塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

非効率官営テーマパークの代表選手「吉野ヶ里遺跡」

2013年03月27日 | 社会考
    
 先日、吉野ヶ里遺跡を整備した吉野ヶ里歴史公園の「古代の森」ゾーンが開園したというニュースを目にしました。吉野ヶ里遺跡といえば、日本の先史遺跡のなかではもっとも有名なもののひとつですが、公園整備が始められてから四半世紀が経っているのだそうです。今回の「古代の森」ゾーンの完成により、全体の整備計画の75%ほどが完了したのだとか。

 小生は、偶然にもこの記事の少し前に吉野ヶ里を訪れました。いつごろのことかは、ひとつ前の記事を見ていただければだいたい察しがつくことと思います。訪ねてみての私の感想は、「お役所と学者さまがタッグを組むとここまで非効率なテーマパークができるのか!」という一言に尽きます。そもそも、計画から四半世紀が過ぎて75%しか完成していないという時点で、民間では考えられない牛歩事業といえます。なぜメディアが誰もツッコまないのか不思議でなりません。

 さて、どこから指摘したらいいか考えどころですが、まぁ順当に入口からまいりましょう。といっても入口の手前の駐車場から話ははじまります(笑)。吉野ヶ里歴史公園には、それはそれは立派な駐車場があります。吉野ヶ里は街中からはだいぶ離れたところにあり、駐車場に車を止めてまで行く所など他にないのですが、駐車料金を取られます。そこに行く客しか止めないのに駐車料金を別に取ることを「二重徴収」と勝手に呼んでいるのですが、私はこれをやられるとものすごく損をした気になってしまい、入る前からテンションが下がります。

 
立派な駐車場もご覧の有様


 この「二重徴収」自体は残念ながら珍しいものではありませんが、吉野ヶ里はさらに一味違いました。料金徴収にわざわざ人間を使っているのです。私が行ったときは1人だけでしたが、ゲートには3つのブースがあり、最大で3人を充てる予定があるようです。はっきりいって人件費の無駄です。言い切るのには理由があります。この先ずっと付いて回る一番の問題点なのですが、とにかく客がいない!快晴の午後というのに駐車場はガラッガラ。明らかに駐車料金よりゲート員の給料の方が高くついています。

 さて、それでは入場口に向かいましょう。大手遊園地のような立派なゲートの建物が目の前に現れ、入場券は自販機で購入します。そして、その脇には説明係の女性が多数待ち構えています。ただでさえ客が少ないものですから、自販機の前に立った途端に数人に取り囲まれます。言われなくても分かる券の購入の仕方をレクチャーされ、自分で探せるパンフ一式をねじ渡され、もうすでに二重徴収の件で機嫌を損ねている私はそそくさと追撃をかわして入場してしまいました。明らかに必要ない、もしくは過剰なサービスと思います。

 
とても立派な入場口。でも人はいない。


 ようやく、いよいよ遺跡内に入ります。遺跡自体は、多少やり過ぎなところも見受けられますが、さすがに学者先生のお気の済むようにやっているだけあって、ハイレヴェルな復元が実現できているようでした。しかし、いくら再現度がすばらしかろうと、入場料を取っている以上お客あってのテーマパーク。あまりの人の少なさにだんだん怖くなっていきました。たまに人がいると思うと、エリアごとに配置された説明係の職員さんでした。私が行った時でも公園の敷地は90ヘクタール弱というかなりの広さでしたが、風景写真を撮れば人を入れる方が難しく、客より職員の方が多いのではないかとすら感じました。
 
 
人気のない園内


 
まるでゴーストタウン…


 
メインポイントの1つでもこんな感じです。。

 
 園内はこのように広すぎるので、無料のバスも走らせています。時刻表に従って運行しているようで、歩いているうちに何度かすれ違ったのですが、恐ろしいことに1人たりとも乗客を見ませんでした。

 ここまでは運営、ひいては行政サイドの話が続きましたが、学者先生サイドの非効率についても触れておきましょう。そもそも四半世紀も費やして全体の75%しかできていないというのが、すでに学者先生の自己満足に付き合わされた結果のような気がしてならないのですが、それを是認できるのもお役所仕事のなせる業なのかな、と感じます。

 学者先生の自己満足はところどころで感じます。とくに気になるのが、復元した古代住居の全部にいちいち説明板と内部説明と人形を置いてくどくどと解説したがる点です。園内には何十という住居や建物が復元されていますが、それらをいちいち全部見て回る客などいると思っているのでしょうか。あなた方は飽きもせず日がな一日中楽しめるかもしれませんが、一般の人はせいぜい5、6か所見ればお腹いっぱいです。まぁ、説明版などは設置しすぎたからといって困るものではありませんが、解説員を置くのはこれまた人件費がかかります。

 このように書いてくると、とにかく人を減らせといっているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。とにかく私が指弾したいのは、地方の官営テーマパークですから雇用対策に人を雇おうというのは結構ですが、使い方があまりに無駄で非効率だといいたいのです。

 たとえば、先に挙げた駐車場要員や自販機要員の方々には園内で茶店でもやっていただいて、木の実ソフトクリームだの古代米おむすびだの販売すれば、より収益や園内活性化に寄与できるはずです。あるいは無人のバスを行ったり来たりさせるよりも、馬車や牛車にしてタクシーのようにフレキシブルに園内を回らせた方が効率も集客性も高まると思われます。おそらくは、学者先生たちが当時の景観に近づけたいとか雰囲気を壊したくないとかいって反対しているのでしょうが、だったら最初からテーマパーク化などしてはいけないのです。

 このように、私が子供の時から教科書やなんやで慣れ親しんできた吉野ヶ里遺跡は、お役所と学者先生のタッグによってかくもつまらなく非効率なテーマパークに仕立てられてしまっています。観光バスすらいないのですから、おそらくは主な収入源は周辺の学校の社会科見学くらいなのではないかと推測されます。それでもとても黒字経営ができているとは思えないので、多分各所からの補助金で放漫運営をしているのでしょう。もともとの遺跡自体がたいへんに価値の高いものだけに、現状を訪れてみてとにかく残念としかいいようがありません。一度破産して、民間の手が入ることを期待するばかりです。

  



PM2.5襲来中の熊本へ行っておりました。

2013年03月20日 | 社会考
  
 少々時宜を逸した話題ですが、中国のPM2.5が九州へ襲来し熊本で外出注意令が出された先々週末、こともあろうに私はその熊本におりました。少々忙しくて記事にしそびれてしまいましたが、そのときの空気のひどさは今でもよく覚えています。

 まずはこちらをご覧ください。

 

 ホテルの部屋から撮った熊本市内の朝です。それこそ中国のように景色が霞んでいますが、気象上は雲ひとつない快晴です。ですが視界距離は1㎞程度といったところでしょうか。

 次はこちら。

 

 熊本市と阿蘇の中間付近にある展望台からの眺望ですが、天気が良ければ下のパネルのようなパノラマが広がるそうです。雲ひとつない快晴という点では同じはずなのですが、山の切れ目すら分かりません。

 このPM2.5、景色が霞むだけなら実生活への支障はさほどありませんが、もっとも恐るべきは呼吸器にダイレクトにダメージを与えます。私はこの日の朝起きるなり喀血してしまいました。血痰ではなく、サラサラとして鮮やかな赤色をした鉄の味のする鮮血を吐いてしまったのです。おそらくは、微粒子が気管支を直接傷つけ、血がにじみ出たものだと思われます。

 私はアレルギーにはかなり強く、花粉はおろか食品から薬品まで無問題という雑草体質なのですが、今回だけは体が拒絶反応を示しているのが分かります。今でもときおり喉の奥から咳が出ます。

 ちなみに、車はひと晩で砂まみれになってしまいました。

 こうした体験からみて、PM2.5は相当に危険な大気汚染物質であると思われます。おそらくメディア報道では、今後種々の規制がかかって「PM2.5」はおろか「黄砂」という言葉の使用にも慎重になると思われます。ですが、風の強い晴天の日には多かれ少なかれこうした大気汚染物質が飛来するものとみて構えるべきでしょう。花粉症のあるなしにかかわらず、マスクは必携です。聞いた話では、クッキングペーパーを濡らしてマスクの内側に貼ると効果が高まるということだそうです。

 最後に熊本城天守から見た市内のようすを載せて〆ることにします。

 

  



震災から2年

2013年03月13日 | 東日本大震災
  
 震災から2年が経ちました。被災地の映像を目にするたび、プレハブ以外の建物がほとんど建っていない状態に胸が苦しくなります。1年・2年と経つ間に復興への想いより現実の生活の厳しさが重くのしかかり、被災地の人口流出が続いているとききます。

 おそらくですが、太平洋戦争の戦後復興よりも大きく遅れているのではないでしょうか。今なお政治家は被災地へパフォーマンスに訪れますが、具体的な政策はほとんど進展していません。未だに古代遺跡のような荒地が広がる被災地を目の当たりにしても何も感じず何も動かないというのは、もはや社会的生物としての資質すら欠けているのではないかとさえ思ってしまいます。

 とにかく資本とGOサインさえ出れば、あとはある程度ひとりでに復興は進んでいくはずです。今年こそは、被災地の風景に大きな進展がみられることを祈るばかりです。

  



社会と「慣れ」

2013年03月08日 | 社会考
  
 先日、「価格表示「税別」もOKに」という記事を目にしました。現在、法律で価格表示には税込価格を掲載することが義務付けられていますが、これを緩和して本体価格+税という形での表示を認めるということだそうです。杓子定規をやめて消費者と小売側に選択の余地を与えるものかと思ったらそうではなく、来年の消費税増税のときに値札を一斉に張り替える手間を省いて効率よく徴収できるようにするためだそうで、結局はお役人の都合による措置のようです。期間も増税から一定期間に限るそうで、官僚は本当に自分たちのためには知恵を絞って措置を講じるものです。

 この記事を読んで、税込み価格表示が義務付けられたとき、小売業界は値上がり感が醸成されて消費が落ち込むと反対していたなぁという映像がふと思い出されました。やれ100円ショップが100円と表示できなくなるとか、~98と表示して割安感を出す手法が使えなくなるとかがなっていましたが、今では税込で~98で売るようになっていますし、100円ショップで実質105円払うことになるからといってショップをうそつき呼ばわりするような人もいません。

 ほかにも、やる前にはギャーギャー反対の声が上がったが、いざ始めてみるとすぐに慣れたという例は、郵便番号の7ケタ化やたばこのタスポ、地デジ化にともなうアナログ放送の終了など、わりと散見されるように思います。こうした事例をこの歳までみてきて思うのは、人間は慣れる生き物なのだということです。そしておそらく、社会レヴェルの方が個人レヴェルよりも慣れるスピードが速いのではないでしょうか。

 したがって、何らかの政策に反対する意見が出たとき、それが「慣れ」で解決することができるのであれば、その反対意見は考慮にほとんど値しないといえるのだと思います。たとえばTPP交渉参加問題などは、お決まりの「農家は食っていけない、大変だ」を繰り返すだけでは、おそらく「慣れ」で解決できてしまう程度だと思われても仕方がないでしょう。もっと本質的な議論を反対者の側から提示しないと、後々になって「あの時の騒動は一体なんだったんだろうね」と振り返ることになってしまうものと思われます。

 人間社会と「慣れ」の関係性。これを解くことができれば、政治や社会にかなり大きな影響を与えることができる、そんな気がしてなりません。

  



滋賀県甲賀のおすすめご当地グルメ!谷野食堂の「すやき」

2013年03月03日 | 旅行
  
 今回はちょっとした小話です。世はB級グルメブーム。焼きそばにちょっと色を付けたり、何かとモツを混ぜて焼いたりしてはB級グルメと銘打って土地の名産にしようと躍起な今日この頃。マイナー一筋の小生としては、その奥にあるC級・D級グルメを見出すことに旅の喜びを得ております。今回はそんなお話。

 さきごろ、またぞろ滋賀県を訪ねた時のこと。甲賀は水口で昼時になったので、旧東海道沿いの古い街並みをぶらついていると、「谷野食堂」という製麺所兼食堂を見つけました。なんとも昔ながらの町の食堂という感じでふらふらっと惹き寄せられるように入り、製麺所兼なのだからラーメンでもいただこうかとメニューを開きました。すると、そこには「すやき」という聞きなれぬメニューが。思わず訊いてみると、焼きそばの麺をタレを使わずに素で野菜と炒めたもので、味はお好みでソースだの醤油だのをかけて食べるものだとのこと。値段も、確かにラーメンからスープ代を抜いた感じの低価格。これは試さねばと注文してみました。

 
谷野食堂さん外観


 出てきたものは当然ながら想像通りのもので、色のついていない焼きそばがラーメンのどんぶりに入ってでてきます。いきなり醤油はちょっと濃そうなのでソースをかけましたが、味はおそらく皆さんが想像される通りだと思います。ですが…美味い!とくに素で焼くことによって、普通の焼きそばの麺にはないパリパリ感がたまらなく味覚中枢を刺激します。はっきりいってソース焼きそばより私は好きです。

 

 写真は、実物ではなく店にあったサンプルです。以前にここで書いたことがありますが、私は店の方がせっかく作ってくれたものに箸もつけずに写真を撮るという行為が嫌いなので、サンプルでご勘弁ください。

 ともあれ、焼きそばにソースをからめないというのは、やってちょっと衝撃なようで実は家庭でも簡単にできてしまうワザだったりします。現に私は家で市販の焼きそばを買ってやっています。みなさんもぜひこの「すやき」をお試しになってみてはいかがでしょうか。もちろん、元祖の谷野食堂さんをお訪ねすることを一番にお勧めしますが^^ 水口は東海道の宿場町でもあり、甲賀流の忍者の里でもあり、なかなか楽しめるところだと思います。