〇『九州・海上牧雲記』全75集(2017年、九州夢工廠国際文化伝播有限公司)
このところ中華圏ドラマにハズレなしという感じだったが、これはちょっと微妙。しかし駄作というわけではない。理由はゆっくり説明する。
本作はジャンルでいうと「玄幻ドラマ」(ファンタジー)に属する。「九州」は7人の作家が共同創作した架空世界で、内海を囲む3つの大陸には、緑地も草原も雪と氷の大地もあり、人族、羽族、鮫族、河洛、夸父、魅族が暮らしている。人族はいくつかの集団に分かれ、皇帝を戴き、古代中国ふうの文化・生活様式(ただし日本・韓国のテイストが少し混じる)を持つ華族のほか、北の草原地帯には蛮族(遊牧民)の小集団が割拠している。もちろん、こうした予備知識がなくてもドラマは十分楽しめる。
主人公は三人の少年ということになるのだろう。北の草原に暮らす蛮族の少年・碩風和葉は、華族・穆如氏の鉄騎兵によって両親を殺害され、捕らえられて中州に送られる。いつか復讐を遂げ「鉄沁」すなわち天下の王となることを誓う碩風和葉を打奴(剣闘士)として買ったのは、公主にして男勝りの少女戦士・牧雲厳霜だった。
中州の皇都・天啓城では、折しも皇太子に仕える秀女の選抜が行われており、田舎娘の蘇語凝(スーイーニン)を占った星読みの国師は、彼女が皇后となる運命であることを告げる。とまどう蘇語凝は、二人の少年と知り合う。ひとりは風来坊の穆如寒江。実は瑞朝の大将軍・穆如槊の三男だったが、この子は皇帝になるという予言を受けたことから、皇帝・牧雲氏に忠義を誓う父は、予言の成就を恐れて我が子を棄てた。しかし、少年・寒江の前に謎の男が現われ、出生の秘密を教える。もうひとりは、皇帝・牧雲勤の第六皇子である牧雲笙。母の銀容は魅族(精霊)で、皇帝に深く愛されたが、周囲の嫉妬と讒言によって死を賜り、牧雲笙自身も、天下大乱をもたらす宿命の子として父に避けられていた。
こうして孤独な運命を背負った少年少女たちが出会い、また別れていく。牧雲笙・蘇語凝・寒江は、基本的に中州の貴族社会をベースに活動するのだけど、故郷に戻った碩風和葉は蛮族が割拠する草原地帯で独特の人生を歩んでいく。血腥い殺戮が繰りひろげられる蛮族の世界と、陰謀うずまく貴族社会は、どちらも気が許せない。
牧雲笙は、魅族の女性・盼兮(パンシー)に出会い、惹かれ合う。悪の企みによって盼兮を奪われた牧雲笙は、怒りのあまり、自分の中に秘めた恐ろしい力を解き放ちかける。寒江は、蘇語凝を守ろうとした結果、母を失い、一族に多大な災厄をもたらし、そのことを悔いて蘇語凝に冷たい態度を取ろうとする。碩風和葉は戦場で再び牧雲厳霜と巡り合うが、敵どうしとなった二人は結ばれることができない。ほかにも多くの登場人物の、男女、家族、朋友、あるいは主従の愛と嫉妬が、途切れることのない織物の文様のように描かれている。
私は男性主人公の中では、竇驍(ショーン・ドウ)の寒江が好きだった。正統派イケメンではないが、純朴さと繊細さが混じり合い、悪ガキっぽい可愛らしさもある。孤独な牧雲笙(黄軒)のただ一人の友人となって(少なくとも本編の)最後まで裏切らないところもよい。
女性は個性的な美人揃いだったが、やっぱり南枯月漓が好きだ。どんな逆境にもくじけず、天下一の女人(皇后)を目指して、権力欲のままに生き抜く。『三国機密之潜龍在淵』で好きになった万茜ねえさんが演じていて、華奢な体に似合わないパワフルな演技が、今回も素晴らしかった。牧雲厳霜役の張佳寧は、気位の高い女将軍から、敵を愛したことに苦悩する女性へと、別人のように変わっていく表情が魅力的。
75集という長丁場の中で登場人物たちは、逆境、絶望、ひとときの幸せ、後悔などを重ねて、ゆっくり変わっていく。もちろん途中で消えていくキャラもいるが、前半ではどうせチョイ役だろうと思っていた人物が、思わぬ変貌や復活を遂げることもあって感慨深かった。牧雲笙の侍女の蘭鈺児(何杜娟)や武将の虞心忌(馮嘉怡)、寒江の兄である穆如寒山(曲高位)、九州客桟の掌柜(番頭)の秦玉豊(林鹏)もよかった。このドラマの登場人物たちの多くは、どこか歪んだ、満たされない愛情(愛着)を抱えていて、それゆえ奇行や非行に走るのだが、そこに人間の本質が感じ取れて、私の琴線に触れた。
しかし、70集を過ぎて終盤になっても、物語が全く収束に向かう気配がない。これどうするんだろう?と思っていたら、最後はまるでぶった切るように終わってしまった。主人公たちを苦しめた予言の成就がどうなったのか、ひとつとして分からない。ええ~どういうこと?と思って調べたら、実は原作の三分の一くらいしか映像化されていないらしい。そして続編の製作は未定なのだ。そうそう、中国のドラマってこういうことを平気でするんだった。
日本だったら、原作とは別に、無理やりドラマのオチをつけると思うのだが、中国はそれをしない。あとは続編を待つしかないのか。ドラマのクオリティが高いだけに、このやり場のない不満というか脱力感をどうしたらいいものか、途方にくれている。
このところ中華圏ドラマにハズレなしという感じだったが、これはちょっと微妙。しかし駄作というわけではない。理由はゆっくり説明する。
本作はジャンルでいうと「玄幻ドラマ」(ファンタジー)に属する。「九州」は7人の作家が共同創作した架空世界で、内海を囲む3つの大陸には、緑地も草原も雪と氷の大地もあり、人族、羽族、鮫族、河洛、夸父、魅族が暮らしている。人族はいくつかの集団に分かれ、皇帝を戴き、古代中国ふうの文化・生活様式(ただし日本・韓国のテイストが少し混じる)を持つ華族のほか、北の草原地帯には蛮族(遊牧民)の小集団が割拠している。もちろん、こうした予備知識がなくてもドラマは十分楽しめる。
主人公は三人の少年ということになるのだろう。北の草原に暮らす蛮族の少年・碩風和葉は、華族・穆如氏の鉄騎兵によって両親を殺害され、捕らえられて中州に送られる。いつか復讐を遂げ「鉄沁」すなわち天下の王となることを誓う碩風和葉を打奴(剣闘士)として買ったのは、公主にして男勝りの少女戦士・牧雲厳霜だった。
中州の皇都・天啓城では、折しも皇太子に仕える秀女の選抜が行われており、田舎娘の蘇語凝(スーイーニン)を占った星読みの国師は、彼女が皇后となる運命であることを告げる。とまどう蘇語凝は、二人の少年と知り合う。ひとりは風来坊の穆如寒江。実は瑞朝の大将軍・穆如槊の三男だったが、この子は皇帝になるという予言を受けたことから、皇帝・牧雲氏に忠義を誓う父は、予言の成就を恐れて我が子を棄てた。しかし、少年・寒江の前に謎の男が現われ、出生の秘密を教える。もうひとりは、皇帝・牧雲勤の第六皇子である牧雲笙。母の銀容は魅族(精霊)で、皇帝に深く愛されたが、周囲の嫉妬と讒言によって死を賜り、牧雲笙自身も、天下大乱をもたらす宿命の子として父に避けられていた。
こうして孤独な運命を背負った少年少女たちが出会い、また別れていく。牧雲笙・蘇語凝・寒江は、基本的に中州の貴族社会をベースに活動するのだけど、故郷に戻った碩風和葉は蛮族が割拠する草原地帯で独特の人生を歩んでいく。血腥い殺戮が繰りひろげられる蛮族の世界と、陰謀うずまく貴族社会は、どちらも気が許せない。
牧雲笙は、魅族の女性・盼兮(パンシー)に出会い、惹かれ合う。悪の企みによって盼兮を奪われた牧雲笙は、怒りのあまり、自分の中に秘めた恐ろしい力を解き放ちかける。寒江は、蘇語凝を守ろうとした結果、母を失い、一族に多大な災厄をもたらし、そのことを悔いて蘇語凝に冷たい態度を取ろうとする。碩風和葉は戦場で再び牧雲厳霜と巡り合うが、敵どうしとなった二人は結ばれることができない。ほかにも多くの登場人物の、男女、家族、朋友、あるいは主従の愛と嫉妬が、途切れることのない織物の文様のように描かれている。
私は男性主人公の中では、竇驍(ショーン・ドウ)の寒江が好きだった。正統派イケメンではないが、純朴さと繊細さが混じり合い、悪ガキっぽい可愛らしさもある。孤独な牧雲笙(黄軒)のただ一人の友人となって(少なくとも本編の)最後まで裏切らないところもよい。
女性は個性的な美人揃いだったが、やっぱり南枯月漓が好きだ。どんな逆境にもくじけず、天下一の女人(皇后)を目指して、権力欲のままに生き抜く。『三国機密之潜龍在淵』で好きになった万茜ねえさんが演じていて、華奢な体に似合わないパワフルな演技が、今回も素晴らしかった。牧雲厳霜役の張佳寧は、気位の高い女将軍から、敵を愛したことに苦悩する女性へと、別人のように変わっていく表情が魅力的。
75集という長丁場の中で登場人物たちは、逆境、絶望、ひとときの幸せ、後悔などを重ねて、ゆっくり変わっていく。もちろん途中で消えていくキャラもいるが、前半ではどうせチョイ役だろうと思っていた人物が、思わぬ変貌や復活を遂げることもあって感慨深かった。牧雲笙の侍女の蘭鈺児(何杜娟)や武将の虞心忌(馮嘉怡)、寒江の兄である穆如寒山(曲高位)、九州客桟の掌柜(番頭)の秦玉豊(林鹏)もよかった。このドラマの登場人物たちの多くは、どこか歪んだ、満たされない愛情(愛着)を抱えていて、それゆえ奇行や非行に走るのだが、そこに人間の本質が感じ取れて、私の琴線に触れた。
しかし、70集を過ぎて終盤になっても、物語が全く収束に向かう気配がない。これどうするんだろう?と思っていたら、最後はまるでぶった切るように終わってしまった。主人公たちを苦しめた予言の成就がどうなったのか、ひとつとして分からない。ええ~どういうこと?と思って調べたら、実は原作の三分の一くらいしか映像化されていないらしい。そして続編の製作は未定なのだ。そうそう、中国のドラマってこういうことを平気でするんだった。
日本だったら、原作とは別に、無理やりドラマのオチをつけると思うのだが、中国はそれをしない。あとは続編を待つしかないのか。ドラマのクオリティが高いだけに、このやり場のない不満というか脱力感をどうしたらいいものか、途方にくれている。