私達が悩み苦しむ時、それはあなた方の慰めと救いになります。(1:6)
コリントを離れてから約3年後、教会で深刻な問題が発生している事を聞いたパウロは、その解決に向けて手紙を出し(5:9)、テモテを教会に送った(16:10)。それとほぼ同時に、教会から3人の信者(16:17)が質問状を持って、エペソにいたパウロの元を訪れた。その時に直接、コリント教会が抱えている問題を聞いたパウロが、その質問状の返信として送ったのが第一コリント書である。
ところがこの返信は、逆にパウロに対する不信感を煽らせ、両者の関係を悪化させてしまう。このままではダメだと言うことで、パウロはエペソから約300㌔の海路を渡り、急遽コリントを訪問した。しかし、その必死の努力も空しく、結局、最初の手紙も、第一コリント書も、そしてこの2度目の訪問も、全て失敗に終わってしまった。
そこでパウロは涙ながらに3通目の手紙書いた。パウロはこの涙の手紙をコリントの人々がどのように受止めたか気になり、教会に派遣していたテトスからの報告を受ける為、トロアスで待ち合わせていた。ところが、待てど暮らせどテトスは来ない。この時のパウロは、かなり心労が重なり、相当困窮・困惑していた。
やっとの思いで、マケドニヤでテトスと会うことが出来、コリント教会の人々が悔い改めたという報告を受けて、やっと安堵の気持ちで書いたのがこの第二コリント書である。ところが、これでハッピ−エンドで終わらないところがコリント教会が一筋縄では行かない所で・・。(メッセージより抜粋)
コリントを離れてから約3年後、教会で深刻な問題が発生している事を聞いたパウロは、その解決に向けて手紙を出し(5:9)、テモテを教会に送った(16:10)。それとほぼ同時に、教会から3人の信者(16:17)が質問状を持って、エペソにいたパウロの元を訪れた。その時に直接、コリント教会が抱えている問題を聞いたパウロが、その質問状の返信として送ったのが第一コリント書である。
ところがこの返信は、逆にパウロに対する不信感を煽らせ、両者の関係を悪化させてしまう。このままではダメだと言うことで、パウロはエペソから約300㌔の海路を渡り、急遽コリントを訪問した。しかし、その必死の努力も空しく、結局、最初の手紙も、第一コリント書も、そしてこの2度目の訪問も、全て失敗に終わってしまった。
そこでパウロは涙ながらに3通目の手紙書いた。パウロはこの涙の手紙をコリントの人々がどのように受止めたか気になり、教会に派遣していたテトスからの報告を受ける為、トロアスで待ち合わせていた。ところが、待てど暮らせどテトスは来ない。この時のパウロは、かなり心労が重なり、相当困窮・困惑していた。
やっとの思いで、マケドニヤでテトスと会うことが出来、コリント教会の人々が悔い改めたという報告を受けて、やっと安堵の気持ちで書いたのがこの第二コリント書である。ところが、これでハッピ−エンドで終わらないところがコリント教会が一筋縄では行かない所で・・。(メッセージより抜粋)
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この手紙は、パウロさんがコリント教会に宛てた複数の手紙の集合体ではないかと言うのが、多くの神学者の見解ですが、このような形で新約聖書の中に構成されているのも神様の摂理です。
一生懸命、神様の愛を時、実践に導こうとするパウロさんを、コリント教会の一部の人々、指導者は、中傷、誹謗します。その事でパウロさんが、疲れ切り、落胆していたことが使徒言行録の中で語られています。
しかし、それでもパウロさんが、決して諦めることなく、彼らに何度も手紙を書いたのは、彼が、手紙で記しているように、どんな状態の自分であろうとも、「ひたすら主に喜ばれるものでありたい」と言う動機付けがあったからに違いありません。
生活における一つ一つの行動がただ、「ひたすらに主に喜ばれるものでありたい」と願いながら、また、一週間を始めようと決意しました。
Ⅱコリント書は、パウロからの複数の手紙の集合体であると言われているそうですが、パウロが送った手紙がおそらく5通。そこには、折角建てたコリント教会の問題多発に、何とかして主の教会として立ち上がるように、何度も手紙を書いて彼らへの説得、慰めのための必死の手紙がありました。励ましが誤解を生じさせたり、涙ながらに書いた手紙、和解のための手紙、弁明のための手紙とコリント教会の問題解決のため、パウロは離れていても常にコリント教会のことが心にあったのです。理解してくれる人には感謝の言葉、また批判、反抗している人には悔い改めを諭すパウロの思いは、自分が批判されることへの弁明では決してなく、主がなさったことをに対する弁明であり、主の御業を汚すことはどうしてもしてはならないという思いからの必死の手紙、やりとりであったこと。このパウロの主の働きの為の熱い使命感、主のための必死さに私は何と言えば良いのか、本当に感動しました。(ベタですが・・)
さぁ、今この書簡を読む私たちはどうするのか?パウロがコリント人への手紙の中で語られた言葉一つ一つを、その宣教を受け継ぐものとして、語り続けたいと思います。私の持っているものが少なくても、それを必死で主のために捧げるなら、それが広がって行く。今の状況が苦しくて、うまくいかないように思えても、パウロの苦しみの宣教が益となったように、主の栄光がその宣教の地に注がれることを信じます。
素晴らしい、腰が抜けるメッセージでした。感謝です
その時は、どうしたらいいのか分からないほどの絶望感だが、今から思い返せばそれは私の糧になっている。神様によれば、辛い事も悲しかった事も、全ては益になるのだ!私は、それをこれまでの経験で知ることが出来た。だから、これからも辛いことがあっても、必ず乗り越えられるし、それは必ず私の成長に繋がると信じて、神様により頼んでいきたい。
文脈が続かないなー?と思っていたのですが、その理由が先生のメッセージで分かりました。(複数の手紙の集合体だと)なんと複雑な。 でも宝の宝庫ですね。一番に思い出したのは5章17〜21節です。ヘンリー先生がこれが私たちの力だとおっしゃっていました。 何度読んでも新しいです。
4章18節の「見えないものに目を注ぎます」から、へブル11章1〜3節、第二コリント10章4〜6節へと思いが行きます。この10章は力に溢れていますね。本当に励まされます。
田中先生のメッセージを聞いていつも思わされるのは、牧会は大変なことだと言うことです。メッセージから与えられた視点で見ると、牧会書簡にも見えてきました。パウロは、必要な時に主が来られて力(主の思い・主のご計画)が与えられていたとみています。
彼はいつも、主と会話していたと。私も、絶えず主と会話することが身につくように訓練します。(私は間違いだらけですので)
最後に昨年の6月31日〜24日の田中先生来県の際開かれたルカ22章14〜16節のお言葉を味わい締めくくりたいと思います。「イエスは食事の席につかれた…。苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過ぎ越しの食事をしたいと、私は切に願っていた。言っておくが、神の国で過ぎ越しが成し遂げられるまで、私は決してこの過ぎ越しの食事をとることはない」
まだ、神の国では過ぎ越しはなされていないのですね。イエス様は私たちと過ぎ越しの食事をしたいと切に願っていると私は思わされています。みんな揃って!!
御心が地上でなされ、御国が早く地上に来ますように。