塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

楽天三度目の解任劇

2010年10月02日 | 徒然
  
 唐突ですけど、テニスのクルム伊達選手がすごいですね。とくに初戦では、若いシャラポワにペースを作らせない試合運びで、力を技で抑える熟練の展開がみられました。やはりテニスは、いかに自分のペースに引きずり込むかが重要なんだなぁと、見ていて感じました。良くいえばベテラン、悪くいえば老練。ふと『幽遊白書』の幻海のセリフを思い出しました。「年をとれば技は練れるかけひきにも長ける――だが圧倒的な力に対して対抗しきれなくなる日は必ずくる。」伊達選手の前にまだ戸愚呂は現れていないということでしょうか。

 さて、同じスポーツでも、野球の方では楽天が監督を解任するとかで、またも醜聞を起こしています。これで、田尾氏、野村氏に続いて3代すべて契約途中での解任ということになります。僕は野球でとくにファンだというチームはありませんが、東北楽天は僕の出身地の仙台が本拠地ということで、応援はしています(以下会社と区別するためチームの方は東北楽天と表記します)。しかし楽天というオーナーについては、「一体何がしたいんだ、この会社は」といらだちばかりが募ります。

 野村氏が解雇されたときは、東北楽天は2位にまで昇っていました。このタイミングで監督をブラウン氏に代え、1年で結果が出ないからと解任するということから推察すると、楽天は「2位になる実力がチームについたのだから、次はサプライズの新監督で優勝だ~」みたいに考えていたのでしょうか。だとすれば、そんな簡単にはいかないだろうというのは素人も素人の僕でも予測がつく話です。ロボット将棋じゃないんですから、監督と選手の信頼関係や、監督の戦略に対する理解、監督の個々の選手のポテンシャルの理解など、時間をかけて醸成されなければならないステータスがチームスポーツにはあります。

 たとえば、チームのポテンシャル(個々の選手の能力の総合値)、監督の能力、監督と選手の信頼構築のコストをパラメータとして考えれば、詳しい計算は載せませんが、よほど瞬間的に信頼関係が築かれない限り、監督の交代はチームにとって論理的にマイナス要因です。ただしこの場合も、監督の能力がずば抜けて高く、信頼関係が開幕前に築かれれば、チームの強化が図れることになります。しかし、野球は相手がいるスポーツです。自分だけ高め続ければ良いというものではなく、相手を打ち負かす算段も整えなければなりません。そしてそのための余裕を、監督を交代したチームが信頼構築のコストを余分に払っている間に、他チームが余分に享受することになるのです。

 とまあ、監督を交代したからって1年やそこらで結果などそうそう出ないことは、論理的にも直感的にも明らかです。野村氏の場合は、一応3年で2位という結果が出るところまでこぎつけましたが、田尾氏のときは3年契約の1年目で、しかも寄せ集めチーム発足1年目で、結果が出ないとして解任され仙台市民の怒りを買いました。楽天はまた、同じ轍を踏むつもりなのでしょうか。役員会では野村氏の再任案も出たと聞きます。野村氏自体は球界への復帰を望んでいるそうですが、たとえ野村氏にその気があったとしても、自分で解任しておいて、どの面下げてお願いするつもりなのでしょうか。この会社は、礼や信や義といった言葉とは無縁のようです。

ここまで来ると、推測されるなかでもっとも納得のいく楽天の戦略は、「市民の声など聞く耳を持たず、優勝するまで監督を挿げ替え続け、優勝さえすれば市民などこちらになびくだろう」というものでしょう。つまりは地元も選手も監督も、楽天にとっては振り回すだけの駒にすぎないのですかね。

ちなみに僕は、愛すべきチームにさえなってくれれば、別に優勝なんかしなくってもいいと思っています。子供のころは、万年最下位の阪神が大好きでした。むしろ上位常連になって、選手獲得に大枚はたくようになるにつれて好きではなくなっていったくらいです。それこそブラウン監督の前任地の広島などは、そういった「地元に愛されるチーム」の好例でしょう。僕としては、東北楽天には巨人や今の阪神を真似るよりは、広島や横浜に近づいてほしいなぁ、と願っています。

 余談ですが、仙台つながりで面白いコミックを紹介しているサイトを見つけました。仙台人に郷土自慢させると、だいたいこんな感じです(笑)。