塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

愛媛松山の港として栄えた三津浜の町並み

2018年02月27日 | 旅行
  
四国松山の観光名所といえば、道後温泉は外せないでしょう。その本館のすぐ近くに、道後公園があります。中世の湯築城の跡で、かつて動物園がありましたが、今は発掘調査に基づいて建物が復元されたり資料館が設置されたりしています。あまりにアクセスが良いので、私のような城跡好きでなくとも行ったことのある人は多いのではないでしょうか。


毎度おなじみ?道後温泉本館


伊予国の守護大名河野氏は、南北朝時代から豊臣秀吉による四国平定まで、250年近くにわたってこの湯築城を居城としてきました。河野氏の軍事力のアドバンテージは、強力な水軍の存在にあったのですが、湯築城は海から5km以上離れています。


湯築城址の復元建物


そこで、湯築とは別に河野水軍の本拠地となったのが、松山市街の北西の三津浜です。最寄りは松山市駅から6駅の伊予鉄道高浜線三津駅。湯築から、すなわち松山市中から最も近い入り江です。松山市の外港として、とくに江戸時代から戦後しばらくまでは大いに栄えていたそうです。今では、フェリーなど大型船の船着場は北の高浜に移り、南の工業地帯と総称して松山港と呼ばれているようです。

残念ながらかつてほどの賑わいはありませんが、釣り船は今なお多く出入りしているようで、釣具店がちらほら見られます。また、銀天街と呼ばれた目抜き通り沿いを中心に、昔の港街の風情が残っています。


三津浜のメインロード「銀天街」
明け方なのでひっそりとし過ぎてます(笑)





どことなく風情ある港町の風景



江戸時代からの旧家河野家



同じく山谷家



整備された共同井戸跡


さて、三津浜で名物になっているものに渡し船があります。河野水軍の惣領が町場と対岸の湊山城を行き来するために、文明年間(1469~86)に設けたのが始まりとされ、実に550年ほどの歴史をもっていることになります。乗船時間はわずか5分ほどの短い渡し船で、向こう岸にいるときは船着場のブザーを押して呼びます。


三津の渡し船



向こう岸にいるときはブザーを押せば、





こうして来てくれます。


この三津の渡しの特徴は、行政上は市道に分類されるため、公道ということで渡し賃が無料ということです。朝7時の一番乗りで、黎明の港と城山の景色を楽しみました。対岸にはお城跡のほか、小林一茶が句会を催したという洗心庵の跡があり、その先に伊予鉄道の港山駅があります。


渡し船から見た湊山城跡



洗心庵跡


ところでこの前の晩は、三津駅から歩いてすぐのところにあるドミトリー(木賃宿)に宿泊しました。民泊とならんで近年急速に増えているドミトリーですが、お遍路さんの需要を見込んでか、四国でもかなり浸透しているように思います。私が泊った日は、女性と男性のお遍路さんがいましたが、どちらも個室にお泊り。私はいちばん安い大部屋だったのですが、10数人分の2段ベッドが並ぶ部屋にこの日はなんと私一人でした。とっても得した気分でした。

まだ春休み期間中のこととてオフシーズンというわけではなかったと思いますが、おそらく松山市街からは少し離れていたせいでしょう。ですが、三津浜は上述の通り松山市とはまた違った魅力と見どころのあるところなので、松山が初めてでないという人はぜひこちらに足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
  



木蝋生産で栄えた商家の町並み:愛媛県内子町

2018年02月22日 | 旅行
 
愛媛県大洲市の東隣にある内子町(うちこちょう)は、江戸から明治にかけて和紙と木蝋の生産で栄えたところです。とくに木蝋は、最盛期には全国生産量の3割を占めたといわれています。江戸時代の大洲藩の首府はもちろん大洲城にありましたが、経済の中心はむしろ内子にあったといえます。

内子には当時の商家の町並みが残っていて、1982年という早い時期に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。こちらも、以前紹介した脇のうだつの町並みと同じく、城下町とは異なる商人町の趣を味わうことができます。

私が訪ねたときはすでに午後4時を回っていたため、少々駆け足での観光となりました。以下、とりあえず写真を掲載していきます。




豪商本芳賀家住宅





大正時代に建てられた歌舞伎劇場の内子座



鉤の手に折れている箇所



蕎麦料理屋になっている下芳賀邸


天気がぐずついていたのと、午後4時を回っていたので写真があまり明るくありませんが、とてもよく整備されていて楽しめる町並み観光スポットです。

唯一の難点は駐車場がやや分かりにくいことで、北の町外れの高昌寺の麓にあります。駆け込みでやって来た私に駐車場の方は親切に対応してくれて、5時で営業は終了するけど出口は開けておくのでゆっくりしていって良いとのことでした。

内子は、ドイツの有名観光都市ローテンブルクとの交流が深いというだけあって、日本の町並み観光の草分けともいえる存在。大洲からすぐなので、南予を旅行するなら両方セットで立ち寄ってみると良いと思います。
 



高知県最古の酒蔵と小さいながらも活気溢れる大正町市場(高知県中土佐町久礼)

2018年02月15日 | 旅行
  
高知県高知市から県西の中核都市である土佐中村(四万十市)までは、直線距離で60kmほどあります。その間平らな土地は少なく、昔は行き来が大変でしたが、今では高速道路が7割方開通しています。この道中で私が立ち寄ったところの1つに、中土佐町の久礼(くれ)という街があります。リアス式海岸に臨む湾口の港町で、お目当てはいつもの趣味の久礼城跡でした。ですが、ここでは城跡のほかに2つほど面白いと思ったところがあったので、ご紹介します。

1つは、JR土讃線土佐久礼駅から歩いて10分ほどのところにある西岡酒造です。何気な~く前を通ったのですが、ふと脇を見ると「高知県最古の酒蔵」の文字が!ただでさえ酒豪県として知られる高知で最古の酒蔵とあっては、訪ねないわけにはいきません。



創業は、江戸時代中期の天明元年(1781)だそうです。どう考えてもっと前から酒造業者はいたと思いますが、現在まで続いている高知県内の酒蔵のなかでは最も歴史が古いということなのでしょう。伝統ある酒蔵らしく白壁土蔵造りの建物が目を引きます。

他方で、主力銘柄の名前が「純平」というのが、最古の酒蔵という歴史の深さに比べてなんというか、ちょっと違和感を覚えてしまいました^^;とはいえせっかくの出会いですから購入しないわけには参りません。車なので味見はできず、直感で純平ちゃんともう1つ、その名も「久礼」という純米酒をいただきました。お酒は嗜好品なので主観的なことはあまり言いたくないのですが、どちらもとくにクセなどはなく、すんなりと飲めるお味でした。

もう1つの見どころは、港の近くにある久礼大正町市場です。アーケードのある朝市といった感じで、規模が大きいというわけではありませんが、活気があります。その日帰りの旅だったら、あれもこれもといろいろ買いたいところだったのですが、長の旅路とてそれもかなわず。とりあえず夜のおかずにと、おかみさんが目の前で次々と三枚におろしていく鰯の刺身を数百円分いただきました。すると、気っぷの良いおかみさんによって氷やらショウガやらいろいろ付け合わされ、あれよという間に数千円分のお買い物のような包みになりました(笑)



ちょうどお昼過ぎだったので、市場のなかにある食堂に入りました。海鮮丼や刺身定食など定番もありましたが、面白かったのが、市場で好きな魚介を買って、店では焼き網とご飯とみそ汁だけを用意してくれるというもの。さっそく干物をみつくろって焼いてみました。写真を撮っていないのが残念ですが、おそらく想像される通りの素朴なおいしさです。



最初に述べた通り、高知市から四万十市までは結構な距離があります。高速道路が全線開通すればひと息で行けてしまうようになるかもしれませんが、それでもせっかくですからどこか1か所くらいは寄り道しないともったいないでしょう。酒蔵と魚屋市場が名所の久礼は、そんなときちょっと立ち寄るのにちょうど良い街だと思います。

  



杉の大杉と本山の高知屋旅館(高知県大豊町・本山町)

2018年02月11日 | 旅行
 
高知県と徳島県の境目付近の観光地というと、やはり祖谷や大歩危・小歩危が有名ですね。ですが、ここでご紹介したいのは高知県側にある「杉の大スギ」です。八坂神社の境内にあるスギの巨木で、推定樹齢はなんと3000年以上!確認されているなかでは日本最大の杉の木とされています。

高知県長岡郡大豊町の杉という地区にあるから「杉の大杉」なのですが、おそらく大杉があるから杉という地名になったのでしょう。しかも、JR土讃線の最寄り駅が大杉駅というからなおややこしい。駅からは歩いて10分ほどで行けます。車なら、高知自動車道大豊ICを下りてまもなくです。







デジカメ写真だとなかなか大きさが伝わりませんね^^;2本あるように見えますが、根本でつながっているのだそうです。ぐるっと1周50mは軽くあるんじゃないかと思います。この周囲だけ空気が違っているような、神々しさと清澄さを感じました。流行りの言い方をすれば超パワースポットだと思うのですが、幸運なことに私しか参拝客がいませんでした。

さて、杉の参拝口を出て少し上ると、美空ひばりの「遺影碑」というのがあります。美空ひばりさんは、まだ無名の少女歌手だったころに高知巡業の途上で事故に遭い、ここ大豊町で療養したのだとか。そのときにこの大杉に「日本一の歌手になれるように願掛けをし、後に見事スターになると、お礼参りに訪れたそうです。



そんな遺影碑の脇にはボタンが3つあり、押すと3つの歌が流れるようになっています。とりあえず1つポチっとなしてみたところ、想像をはるかに超える大音量!夕焼けチャイムのようにひばりさんの歌が谷間に響き渡って、どうしようかと心底たじろいでしまいました(笑)大杉の受付の人に聞いてみると、人家もそんなにないしみんな慣れっこだから大丈夫とのこと。とりあえず近所迷惑には当たらないということでようやく安心しました^^;

杉の大杉のもう1つの見どころは、どぶろくです。すぐ近くに直売店があり、自家製どぶろくを販売しています。数量限定で季節ものですから常にあるわけではないのでしょうが、運よく1本購入することができました。甘くなく少しサワーで、とっても「生きている」感のあるお酒です。道中ひと晩ずつチビチビ飲んでいたのですが、持ち運んでいる間にも少しずつ発酵が進んでいるようで、日ごとに味が変わっていくようでした。

そして、この日泊ったのは大豊ICから西に入った本山町。もう少し行くと、四国の水がめ早明浦ダムがある山間の小さな町です。なぜこの町を訪ねたかというと、戦国時代に長宗我部氏と土佐中部の覇権を争った本山氏の本拠地だったからです。趣味のお城の話はこちらでするとして、ここで取り上げたいのはお世話になった旅館「高知屋」さんです。



本山町で唯一昔から続いている旅館だそうで、中庭を囲む2階建てのかなり立派な建物は、随所に大正・昭和レトロが漂っています。



とくに私が泊った部屋は、かつてはダンスホールだったそうで、ここが町の娯楽の中心だった時代もあったのだと思うと、とても貴重な建物のように思いました。



結構大きな旅館なのですが、老夫婦お2人で切り盛りしておられます。この日は私しか宿泊客がいなかったようで、夕食も朝食も3人で卓を囲んでいろいろなお話をうかがいました。

昔ながらの旅館の一夜を楽しめましたが、いかんせん本山は正直にいって観光資源に恵まれているとはいえない地域なので心配です。ダム好きや戦国史好きの方には、ぜひふるって訪ねてみてもらえればと思います。