塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

ノーベル平和賞と尖閣諸島問題:中国の対応もまずくはないか?

2010年10月15日 | 政治
  
 書かなくないペーパーがいくつかあって、更新が滞ってしまいました。最近少しずつ時間の感覚がおかしくなってきています。

 さて、少し間が開いてしまっているあいだに、チリ鉱山事故の救出作戦や小沢一郎氏の強制起訴など重要なニュースが結構ありました。そんな中で、今回気になったのは中国のノーベル平和賞に対する対応についてです。

 中国共産党政権から見れば反体制派活動家である劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に関して、中国政府は賞の発表前から神経を尖らせていたことが盛んに報じられています。しかし、伝えられているところの中国政府の工作は、彼らにとってかなり「まずい」ものだったのではないかと思っています。

 中国政府が恐れるのは、劉氏の受賞によって国内の民主化への機運が高まり、反体制運動につながることだといわれています。しかし他方で、これまでの言論封殺により、劉氏の中国国内での知名度はほとんど無きに等しいと聞いています。そして劉氏の受賞後も、徹底した言論統制によりこの状況は変わっていないようです。とすれば、劉氏が受賞しようがしまいが、国内を厳しく統率すればあまり影響はないものといえます。もちろん、受賞によって諸外国での関心が高まり、中国国外からの民主化要求が寄せられることは予想されます。しかし、いくら諸外国が民主化を要求する声明を出したところで、国内政治にまでは干渉できません。要は、とにかく黙って耐えて、国内を締め付けながら嵐が過ぎるのをひたすら待っていれば良かったわけです。それを、わざわざ受賞者発表前に知られる形で異議申し立てをしたというのが果たして合目的的だったのか。第一の疑問として湧いてきます。

 ただ、劉氏が受賞するよりもしない方が、中国政府にとって良いことは自明です。ですから、異議申し立てをすることそのものは、戦略として誤っているとまではいえないでしょう。しかし、次に疑問に思われるのは、異議を唱えるにしても何故おおっぴらに、しかも中国政府が直々にノルウェー政府に抗議するなどという方法をとったのか、という点です。そもそも、受賞者を決めるノーベル委員会はノルウェー議会が任命するそうですが、委員会はあくまで政治的には独立した機関であるとされています。ですから、文句があるなら直接委員会に言えばいいものを、何故ノルウェー政府に対して抗議したのか、いまひとつ合点がいきません。

 加えて、ノルウェーに対する圧力は中国の外務次官らを通じてかけられていたといわれています。しかし、秘密裏に政治的圧力をかけたり交渉を持とうとする場合、通常は政府外の第三者を使者にたてるものではないかと思います。政府外交筋がそう簡単に腰を動かしてしまっては、容易に嗅ぎつけられてしまうのは当然といえます。すなわち、ノーベル賞受賞者の選考に関して、政府が政府に抗議するというのは、手法として問題があったのではないかという気がします。

 ひとことでいえば、余計なことをした割には十分に効果を挙げていない、ということでしょう。そしてこのことは、翻って先月の尖閣諸島問題にも現れているように思われます。

 尖閣諸島中国船衝突事件での、日本政府の対応がすこぶるまずかったことについては、以前このブログでも記事にしたとおりです。今なお、菅政権が中国人船長を釈放したことについて、弱腰外交として非難が続いています。それでは、中国の方は日本の弱腰につけこんで「うまく」やったといえるのでしょうか。私は、中国政府の対応もそれなりに「まずかった」のではないかと考えています。

 尖閣諸島は、中国が領有権を主張しているとはいえ、日本が実効支配しています。こと離島の領有問題においては、北方領土や竹島を見れば分かるとおり、どれだけ証拠を並べて領有権を訴えても、結局のところ現下実効支配している方が圧倒的に有利です。ですから、いくら禁輸だ交友停止だ国交中断だと締め付け攻勢に出たところで、相手の実効支配をひっぺがさないことには、領有問題に対する優劣は変わりません。船長の釈放について、日本国内では折角の人質を圧力に屈して手放してしまったと嘆かれていますが、最大の人質は島そのものであり、日本はそれを手放してはいないのです。

 逆に中国の身になれば、大攻勢に出たにもかかわらず島は手に入らず、領有問題に対する優位は少しも得られませんでした。それどころか、南沙諸島など他の地域でも領土問題を抱える中国にとって、相手国との緊張をいたずらに高める危険性をもたらしたと考えられます。領土問題というものは、進展や形成の逆転が望めない限り、口だけで主張を繰り返すのが、得はしないが損もない均衡状態であると思うのです。今回の漁船衝突問題においては、口すっぱく船長の釈放を求め続け、見えないプレッシャーをかけ続けるのが、中国政府にとって最良の戦略だったのではないかなと思います。

 実際の中国は、あの手この手で目に見える締め付け策をとってきたわけですが、そんな中でレアアースの禁輸というのは、中国にとって愚中の愚だったのではないかと考えています。というのも、ノーベル平和賞のときと同じく、呼ばなくていい世界中の警戒感をわざわざ集めてしまう結果となるからです。

 レアアースは、現在中国で世界産出量シェアの9割強を占めているそうです。これはかなり極端な偏り方であり、かえって中国はその配分には気を遣う必要があります。ところが今回、中国は日本に対してレアアースの通関を差し止めたとされています(中国政府は否定しているそうですが)。このことは、日本のみならずレアアースを必要とする諸外国に、「中国は容易にレアアース禁輸に踏み込み得る」という強烈なシグナルとして受け止められたはずです。当然、各国はレアアースの中国依存からの脱却を加速させることになるでしょう。実際、日本はカザフスタンやモンゴルなど中央アジア各国における掘削権の獲得を進めているそうです。もちろん、一国が産出シェアの9割強を占めるというのは問題であり、遅かれ早かれ一国依存からの脱却が模索されることには違いないでしょう。ただ、今回の禁輸によってその動きが加速したとするなら、中国としては拙策だったといわざるを得ないでしょう。

 このように、拙速かつ無駄な動きの目立つ中国政府ですが、背景には一体何があるのか。報道や有識者の間では、中国政府内でのアピール目的であるとする見解が見受けられますが、私もそのように思います。アピール目的であるというのは容易に想像がつくとして、その対象が国民ではなく政権内部であるという点がミソといえます。私は中国の専門家ではないので、中国の内部事情に明るいわけではありません。ただ、これら2つの問題での対応からこの点は指摘できます。

 ノーベル平和賞受賞者選考における中国政府の無駄に目立つ抗議は、かえって委員会や各国の反発を招く結果となりました。この抗議活動がアピール目的を孕んでいたとすると、その対象は従来の反日活動のような国民向けのものではありえません。当の劉暁波氏の話題が国内ではタブーなわけですから。次に尖閣諸島問題においても、もし反日感情を煽りたいのであれば、船長返還よりも国内の焚きつけにいそしんでいれば良いはずです。むしろ、船長が拘束され続けていたほうが、「日本はひどいやつだ」と煽り続けられるので好都合なくらいです。しかし今回、中国政府は拙策に走ってまで船長返還やノーベル賞への抗議に躍起となりました。じっとしていれば良いところを、わざわざ動いて目先の勝利を得ようとする。そのような、近視眼的な実績を誇示する相手が国民でないとするならば、それは政局内部ということになります。すなわち、「ちゃんとやることはやってるんだぞ。」「俺たちには実力があるんだぞ。」ということを政府内に示していると考えるのが、一番妥当なように思われるのです。

 繰り返しますが、私は専門家ではないので、あくまでここに書いたことは私の所感に過ぎません。また、中国の身になってみればというレトリックで話を進めていますが、決して中国政府を擁護しようというのではありません。一連の対応で中国政府内の微妙な空気が見え隠れしているわけですが、中国がこの先徐々にでも開かれた国へと変容していくことを望んでいます。