塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

仙台の業?何でも政宗発祥説

2014年10月01日 | カテゴリ無し
  
 彼岸も明け、10月に突入しました。前回は、お盆・彼岸の仙台料理としてずんだを紹介させていただきました。初めて目にした方はまず気になるところと思うのですが、そもそも「ずんだ」とは何とも奇妙な言葉です。

 「ずんだ」の発祥には諸説ありますが、その1つに「伊達政宗が陣中食として開発した」というのがあります。すなわち、「陣だ」餅が訛って「づんだ」になったとするものです(「だ」の部分についてもまた諸説あり)。

 ところが、ちょっと考えれば、この説にはかなり問題があることが分かります。第一に、携行食である陣中食に、わざわざペースト状に潰してしまったものを持っていくメリットがありません。第二に、保存目的ならいざ知らず、砂糖や塩を調味のために大量投入する必要性もありません。当時の陣中食としては、豆であればたとえば甘納豆のようにむしろ干したものを携えて行くのが普通です。

 このように、ずんだの原点を陣中食とすることには無理があるように思えるのですが、現在でもずんだの伊達政宗考案説はまことしやかに語られています。

 ただし、ずんだのようなものが政宗の時代になかったとまではこれまたいえません。政宗は美食家としても知られていますので、青豆をすりつぶしたものを料理に使用していた可能性までは否定できません。それでも、時代を考えれば、無分別に近い量の砂糖を投入するなどという贅沢や発想が許されたとも思えません。政宗の時代にずんだがすでにあったとしても、現代の甘味としてのずんだとは程遠い代物であったはずです。

 このような「伊達政宗が発祥」とする産物は、仙台には数多くあります。「政宗は発明王か!」と思わずツッコミたくなるくらいです。

 ここで、お隣の韓国について、ネット上などでよく使われる「ウリジナル」という言葉があります。何でもかでも韓国発祥にしてしまうあちらの国の性質を指すものということですが、私はこれに倣って、何でもかでも政宗発祥にしてしまう仙台の気質について「マサムナル」と勝手に命名しています。

 「ウリジナル」は明らかに他の国が発祥のものでも韓国起源と言い張るところが一番の困ったちゃんですが、「マサムナル」の場合は一応仙台で生まれたものであることは確かなものです。なので、一緒にするなと怒られてしまいそうですが、あくまで軽い皮肉とお赦しください。「マサムナル」は、仙台発祥であれば何でも政宗に絡めてしまおうとする性向が困ったちゃんなのです。

 とりあえずざっと調べ直してみたところだけでも、ずんだ、仙台七夕、仙台味噌、仙台長なす漬、凍み豆腐(高野豆腐の一種)…あれ?昔よりだいぶ減ってるような。。。歴史に対する一般の意識が高まったからかな?以前は笹かまなんかも普通に政宗発祥とされてたはずなんですが…。笹かまは今では明治維新後にまで下っているようです(笹が伊達家の家紋であることを考えれば当然といえば当然ですが)。ササニシキやレゲェパンチが政宗起源になる日も近いと思っていたのですが、やや良心を取り戻してきているようです(笑)。

 このようなマサムナルについて、私が批判的である理由はただ1つ。確実に政宗が生み出したものであるのが、仙台という町そのものだからです。すなわち、関ヶ原の戦いの後に政宗が仙台に新しい居城を築いてほぼゼロから町を作ったわけです。新築の町に固有の文化がいきなり花ひらくなどという事例は聞いたことがなく、新たな武家社会の中心地となった江戸でさえ、徳川家康の代では田舎町の域を出ることはありませんでした。今日にみるような仙台の食や美の大系は、残念ながら政宗一代の間にできあがったものでは、とうていあり得ないのです。

 まぁ、仙台の基礎を築いたのが政宗であることは確かなのですから、その仙台で生まれたもののすべてが政宗起源であるといっても、間違いではないのかもしれません。ですが、「それをいっちゃぁ、おしめぇよ」ですし、政宗公もそんなことは望んでいないでしょう。仙台で商売するにあたって、「政宗起源」と謳った方がウケがいいのも確かですが、それが逆に仙台と政宗公を冒涜することにもなりかねません。「マサムナル」がいずれ過去のものになってくれるよう願うばかりです。