〇横山百合子『江戸東京の明治維新』(岩波新書) 岩波書店 2018.8
昨年2018年は明治元年(1868)から150年に当たり、さまざまな記念行事や関連図書の出版が行われた。その中には、くだらない一過性のものもあったけれど、これは普通に読み継がれる価値のある1冊だと思う。維新の激動に飲み込まれた江戸東京を、旧幕臣、床店を営む零細商人、遊女、など、多様な人々の目線から描く。
はじめに記述されるのは、切絵図や屏風に描かれた幕末の江戸城の姿。江戸城に接する「大名小路」(東京駅・有楽町駅周辺)には御三卿、大老など、徳川家に近い諸藩の屋敷が立ち並んでいた。1868年春、東京開城が決まり、東征軍による江戸の占領統治が始まる。9月には元号が「明治」に改まり、東京府政が始まり、天皇の東幸が行われた。へええ、庶民に3000樽の酒とするめ・かわらけ・瓶子が配られたのか。1869年春、二度目の天皇東幸に際しては吹上苑が全面開放され、人々は遅い花見を楽しんだ。次々に仕掛けられる華やかな官製イベントは、その裏で多くの人々が先行きに不安を抱えていたことを感じさせる。江藤新平は「唯都下人情を鎮静するを以て一筋の目的となせり」と述べているそうだ。
維新後、諸藩の大名や藩士が帰国し、旧幕臣の半数が徳川家に従って静岡に移住してしまうと、江戸の人口は急減し、特に武家地は荒廃したが、やがて天皇の在所として江戸城の整備が進むと、旧幕閣の屋敷は公家・皇族の屋敷に代わっていく。大名小路が官庁街となり、浜町から築地に至る大川端は薩長土肥関係者の所有割合が高まる。この変化を本書は、地図資料を用いて、丹念に追っている。土地の風景って、けっこう変わっているものなのだ。
東京新政府の喫緊の課題は、治安の回復と維持だった。そのためには、脱藩浮浪士などの危険分子をあぶり出さなくてはならない。そこで新政府は戸籍の編成に取り組んだ。これは近代の「戸籍」が何のためにあるのか、治安維持の道具として生まれたことをはっきり示している。しかし、新政府は京都で行われていた身分別の戸籍仕法を持ち込んだため、激しく流動する東京の住民の把握には全く役に立たなかった。そこから新政府は、身分統治の完全廃止へと飛躍していくことになる。この説明は、全く考えたことのなかった視点で非常に面白かった。
著者によれば、近世の身分とは、何らかの公的な役割を担うと同時に社会的な特権を認められた身分(職分)集団である。幕府や藩は、身分集団に一定の自律性を認め、身分に依拠した統治を行った。遊郭もそのひとつと言ってよい。近世社会においても人身売買は禁じられていたが、「遊郭」という小集団においては、事実上の人身売買を「奉公」の労働契約と言い抜けることが許されていた。「幕府法は必ずしも個々の集団内部の問題を統一的に支配しようとはしない」という驚くべき一文にしっかり線を引いておきたい。
近世社会は遊郭を当然の存在とみなすがゆえに娼婦への蔑視はなかった。例として紹介されている、遊女はいやだ、素人にしてほしいと結婚を願い出た遊女「かしく」の歎願書は可愛らしくも切ない(東京都公文書館所蔵)。解放令以後、売春は娼妓が「自由意思」で行うものになった。しかし、むろんこれは建て前である。遊郭解体以後の近代には、遊女への共感や憧れは消え、蔑視が前面に現れてくる。この問題は現代のジェンダー認識まで尾を引いていると思う。
最後にと呼ばれた人々について。関八州では浅草に住む弾左衛門が、斃れ牛馬の皮革処理や行刑などを担う人々、乞食を生業とする人々などを支配していた。1871年の廃止令によって、その支配は終了する。弾左衛門(弾直樹)とその配下の人々は、製靴業や牛肉産業に進出して、維新後の社会を生きていく。三味線皮渡世の小林健次郎の名前は初めて聞いた。屠牛商人たちと時に対決し、特に結託したのは牛鍋「いろは」の木村荘平。この人物も面白い。こうして明治の東京は、混沌の中から姿を現していく。
昨年2018年は明治元年(1868)から150年に当たり、さまざまな記念行事や関連図書の出版が行われた。その中には、くだらない一過性のものもあったけれど、これは普通に読み継がれる価値のある1冊だと思う。維新の激動に飲み込まれた江戸東京を、旧幕臣、床店を営む零細商人、遊女、など、多様な人々の目線から描く。
はじめに記述されるのは、切絵図や屏風に描かれた幕末の江戸城の姿。江戸城に接する「大名小路」(東京駅・有楽町駅周辺)には御三卿、大老など、徳川家に近い諸藩の屋敷が立ち並んでいた。1868年春、東京開城が決まり、東征軍による江戸の占領統治が始まる。9月には元号が「明治」に改まり、東京府政が始まり、天皇の東幸が行われた。へええ、庶民に3000樽の酒とするめ・かわらけ・瓶子が配られたのか。1869年春、二度目の天皇東幸に際しては吹上苑が全面開放され、人々は遅い花見を楽しんだ。次々に仕掛けられる華やかな官製イベントは、その裏で多くの人々が先行きに不安を抱えていたことを感じさせる。江藤新平は「唯都下人情を鎮静するを以て一筋の目的となせり」と述べているそうだ。
維新後、諸藩の大名や藩士が帰国し、旧幕臣の半数が徳川家に従って静岡に移住してしまうと、江戸の人口は急減し、特に武家地は荒廃したが、やがて天皇の在所として江戸城の整備が進むと、旧幕閣の屋敷は公家・皇族の屋敷に代わっていく。大名小路が官庁街となり、浜町から築地に至る大川端は薩長土肥関係者の所有割合が高まる。この変化を本書は、地図資料を用いて、丹念に追っている。土地の風景って、けっこう変わっているものなのだ。
東京新政府の喫緊の課題は、治安の回復と維持だった。そのためには、脱藩浮浪士などの危険分子をあぶり出さなくてはならない。そこで新政府は戸籍の編成に取り組んだ。これは近代の「戸籍」が何のためにあるのか、治安維持の道具として生まれたことをはっきり示している。しかし、新政府は京都で行われていた身分別の戸籍仕法を持ち込んだため、激しく流動する東京の住民の把握には全く役に立たなかった。そこから新政府は、身分統治の完全廃止へと飛躍していくことになる。この説明は、全く考えたことのなかった視点で非常に面白かった。
著者によれば、近世の身分とは、何らかの公的な役割を担うと同時に社会的な特権を認められた身分(職分)集団である。幕府や藩は、身分集団に一定の自律性を認め、身分に依拠した統治を行った。遊郭もそのひとつと言ってよい。近世社会においても人身売買は禁じられていたが、「遊郭」という小集団においては、事実上の人身売買を「奉公」の労働契約と言い抜けることが許されていた。「幕府法は必ずしも個々の集団内部の問題を統一的に支配しようとはしない」という驚くべき一文にしっかり線を引いておきたい。
近世社会は遊郭を当然の存在とみなすがゆえに娼婦への蔑視はなかった。例として紹介されている、遊女はいやだ、素人にしてほしいと結婚を願い出た遊女「かしく」の歎願書は可愛らしくも切ない(東京都公文書館所蔵)。解放令以後、売春は娼妓が「自由意思」で行うものになった。しかし、むろんこれは建て前である。遊郭解体以後の近代には、遊女への共感や憧れは消え、蔑視が前面に現れてくる。この問題は現代のジェンダー認識まで尾を引いていると思う。
最後にと呼ばれた人々について。関八州では浅草に住む弾左衛門が、斃れ牛馬の皮革処理や行刑などを担う人々、乞食を生業とする人々などを支配していた。1871年の廃止令によって、その支配は終了する。弾左衛門(弾直樹)とその配下の人々は、製靴業や牛肉産業に進出して、維新後の社会を生きていく。三味線皮渡世の小林健次郎の名前は初めて聞いた。屠牛商人たちと時に対決し、特に結託したのは牛鍋「いろは」の木村荘平。この人物も面白い。こうして明治の東京は、混沌の中から姿を現していく。