塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

文化とナショナリズム(1)

2006年05月14日 | 徒然
 母の日に籐の小型扇風機をプレゼントしました。僕がまともなものは贈らないだろうことは予測済みだったようです。

 さて先日、大学図書館の日・EUフレンドシップ特集で、20世紀初頭のドイツ映画『カリガリ博士』を見てきました。


 タイトルも画像もいと怪しい感じですが、当時のドイツ表現主義を代表する作品の一つで、確か北杜夫の『夜と霧の隅で』にも出てきたと思います。サイレント映画ですが、台詞の字幕が英語だったので僕としては微妙にやるせない感じがしました。
 この映画は、マッドサイエンティストのカリガリ博士が夢遊病患者を遣って連続殺人を企てるが・・・というストーリーですが、ダダやシュルレアリズムを取り入れた舞台セットや、当初は独裁者と盲従する国民を描く予定だったという逸話など、単なるホラー映画ではない深みがあります。
 しかし今日の本題は映画の紹介ではなく、このDVD(図書館の映写会ですから)の前置き部分に登場した故淀川長治氏の解説から入ります。あの独特の口調が懐かしく感慨深いのもさることながら、氏が繰り返し強調されていた、「当時のドイツには素晴らしい文化が花開いており、世界の文化の中心であった」が「現在では全く停滞してしまっている(これには全く同意である)のは何故か。それはナチス、なかんずくヒトラーのせいである」という言葉が非常に心に残りました。
 この時ふっと脳裏によぎったのは、話が一転しますが、アンネ・フランクの物語でした。本サイトのアムステルダムの写真に付記したように、僕を知る人には意外でしょうが、彼地で最も感銘を受けたのは風車でも水路でもなく、アンネの隠れ家と資料館でした。そこで僕は、彼女が文才に優れた人物であり、彼女の日記がこれほど世界的に知られることになったのは、単にその日記が戦争を生き延びたからというだけではないのだと感じました。それは後に日記の抜粋集を読んだ際に確信へと変わったのですが、この一人の文才の生涯が同じナチスによって奪われたのだという新たな認識が、淀川長治の言葉と同調したのです。
 アンネの史跡は、今では第二次世界大戦の悲惨さを伝えるものですが、穿った考え方をすれば、彼女等の悲劇は戦争それ自体とは基本的に無関係であり、ナチスの政策の犠牲者です。同様に、ドイツ文化の隆盛を葬り去ったのもヒトラーに先達されたナチスのナショナリズム(この場合は民族主義なのかもしれませんが)の極端な一部によるものといえるでしょう。
 ユダヤ人とも戦責とも関係ない文脈でナチスを持ち出しましたが、ようやく結脈まで来ました。すなわち、偏狭なナショナリズムが文化の往来をふさいでしまったとしたら、それがいかに罪であり自身にとって不利益であるかということです。現在の日本の文化的停滞が何によるものかは分かりませんが、近年日本にもこと知識層に近いところで、耳に心よい狭視野的なナショナリズムが露出してきているように感じます。