣時代の秀吉に攻め落とされているため、おそらく来年の大河ドラマに登場することでしょう。黒田官兵衛が直接城攻めに関わったという記録はないようですが、ドラマではきっとすんごい計略でもってあざやかに落としてくれることと思いますので、訪れた方はドラマの前半に期待なさると良いでしょう。