塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

カフェインフルライフ

2005年08月23日 | カテゴリ無し
もう結構前になるのですが、エスプレッソマシーンを買いました。
レギュラーのドリップコーヒーに加え、エスプレッソやカプチーノもつくれる代物です。
所謂ドトールなんかにある機械を小さくしたものと思っていただければ良いと思います。

これを買うこと自体は、帰国前から公約に掲げていました。
そもそも僕はコーヒー依存症とも言えるほど恒常的に飲んでいるので(魔法瓶持ち歩いて一日一本飲んでました)、暖かいコーヒーをいつでも楽しめるということは日常生活を豊かにして余りあります。

本当は上記のごと、ドトールにあるようなまんまを買いたかったのですが、探しても殆ど普通のコーヒーメーカーばかり。
値段等も考慮して、結局コーヒーメーカ+エスプレッソ機能といった感じのを買いました。

これにウィーンのザッハーで買ってきた豆を投入して、落ち着いた毎朝を楽しんでいます。
・・・・・・と言いたい所ですが、時差ボケが抜けたらまたいつもの通り朝に弱くなってしまったのが悩みの種です。


笑う門にはフルメタル

2005年08月18日 | カテゴリ無し
帰国してはや二週間が経ちましたが(本当に早い)、何をしたかといえば全く何もしていません。
ブログもネタにするようなことはままあるのですが、どうも気力が追いつきません。

さて、最近知らず知らずのうちにあることに違和感を覚えていることに気がつきました。

どの店に行っても、店員が笑顔且つはきはきした声で挨拶だの礼だの言ってくるのが妙に新鮮で、こちらも一々会釈だの相槌だので返すのです。
以前ならそんなもの気にも留めていなかったでしょうが、店員の笑顔率が飲食店で70~80%、レジ係にいたっては20%程度と思われるドイツに慣れてしまった僕には、それが単にマニュアルに従っているだけだと分かっていても敬意で応えずにはいられない性質になってしまったようです。
店員が真面目であればあるほど、「いえいえ、どうも。 ああ、どうも。」と辞礼合戦が展開されます。店の出掛けに背中へ「ありがとうございました。」などと声を掛けられようものなら、そこで振り返るのは流石にくどいように思い、何の返答も出来ない罪悪感を背負いながら店を後にするのです。

ベルリンの壁が崩壊したときに、西ベルリンへと雪崩れ込んだ東独市民はマックの店員が笑顔なのに大層驚いたと聞きます。もしその際彼らが日本のマックを訪れていたなら、人外か人工の生命体がレジに立っていると思ったことでしょう。

というのは勿論やや冗談が過ぎていますが、ともあれしばらくはマニュアル通りの笑顔に対する免疫を養わなければならないようです。


音信開通

2005年08月13日 | カテゴリ無し
はい、帰国しました。
ってもう一週間経ってるし。

お決まりの感想というか、暑いです。とにかく蒸し暑すぎです。
引っ越しして駅まで徒歩五分になったというのに外に出る気が起きません。

とにかくお盆明けからはエンジン全開でいかなくないので、ぐうたれていられるのも明日までです。

テレビでAAや○んこ音頭なんかが普通に流れてる現状に少々困惑してみたり。。


行く都市、来る都市

2005年08月04日 | カテゴリ無し
今ちょっと手が開いたので、軽く音信だけ上げておきます。
ウィーンについては今は割愛します。また万が一気力があれば書きます。
前回の問題の答えだけは最後に記しておきます。

さて、在独最後の晩を迎えてしまいました。
今日までの流れを軽~くたどっておくと、一昨日は昔私営の寮で一緒だった友人と飲みました。
二人でピルスをピッチャー一杯あけて、更に1メートルビール(長さ1mの木枠に14個のビールグラスが並ぶ)なる暴挙としか言いようのない飲み方をしました。

昨日は大学の友人を中心に僕の部屋で送別会を開きました。
自分でも見たことのないような料理をこさえてわいわい歓談した後、皆でビリヤードに出かけました。
名前の知らない、単色と白抜きの玉を交互に打ち合うゲーム方式で、何故か僕が全勝してしまいました。皆優しいので僕以外はキューに油でも塗っていたのでしょう。

んで今日はいろいろと片付け。
旧市街で最後の晩餐を済ませ、ラインの夕焼けを眺めて帰ってきたところです。

一年しかいなかったとはいえ、もはや名実ともに第三の故郷と呼べる町を去らなければならないのは寂しいものです。




さて前回の問題の答えですが、「教会、国家、市民」だそうです。
つまり教会と国は払ったから後はあんただよ、ということですが、こうさも当然のように教会が並列されているのは、やはり欧州社会ならではだなと思いました。


ウィーン初日

2005年08月01日 | カテゴリ無し
前述の通り、三日間以上に蒸し暑く帰国のリハーサルなのではないかと思うくらいでした。
公共交通機関やデパートなどは冷房がきいているとは限らないので、日本のようにそれらに涼を求めることは期待できません。
こんなときにおすすめなのが教会です。特に人気のない小さな教会はひんやりしていてとても快適です。
また椅子に腰掛けて休むことも出来、多少居眠りしても傍からはお祈りでもしているように見えることでしょう。
ところが今回歩行者天国に面した教会で休んだところ、出掛けに扉の取っ手に肩甲骨を険撃されてしまいました。神のささやかな仕返しでしょうか。。

ここから下は一日目の行動を簡単にまとめてみたり。
カフェについては後日まとめて記したいと思います。
さて、ウィーンという町は旧市街を囲っていた城壁が取り壊され通り(リンク)となって巡っています。到着してとりあえずこのリンクを市電で一周してみました。

・・・・・・

ウィーン狭っ!!!

市電で約2、30分。歩いてもおそらく1時間ちょいで周れてしまいます。
オスマン帝国のウィーン包囲を2ヶ月耐えたのだから、小田原城くらいのものを考えていたのだが、地形的には高崎城や上田城に似ている。
こんな狭いところに下水道もなく60万以上の人口を抱えていたのだから、そりゃあ黒死病も流行るわけだ。江戸の都市計画の偉大性を感じずにはいられなかった。

朝9時に到着したため当然ホテルにはまだ入れず、とりあえず荷物を預けられる美術史博物館へ向かう。世界三大美術館の一つだそうだが、余り僕の好みではなかった。ハプスブルク家の膨大な美術コレクションを保管しているという歴史的価値を加味すれば、頷けるものではあるけど。
まあ、要は大部分が宗教的な題材が好まれた時代のもので、キリストやその他のおっさん達の裸体を見ても何も楽しいことはないということですよ(別に裸婦を見たからって嬉しい訳でもないけど)。ルーベンスの絵なんかはどれを見ても絵の前に子供と犬が冷たくなってる構図しか頭に浮かばない。

午後はリンク内をぷらぷら。
最大の見所はシュテファン寺院。生憎肝心のところが工事中でしたが、僕はこの一年いやというほど見てきた教会の中で5本の指に入るくらい気に入りました。
特に内装がどっしりと落ち着いていて、良い雰囲気でした。

これから訪れる方には、是非地下のカタコンベに行かれることをおすすめします。
ハプスブルク家の肉体と心臓を除いた「残り」の諸器官か収められた壷や、黒死病で死んだ人々の何千という骨の山が見られてなかなかスリリングです。



最後にちょっと問題


シュテファン寺院の塔工事部分より、上の垂れ幕には
「Wenn you donate (money), we are already three.」
と書いてあります。
このthreeの意味するところが分からなくて、結局人に聞いてしまいました。
その答えはまさに欧州ならでは、という感じがしました。
尚、正解してもヒトシ君人形はあげません。