〇姜尚美『京都の中華』(幻冬舎文庫) 幻冬舎 2016.12 表紙の糸仙(いとせん)の酢豚の写真に惹かれて、京都の美味しい中華屋さんの情報を仕入れておけば、いつか役に立つかもしれないと思って読んだ。そうしたら、京都の中華の歴史について、いろいろ思わぬ興味深い話を知ることができた。
前半は京都の中華17店が一押しの名品とともに紹介されている。カラー写真が嬉しい。下鴨・蕪庵(ぶあん)の三絲魚翅、河原町四条・芙蓉園の鳳凰蛋、祇園・盛京亭の焼飯、みんな美味しそう。全然知らなかったけれど、むちゃくちゃ食べてみたくなる。取り上げられている店のランクというか雰囲気はいろいろで、枯山水のお庭を眺めながらいただく「数寄屋中華」の蕪庵などは、たぶん私には生涯、縁がなさそう。一方で、近所の職人さんがサッと来て食べていく「町中華」の芙蓉園や、京都造形美術大学の学生さんに親しまれている駱駝などのお店もある。本書は2012年刊行の単行本を文庫化したもので、残念ながら「閉店」の注記が加わっているものもあった。
どの店についても繰り返し語られているのは、本場の中華料理とはまるでかけ離れた、京都らしい味付け。「だし好き」「かしわ好き」「卵とじ好き」「青ねぎ好き」「薄味」「さっぱり」「甘口」など。特に祇園では、芸妓さん、舞妓さん、ホステスさんに(デパートの店員さんにも)匂いがつくものは嫌われるので、にんにくやラードを使わない、香辛料も控えめな中華が主流になったというのは納得がいく。
そんな京都の中華がどのように生まれたか。大正時代、京都初の中華料理店として祇園に創業したのは「支那料理ハマムラ」で、その系譜は現在の「中華料理ハマムラ」につながっているという。本書で唯一、私が知っていたのはこのお店。現在は京都駅の近鉄名店街に入っているけど、リニューアル前の京都駅の頃から好きだった。
かつての「ハマムラ」が迎えた最初の本格的な中国人の料理長が高華吉さんで、本書の後半には、このひとの詳しい紹介がある。「当時は中華食材が十分になかった上、和食の街である祇園でやっていくのに京都風のアレンジが必要だった」ため、はじめは相当苦労したという。やがて高さんは独立して「飛雲」「第一楼」「鳳舞」などの店を開業し、多くの弟子を育てた。高さんの味を受け継いだ店を本書では「鳳舞系」と呼んでいる。ちなみにもう一つの流派は盛京亭派。なるほど、料理人の世界には、こういう師弟関係に基づく流派があるのだな。和食の街に適応した「京都の中華」のルーツが、ひとりの中国人料理人であるというのはとても興味深い。
本書の後半には、京都の老舗料亭「菊乃井」の料理人で大の中華好きの村田吉弘氏が「京都の中華」を語るインタビューが収録されている。「料理というもんは、いろんな国でいろんな発展の仕方があってしかるべき」と考える村田さんは「最初に日本に来た中華の人らは、こういう京都特有の中華になっていくのをイヤやと思てたわけはないと思うよ。食いもんていうのはおいしければええんで、そこの人らがそれらを食べて幸せになればええんで」という。なんて素敵な言葉。
著者の姜尚美さんも「本場や本物を追求するのは、もちろん素晴らしいことだ。でも、あまりにそれを追い求めると、『正解の味』はたったひとつになってしまう」と控えめに危惧を述べている。土地の歴史と風習に合わせた、そこにしかない味があっていいのではないか。私はこういう考え方に賛成だ。最近、外国人に「本当の和食のつくりかた」を教えるテレビ番組があると聞いたが、本書を読んで考え直してもらいたい。
村田さんのインタビューによれば、京都の中華屋さんはみんな気楽に商売しているそうで、平気で長いこと休んだり、メニューも年中同じなのだそうだ。これもいいなあと思う。それから高華吉さんが有次の中華包丁を使っていた話、村田さんが料理人の視点から「日本の刃物は世界一」と述べているのも興味深かった。むかしは餃子の皮を茶筒で抜いて量産していたとか、十二段家の「牛肉の水炊き」(現在のしゃぶしゃぶ)が中国の涮羊肉から生まれた逸話なども収載。