塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

ツバメと間近でふれあえるテーマパーク? :道の駅こもち

2013年05月28日 | カテゴリ無し
  
 八ツ場ダム建設に揺れる温泉町川原湯へしばしば足を運んでいる、という話題は当ブログでも何度も扱ってきました。ダム本体着工に向けた周辺整備工事が粛々と進められていますが、ついに私が定宿としていた旅館も今月末で一旦休業し、山上の新街区に移転するということで出かけてまいりました。

 川原湯やダムについてはこれまでもいろいろ書いてきたので、そのうち回を改めるとして、今回の話題はその途中での出来事です。

 川原湯や草津、四万などの吾妻地域へは、関越自動車道の渋川伊香保ICが最寄のインターとなりますが、そこからすぐのところに「道の駅こもち」があります。群馬県の道の駅なのに、私の大好物の焼きまんじゅうが売られていないという不満を除けば、可もなく不可もない普通の道の駅です。

 ですが、ここにはひとつ人間の営みとは関係のない名物があり、それはタイトルの通りのツバメちゃんです。毎年初夏に訪れると、ツバメが頭上に営巣していて、親鳥が餌を運んでくると、狭い巣のどこにそんなに隠れていたのか、ヒナたちが一斉に大口あけて騒ぎ出します。

 今までは、母屋からトイレに向かう廊下の上の、鉄骨むき出しの屋根に巣を作っていたのですが、今年に入ってこの慣例に変化がありました。

 いつも通り頭上に巣があるなぁ、と微笑ましく眺めながらトイレに入ると、便器の壁の荷物置き場(?)の上に何やら黒い塊が…

 

はい、そうです。なんとツバメちゃんが目の前にいるではありませんか。巣立ち直前のヒナなのか、動きは鈍く、隣で放尿を始めてもなかなか逃げようとしません^^; ようやく飛んだと思ったら、今度は大の方の扉の上へ。

 

 この子のおうちはどこかしら?と思っていたら、トイレの隅っこにありました。

 

 ひさしを貸して母屋取られるとはまさにことです。道の駅としては我が物顔で生活域を拡げられては困るといった感じで、そこかしこに張り紙がしてありましたが、私としては糞害にさえ対処できればさして迷惑なものでもないし、いっそのこと「ツバメとふれあえる道の駅」として売り出してしまったらどうかとも思います(笑)。

 ただ、からっかぜ気質の群馬県民にはあまり興味をそそるものではないようで、私の他には誰も足を止める人もなかったのは、少々拍子抜けというか、残念でした。。。

  そんな道の駅こもちは、渋川伊香保ICから国道17号線を車で北に3㎞ほどのところにあります。

  



猪瀬直樹東京都知事の標準時2時間前倒し提案 :思い付きの東西2首長

2013年05月23日 | 政治
  
 西の大阪で、言わなくて良い慰安婦発言で橋下徹市長が自ら警鐘を鳴らした党存亡の危機を前倒ししているさなか、東の東京で今度は猪瀬直樹知事が要らぬ思い付き発言をかましている。5月22日に開かれた政府の産業競争力で、猪瀬知事は「日本の標準時を2時間前倒ししてはどうか」と提案した。これにより、東京の金融市場を「世界でもっとも早い時間帯から取引の始まる市場」とし、世界の金融市場における東京市場の地位を向上させようというのだ。

 少なくとも選挙時から訴えていたり、他の金融政策とセットで提言するというのであれば、一顧の価値もあろうかと思われるが、私にはどうしても先の五輪招致での失言を挽回したいがための思い付きセンセーションにしかみえない。それとても、とても失点を回復できるような発言とは思えないが。

 この話を聞いて私が思い起こしたのは、そして猪瀬知事も提案のたたき台としたのだろうと思われるのは、シンガポールの例だ。シンガポールと日本の時差は、一般的な経度区分による時間帯に合わせれば2時間とするのが妥当なのだが、中国や台湾と同じ1時間となっている。すなわち、地理上の時間帯区分よりも1時間早められているのだ。

 偶然私は今年初めてシンガポールに行ったのだが、時差が1時間と聞いてやはりとても違和感を覚えたので、ちょっと人に聞いてみた。すると、ビジネスの相手である香港など、インドシナ半島よりも東側の地域に合わせて設定されたのだという。猪瀬知事の発想は、このシンガポールの例から拝借したのではないだろうかとさえ思わせる。

 ただ、シンガポールで上手くいっているからといって、日本にそのまま導入することははなはだ問題がある。その理由は、私が思いつく限り4点ほど挙げられる。

 1つは、シンガポールが新興国であり、1965年の建国当時に、現在の標準時がすでに採用されていたということである。最初から「こうだ!」と決められていれば、それほど違和感も何も感じないだろうが、すでに長い間培われてきた生活サイクルが、突然金融の都合で2時間ずらされるとなれば、それは「ちょっと待て!」とならざるを得ないだろう。

 第2に、シンガポールは赤道に近く、四季の変化が少ない地域であるという点だ。つまり、春と夏の日照時間の差が小さく、標準時を早めても、日の出・日の入が極端な時間になるということがない。それに対して、日本はヨーロッパほどではないにしろ、夏至と冬至の日照時間の差が大きい。ただでさえサマータイム導入の是非が議論されているなか、標準時そのものを早めれば、少なくとも冬の生活には支障が出かねない。

 ここまでは、気の持ちようとして切り捨てることもできなくもないポイントであるが、次の2点はより重要である。すなわち、3点目としては、日本とシンガポールの経済構造の違いがある。シンガポールは、東京23区ほどの面積しかないという制約上、農業や製造業はまったく発展が望めず、金融と中継貿易にほとんど依存している。そのため、この2業にのみ利する政策であっても、「国策」として積極的に推進することができる。

 しかし、日本は第一次産業も第二次産業も大きく発展した国家であり、金融だけの都合で国全体を巻き込むような政策をとることは、好ましいとはいえない。まして、標準時を早めるなどということは、農水産業や製造業など他の業種にとっては、マイナスにこそなりはすれ、プラスには決してならないように思われる。

 最後に、先に挙げたシンガポールの面積が東京23区程度しかないという点も、大きな要素である。すなわち、1都市がそのまま1国の都市国家シンガポールでなら、当然ながら1都市の都合で標準時を動かすこともできるが、日本のように広さもあり地域差も激しい国家では、1都市の都合で国全体の単位を変更するというのは、相当な理由と根回しがなければできるものではない。間違っても、ぽっと出の思い付きが全国の共感を得て現実になる、などということはありえないだろう。

 以上の理由から、猪瀬知事の提案が実現される可能性はほとんどないだろうし、その必要性もほとんどなかろうと思われる。ただ、私が問題にしたいのは、標準時間変更という案件の是非以上に、やはり猪瀬知事の就任以降このかたの思い付き発言の傾向である。

 政策というものは、すべからく恩恵を受ける者もあれば、不利益を被る者もいる。単純に考えれば、恩恵に預かる者の割合が多ければ多いほど、その政策は「良い政策」となるだろう。他方で、重要なのは、どうしても出てしまう不利益を被る人たちを、いかに納得させるか、あるいは救済するかという継ぎの手である。言い換えれば、その政策のもたらす効果を十分に予測し、生じ得る弊害に対する処置まで講じていなければ、実行に値する政策とはいえないと私は考えている。

 猪瀬知事のもろもろの提案を「思い付き」とみなさざるを得ないのは、まさにこの点である。オリンピック招致では、反対する人々に「寝てろ」と発言して説得しようという姿勢すら放棄し、デメリットに触れることなく都バス24時間化を謳い、そして今回の標準時前倒し提案である。

 どれも、メリットとデメリット、効果と生じ得る弊害への対処を事前に考慮した上での提案であれば、一考の価値もあるだろうというのは、前に述べた通りだ。しかし、問題点を指摘されれば、普段から人を見下した態度がさらに一層ぶっきらぼうになるというのでは、目先の功名を狙った思い付きといわれても仕方あるまい。相手に及ぼす影響も考えず、メンツだけで高圧的な言動を繰り返す、どこかの国の将軍様と同じである。そのような思い付きセンセーション発言を繰り返すだけの人物が、この国の東西の中心都市を動かしているのかと思うと、この国の今後までもが心配でならない。

  



あゝ 憧れのカーフェリー航路

2013年05月16日 | 旅行
  
 行ったり来たりで、また九州旅行ネタです。今回の旅行では、東京から九州までカーフェリーを利用しました。カーフェリーの利点は、何といっても自分の車をもっていけるところです。電車や飛行機で行くよりはるかにたくさんの荷物を車の中に詰め込むことができ、また持って帰ることができるという点も、大きいといえます。

 私が利用したのは、オーシャン東九フェリーという会社の船で、お台場のすぐ先の有明埠頭と、北九州の新門司港を結んでいます。途中で四国の徳島港に寄港するので、四国や、淡路島を経由して阪神地域へのアクセスも可能です。

 客層は意外とさまざまで、家族連れや自転車で乗りこむ若者の姿も結構ありました。たしかに、自転車で遠くを走ってみたいという人には、貴重な運搬手段かもしれません。

 最大の難点は、時間がかかるということでしょう。東京~九州間で2晩船中泊になります。一応、夜発の早朝着なので、正味では1日半ほどの船旅になり、旅程のロスとなるのは丸1日分ということになります。この丸1日をどう過ごすかというのが、最大の考えどころでしょうか。何せ船の中ではできることも限られてしまいますし、東海海域以外は大きな都市がほとんどないので、携帯もあまり通じません。なんとかLAN環境を整備してくれれば…と思うのですが。結局、往復で本を3冊ほど読了できました。

 意外と少ないと思われるかもしれませんが、その理由は2つ目の難点にあります。それは、旅路の快適さは天候次第という点です。日頃の行いが良すぎたのか、私の船旅は行きも帰りも大シケでした。幸い、船酔いはしない方だったようで、薬なしでも行動不能になることはありませんでしたが、さすがに長時間読書をするのは無理でした。

 1、2分に1回くらいのペースで荒波に乗り上げ、その時には一瞬の無重力感の後にド~ンという鈍い轟音と衝撃が船内に響き渡ります。酔わないとはいえ、気になって眠れず、慣れるまでにかなりの時間を要しました。船内には大浴場があるのですが、時化になると閉鎖されます。それもそのはず、閉鎖されると聞いて急いで入浴すると、湯船が右へ左へ揺れるのでお湯が弾け飛んでしまい、くるぶしくらいまでの深さしか残っていませんでした(笑)。湯船の隅っこに座って、自分の側に傾くと胸くらいまでお湯が溜まりますが、反対側に傾くと素っ裸に剥かれます。

 時化による船の傾きが一定に達すると(15度だったかな?)、お詫びとして乗客全員にクオカードがプレゼントされます。貴重な時化体験の上に、クオカード2000円分もゲットでき、なかなかオツな船旅でした(次回からは御免ですが(笑))。

 時間がかかるとはいえ、遠出するのには、船旅は有効な移送手段の1つだと感じました。とくに車や自転車など、旅先で自前の移動ツールを使いたい人には、自分で運転しなくても寝てる間に向こうに着けるという利点は大きいと思います。。長の休暇が取れそうだという方は、ぜひ1度検討してみてはいかがでしょうか。

  



馬篭と妻籠と奈良井:木曽路の人気宿場の個人的比較

2013年05月12日 | 旅行
  
 先日行ってきた中山道歩き旅について、詳細は他サイトさまにお任せすると書きましたが、ひとつだけ私の視点で書き留めておこうかな、と思ったことがあります。今回の旅は、長野県と岐阜県の境に近い馬篭宿から木曽路を抜けて下諏訪宿まで歩きました。

 この木曽路には、中山道の宿場のなかでもとくに風情の残る観光地として知られる馬篭・妻籠・奈良井の3宿があります。3宿とも、江戸時代の宿の趣とはこういうものだったのだろうと彷彿させるような建物の並ぶ、歩いているだけで楽しくなる宿場町です。他方で、裏を返せばそれはしっかり観光地化されているということでもあり、それ自体はもちろん悪いことでも何でもないのですが、行き過ぎはときに弊害を生むものです。

 
坂の続く宿場:馬篭


 
静かな山あいの宿場:妻籠


 
レトロさとモダンさを兼ね備えた宿:奈良井

 
 と、このように、もちろんそれぞれ個性があるわけですが、それら自体は宿場同士に優劣を与えるものではありません。ですが、人におススメを訊ねられたとしたら、1つだけ選ばないものがあります。それは、馬篭です。

 理由は、観光客層にあります。客数については、3宿とも大型バス用の駐車場まで完備されているので、それほど差はありません。一応、もっとも静かだと感じたのは妻籠ですが、3つのなかで唯一日中の宿場を歩いていないので、たまたまだったのかもしれません。

 馬篭が他と明らかに異なるのは、観光客に占める中国語・韓国語の割合です。他の2宿も、外国でも知名度があるようで多くの外国人を見かけますが、見たところ国籍は多種多様です。ですが、馬篭に限りなぜか中国・韓国の旅行客が圧倒的に多いのです。

 前回の旅は馬篭までで、今回の旅は馬篭からだったので、馬篭宿は2度通っていることになります。その2回とも同じように感じたので、おそらく偶然ではないのでしょう。中国人・韓国人「だから」悪いということでは決してないのですが、彼らのほとんどは大団体でやってきます。狭い宿場の道を団体でふさぎ、大声で喋りまくり、人目を気にせず交代で写真を撮りまくる姿は、残念ながら見ていて気持ちの良いものではありません。これがひっきりなしにやってくるわけですから、坂道の宿場を抜ける頃にはげんなりしてしまいます。

 宿場自体の魅力とは関係ないところでの批評となってしまいましたが、やはり雰囲気を誰もが享受できる環境にあるかどうかということは、とても重要であると思います。馬篭の人たちには何の罪もないし、何か対策を講じろというのも無理な話ではありますが、何とか木曽路全体で問題をシェアできないものかと心配になってしまいました。

  



山間の生徒の朝から学級問題を考える。

2013年05月09日 | 社会考

 GWも終わってしまいましたが、みなさまいかがお過ごしでしたでしょうか。小生は3年ほど間が開いてしまった中山道歩きを再開させ、「すべて山の中」といわれる木曽路を旅してきました。旅行記については、私なんぞが書かなくとも人生の大先輩方(笑)が大勢書いておられるので、そちらにお任せすることにします。

 歩き旅は当然ながら車や電車の旅と違って移動距離には限度がありますし(私の足で1日30㎞くらい)、暗くなってしまうと迂闊に動けなくなってしまうので、日が昇っている間が勝負となります。自然と朝が早くなり、私の場合は6時30分~7時の間に出発します。

 すると、ようやくタイトル通りの話題に近づきますが、だいたい7時半くらいから地元の小中高生の登校ラッシュが始まります。ラッシュといっても、失礼ながら山間の小さな町や村のことですから、見ていて忙しないということはありません。そして、山間の子供たちは挨拶がとてもしっかりしています。路側帯を一列にやってくる小学生はもちろんのこと、家では反抗期そうな中学生も、一見イマドキの自転車2人乗りの高校生も、見知らぬ怪しい旅人にほぼ全員がきちんと挨拶をしていきます。

 もちろん、都会と違って行き交う人が少ないからこそできることではあるのでしょうが、家や学校や地域でルールとして浸透させていなければ、やはりできることではありません。私の小中学生のころを思い出すと、「今月の目標はきちんとあいさつ」みたいな形式上のスローガンなどはありましたが、実践編となると、受けた覚えがありません。

 この差はどこから来るのだろうかと考えると、生徒数というのが1つ大きな理由としてあるんじゃないかな、と思うのです。とくに、クラス単位の生徒数が重要なのではないかと(見てきたわけではないので推測ですが)。そこでふと思ったのが、1クラスの人数を減らすとか減らさないとかいう議論がかつてあったのは、どうなってしまったのだろうということです。私の小中学生のときは、1クラス30人から40人の間だったと思いますが、当時から一緒に1年間過ごしていてもほとんど印象の残らない同窓生というが必ずいたものです。接する時間の短い先生方であればなおのこと、全体の把握は困難なのではないかと思います。

 私の公立小中9年間の記憶を総合すると、どう考えても3~40人の生徒をきちんと管理できる能力をもった先生というのはほとんどいなかったように思います。先生の質がどうこうということではなくて、3~40人もの生徒のプライベートな問題までしっかり掬って処理するなどというのは、人間1人の能力を軽く超えているように思うのです。

 個人的には、それこそ「二十四の瞳」くらいがちょうど理想的なように感じます。今後、少子化により学校の教室などは余る傾向になるでしょうし、クラスが増えることで先生の間に競争意識や情報交換が生まれれば、教育の質の向上にもつながるように思います。さらに、多クラス化によって教師の需要が増えれば雇用対策にもなり、結構利点は多いのではないでしょうか。

 ソースは忘れてしまったのですが、以前一貫校の人気が高まっているという話題で、一貫校のメリットとして、生徒に継続して手厚い指導を行うことができ、いじめの発見や解決につながりやすいという意見があったのを記憶しています。ですが、私はこれはまったく逆だと考えています。むしろ起こり得るのは、手厚い生徒はさらに手厚く、手薄い生徒はさらに手薄く、という事態であり、メレオロンの言うところの「団体でファミレスとか行っていつもウエイトレスに水もらえないようなヤツ」は、それこそ一貫して隅に置かれ続けてしまう可能性があるといえます。

 そのような把握漏れを防ぐためには、職員会議やアンケート調査を増やすというよりも、単純に1クラスの生徒数を把握可能な人数にまで減らすというのが、直截的で効果の出やすい方法なんじゃないかな、と思います。そんなことを考えながら、見渡す限り山と川の木曽路を歩く連休でした。