四国松山の観光名所といえば、道後温泉は外せないでしょう。その本館のすぐ近くに、道後公園があります。中世の湯築城の跡で、かつて動物園がありましたが、今は発掘調査に基づいて建物が復元されたり資料館が設置されたりしています。あまりにアクセスが良いので、私のような城跡好きでなくとも行ったことのある人は多いのではないでしょうか。
毎度おなじみ?道後温泉本館
伊予国の守護大名河野氏は、南北朝時代から豊臣秀吉による四国平定まで、250年近くにわたってこの湯築城を居城としてきました。河野氏の軍事力のアドバンテージは、強力な水軍の存在にあったのですが、湯築城は海から5km以上離れています。
湯築城址の復元建物
そこで、湯築とは別に河野水軍の本拠地となったのが、松山市街の北西の三津浜です。最寄りは松山市駅から6駅の伊予鉄道高浜線三津駅。湯築から、すなわち松山市中から最も近い入り江です。松山市の外港として、とくに江戸時代から戦後しばらくまでは大いに栄えていたそうです。今では、フェリーなど大型船の船着場は北の高浜に移り、南の工業地帯と総称して松山港と呼ばれているようです。
残念ながらかつてほどの賑わいはありませんが、釣り船は今なお多く出入りしているようで、釣具店がちらほら見られます。また、銀天街と呼ばれた目抜き通り沿いを中心に、昔の港街の風情が残っています。
三津浜のメインロード「銀天街」
明け方なのでひっそりとし過ぎてます(笑)
どことなく風情ある港町の風景
江戸時代からの旧家河野家
同じく山谷家
整備された共同井戸跡
さて、三津浜で名物になっているものに渡し船があります。河野水軍の惣領が町場と対岸の湊山城を行き来するために、文明年間(1469~86)に設けたのが始まりとされ、実に550年ほどの歴史をもっていることになります。乗船時間はわずか5分ほどの短い渡し船で、向こう岸にいるときは船着場のブザーを押して呼びます。
三津の渡し船
向こう岸にいるときはブザーを押せば、
こうして来てくれます。
この三津の渡しの特徴は、行政上は市道に分類されるため、公道ということで渡し賃が無料ということです。朝7時の一番乗りで、黎明の港と城山の景色を楽しみました。対岸にはお城跡のほか、小林一茶が句会を催したという洗心庵の跡があり、その先に伊予鉄道の港山駅があります。
渡し船から見た湊山城跡
洗心庵跡
ところでこの前の晩は、三津駅から歩いてすぐのところにあるドミトリー(木賃宿)に宿泊しました。民泊とならんで近年急速に増えているドミトリーですが、お遍路さんの需要を見込んでか、四国でもかなり浸透しているように思います。私が泊った日は、女性と男性のお遍路さんがいましたが、どちらも個室にお泊り。私はいちばん安い大部屋だったのですが、10数人分の2段ベッドが並ぶ部屋にこの日はなんと私一人でした。とっても得した気分でした。
まだ春休み期間中のこととてオフシーズンというわけではなかったと思いますが、おそらく松山市街からは少し離れていたせいでしょう。ですが、三津浜は上述の通り松山市とはまた違った魅力と見どころのあるところなので、松山が初めてでないという人はぜひこちらに足を延ばしてみてはいかがでしょうか。