塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

東日本大震災から6年:「原発いじめ」雑考

2017年03月12日 | 東日本大震災
   
東日本大震災から6年。5年の節目を過ぎて、さすがに直接の被害を受けていない地域では、震災は日々の生活からは離れて行っているように感じます。

他方で、昨年は他県へ避難している被災者に対する「偏見」がクローズアップされた年であったように思います。とくに、福島県から避難・転校した児童に対するいじめの問題が、にわかに緊急課題として浮上しました。

「福島県出身」→「福島第一原発事故」→「だからいじめていい」という発想は、社会についての情報が未熟な小中学生が自力で形成できるものとは思えません。「原発事故」→「原発は悪者だ」→「だからいじめていい」というワンクッションがないと、いじめに至るプロセスとしては説明できないのです。

いま最も注目されている横浜市の男子中学生の場合、現在13歳の1年生ということですから、6年前は7歳だったことになります。私が7歳のころといえば、ちょうどベルリンの壁が崩壊した年でした。テレビでニュースというものを見た記憶のなかで最も古い出来事なのですが、壁の上にたくさんの人が並んでツルハシでガツンガツンとやっている様子を眺めていて、「この人たちは何をやってるんだろう」と思ったものでした。当時感じたのはそれだけで、冷戦がどうのとか、まして自由や資本主義がどうのなどと、考えるはずもありません。

もちろん横浜の少年たちも、地震の揺れの恐怖は身をもって体感しているでしょう。とはいえ原発に対する知識は、7歳のころの私が世の中について無知だったのと同様、ほとんど真っ白だったはずです。そして真っ白だからこそ、子供というのは純粋で残酷です。「原発は悪いものだ」と誰かが情報を与えれば、「原発の事故があったらしいところから来たあいつは、やはり悪いものを持っているに違いない」という類推に、容易につながってしまうものです。

震災が起きたときに、すでに分別のある年齢だった大多数の大人は、福島第一原発を忌むことと福島県出身者を忌避することを並行させたりはしません(してしまう人が少なからず存在することも悲しい事実ですが)。ですが、情報の少ない子供たちは、手持ちの限られた知識どうしをいとも簡単につなぎ合わせてしまいます。

そうならないように、教師にしろ親にしろ、知識と分別のある大人が子供たちの情報を常に統括していなければなりません。今回の横浜のような事例は、おそらく記憶も知識もある大人が、情報を断片的に与え続けてしまった末に起きたことなのではないかと推察しています。

あと2、3年もすると、今度は地震の記憶すらあやふやな世代が中学生に進級することになります。そのときもまだ進行形であるはずの「FUKUSHIMA」について、何も知らないに等しい子供たちにどう説明するのか、早急に考えなければならないでしょう。

  



仙台駅前さくら野百貨店閉店

2017年03月01日 | 仙台
  
我が町の百貨店が長い歴史に幕…そんなニュースがしばしば報じられる昨今ですが、その残念な話題が仙台駅前にも及んできました。創業70年を迎えた仙台駅西口の「さくら野百貨店」が破産・閉店したというのです。

私の年代以上の人には、「丸光」といった方がピンとくるかもしれません。2002年に「さくら野」と改名してから十数年、順調とはいえないまでも経営はなんとか持ちこたえてると思っていただけに、突然の破産には驚きです。

仙台には、七夕祭りの会場でもある長いアーケード商店街があります。正確にはいくつかの商店会に分かれているのですが、地元ではたいがいひっくるめて「一番町」と呼んでいます。その両端付近にさくら野と仙台三越があり、T字に折れる中間地点にはもう1つ「藤崎」というデパートがあります。仙台で百貨店というと、だいたいこの3つがまず想起されるのですが、個人的なイメージとしては、藤崎が高級路線、三越は高齢層向け(気を悪くされたらすみません^^;)、そしてさくら野は庶民的といった感じです。

つまり、百貨店同士の関係でいえば、うまいこと住み分けができていたように思うのです。ただ、こと仙台駅前となると、たしかに近年は再開発や店舗の入れ替えが進んでいるように感じていました。東京で見慣れた看板が駅前や一番町界隈にも並ぶようになり、「安くてそこそこ」を求める層の獲得競争が、もっともシビアなエリアとなっているように見受けられます。

とはいえ、勝った負けたは世の常で、閉店自体は時代の流れとて仕方のないことなのかもしれません。ただ、今回のさくら野の場合は、どうやら店の閉め方に問題があったようです。

閉店というよりも、「その日、店は開かなかった」というのが正しいようで、何も知らずに訪れた客が入り口に貼り出された「閉店のお知らせ」を目にして驚くという事態になっていたそうです。地元紙には、突然の破産申請に対する債権者や商店関係者の憤りを伝える記事が掲載されています。

地元のお客さんに囲まれながら、従業員が並んで深々と頭を下げる前をシャッターがおりていく。本来ならば、そんな風に惜しまれながら最後の日を迎えてもらいたかったところですが、そうはならなかったということで、残念というか他県の人たちに対して恥ずかしいというか。地元の老舗が有終の美を飾り損ねたというのは、なんとも歯がゆさを覚えます。

一番町の様変わりも気になる今日この頃に、ちょっとこの先が思いやられるニュースでした。