見もの・読みもの日記

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生物学の学び方/カラスの補習授業(松原始)

2016-05-24 23:55:01 | 読んだもの(書籍)
○松原始『カラスの補習授業』 雷鳥社 2015.12

 前著『カラスの教科書』(2013年)が面白かったので、職場でずいぶん吹聴してまわった。その結果、まわりの同僚は、私をいっぱしのカラス好きと思い込んだフシがある。あれから3年、職場と住環境が変わって、カラスのことも忘れがちだった昨年暮れ、ある同僚が、楽しそうにこの本の話をするのを聞いた。何、続編が出ているって?

 以来、気になっていた本書をようやく読むことができた。著者によれば、前著『カラスの教科書』を読んで、「教科書のくせにこんな事しか書いてねえのかよ!」とお怒りだった方のために、もう少し生物学的なところまでお楽しみいただける本、というコンセプトらしい。なるほど、前著では、カラスに親しみをもってもらうことを第一目標とし、「小難しい話は書かない」と制約を課したそうだ。その戦略は大成功と言ってよい。私はすっかりカラスに「親しみ」を持ち、もっとカラスについて知ることができるなら、多少難しい講義にもついていく気構えで武者震いしている。

 補習授業のテーマは「歴史」「カタチ」「感覚」「脳トレ」「地理」「社会I(カラスの社会)」「社会II(人間の社会とカラス)」とあり、最後に「野外実習」が設けてある。歴史(カラスの系統分類)やカタチ(骨格)から文化人類学的な考察まで幅広い。神話においてカラスとオオカミはしばしばセットであるとか、聖書では大洪水のあと、陸地のしるしを持ってくるのはハトだが、メソポタミアの神話ではカラスであるとか、ほぼ余談だが、気になることも学んでしまった。

 カラスの社会行動に関する記述は特に面白い。カラスのペアは相互に羽づくろいをするそうだが、私は町で見た記憶がない。巣作りするようなペアを見ることが少ないからかなあ。飼育されているカラスは人間に「頭掻いて」と差し出してくるそうで、かわいい。高位個体が劣位個体に融和的な関係をつくろうとして羽づくろいすることもあるそうだが、確かに偉い先生に肩をもんでもらうようなもので、劣位個体が気持ちよくないだろう。

 ハシブトガラスとハシボソガラスの個性の違い(餌の好みや探し方の微妙な違い)、それゆえ縄張りが近接していても暮らしていられるというのも面白い。「競争があるにしても、お隣さんは異種のほうがまだマシである」というまとめは、含蓄が感じられる。

 このあたりは、著者の長年の観察から導き出されているわけだが、観察実験についての試行錯誤を経験的に語ったのが「野外実習」の章。そもそも大学4回生の卒業研究のとき、「カラスは女子供を馬鹿にするか」というテーマを選んだことから始まる。知り合いに片っ端から「ねえねえ、カラスに餌やりに行かない?」と声をかけ、協力者をつのり、データを収集する。そんな安直な実験デザインでいいのか、と思うが、まあいいんだろう(ガチガチの指導で及第点を取らせることが卒業研究の目的ではないと思う)。大学院に進んだ著者は「カラスは女子供を馬鹿にするか」というテーマを極めるよりも、「カラスの普段の姿を見てみたい」という気持ちが強くなり、来る日も来る日もカラスを追いかけて、眺め続ける。しかしテーマがないから、満足なゼミ発表ができない。先輩に酷評され、コンパの席で説教されてもカラスを眺め続け、ようやく「ハシブトガラスとハシボソガラスはなぜ同じ地域に住んでいられるのか」という研究テーマが見えてくる。

 これには感動した。最近の大学では「効率」「スピード」が金科玉条になっていて、学生が研究テーマを自分で見つけ出すまで、黙って見守るという教育や研究のスタイルは、すっかり失われているのではないかと思う。大学とは、本来、本書のようなものであってほしいと思う。

 まあ、やっぱり「効率」が大事だと思う人は、生物学の領域には、あまり近寄ってこないだろう。著者のいうように、生物学というのは複雑と多様性の権化で、単純な方程式で割り切れたり言い尽くせたりする事象はほとんどない。全てを同じ説明に帰結させようとすると、「俺は違うぞ」という跳ねっ返りが必ずいる。こういうフィールドでは、雑多なアレコレを網羅的に記録し、そこから仮説を立てていくアプローチが有効なのである。私は、こういう学問が好きなのだ。仮説を立てるまでに至らず、ただ差異のありかたを記録するだけに終わっても、それはそれでいいんじゃないかと思う。ときどき、副産物としてこんな楽しい読みものが生まれれば、アカデミアの外にいる人間にとっても幸せである。

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