塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

都知事選:石原都知事の都市ビジョン

2007年04月16日 | 政治
 注目の都知事選から一週間が経った。とはいえ、ふたを開けてみれば結局政策で争われることはほとんどなく、石原氏が全く危なげない選挙戦で圧勝した。積極的にしろ消極的にしろ、石原氏の実績と姿勢を評価したものなのだろう。

 数少ない政策論争の中で、最も分かりやすく注目を集めたのは、オリンピック招致と築地市場移転だろう。それはこの二つの政策において、石原対反石原というマスコミの描きたくてしょうがなかった対立構図が最も鮮明に現れていたからと思われる。

私自身は、この両者とも反対である。しかし、石原都政が再開したからといって、私は全く心配していない。というのも、東京がオリンピック会場に選ばれるなんて無理だろうと高をくくっているし、五輪さえ開かれなければ築地をわざわざ移転させる必要もなくなると楽観視しているからである。

 むしろ私が問題視しているのは、これらの政策発言から伺える石原都知事の「首都東京」に対するビジョンである。

 首都にはいくつかのタイプがある。すなわちパリやロンドンのような一極集中型の大都市、キャンベラやブラジリアのような政治機能に特化した小都市、あるいは北京やベルリンのような大都市ではあるが金融など一部の機能を分離しているものなど、都市の規模や機能の集中具合によってさまざまに論じられる。

 東京は、戦後一極集中の巨大都市として成長・膨張してきた。今の東京は日本人口の約四分の一を抱え、電車でも車でも、行けども行けども家が途切れることはない。他方ヨーロッパ最大の都市ロンドンでさえ、一時間も車で走れば一面の草原となる。

 「東京をこれ以上大きくしてはならない」というのが私の一貫した意見である。とりわけその膨張が無計画であるために、都市環境は無機質となり、地方はどんどん弱っている。放っておいても進行するであろうこの都市の肥大化を、ビジョンも計画もなく促進させる言動をとるのは軽薄に過ぎよう。むしろこれからの都政に期待されるべきは都市のスリム化・コンパクト化ではないだろうか。

 その面では、石原都知事も緑化促進計画や景観に配慮した交通網の整備など、まさにコンパクト化を志向する政策を打ち出してはいる。しかし選挙戦で最も熱を入れた五輪招致は、ハコモノを中心とした肥大化の発想である。都知事の政策に対する発言を聞いていると、スリム化か巨大化か一体どちらの都市像を念頭においているのか、その根底となるビジョンが見えてこないのである。ただ、たとえば首都機能移転議論における感情的な態度などから察するに(機能移転が必要かどうかはさておき)、どうも「君臨する」首都東京のようなものを思い描いている節が感じ取れる。

 もしそうだとすれば、地方のニューリーダー達が知恵を絞って地域の活性化に苦闘している中、首都東京だけが無計画・無思慮な拡大を促進あるいは黙認し続ける事態だけは何とか避けたいものと願っている。佐々淳行氏が開票後に示した「反省しろ慎太郎。されどやっぱり慎太郎。」は、私の心中を最も良く代弁してくださっている。