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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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闇の中の怪物/別海から来た女(佐野眞一)

2012-07-04 01:01:37 | 読んだもの(書籍)
○佐野眞一『別海から来た女:木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』 講談社 2012.5

 5月だったか、ニコニコ動画の生放送に佐野さんが出演していたとき、「まもなく木嶋佳苗の裁判傍聴記の本が出ますね」という話題が出た。木嶋佳苗? どんな事件だっけ、としばらく考えた。Wiki「結婚詐欺・連続不審死事件」の記述によれば、2009年8月、埼玉県の月極駐車場に停めてあった車から会社員男性(41歳)の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒だったが、不審点が多いことから捜査が始まり、男性が結婚前提で交際中だった女性が浮かび上がり、過去にも女性の交際相手が不審死を遂げていることが分かってきた。

 …というよりも、その「毒婦」木嶋佳苗が、お世辞にも美人と言えない容姿であったことが、ネットでは好奇の対象となった。木嶋の逮捕が同年9月。公判は、2012年1月から4月にかけて行われ、裁判員裁判としては異例の長期(約100日間)にわたったという。しかし、この間(かん)の歴史に残る大事件の数々に比べたら、正直、どうでもいい事件と思って、私は忘れかけていた。

 著者は、いつもの手法で、木嶋の故郷である北海道の別海町を訪ね、近親者に会ったり、殺された被害者の遺族や、生き残った(金銭を巻き上げられた)被害者に会って、話を聞いて歩く。後半は、100日にわたった裁判の様子を詳しく再構成したものである。

 本書を読んで、なるほど、木嶋の事件が、平成の「いま」、高齢化と少子化が進み、痩せ細った日本社会を映す鏡のような事件であることは分かった。著者がいうように、木嶋の犯罪には怨恨や血のにおいがしない。凶器が練炭と睡眠薬というのは、スマートなのか田舎くさいのか、よく分からない。さらにいえば、結婚詐欺事件であるのに、精液やエロスのにおいも希薄である。交際相手のうち、性交渉まで進んだ男性はむしろ少数で、多くはその手前で金銭を巻き上げられ、捨てられたり殺されたりしている。哀れにも滑稽にも思えるのは、ただ話したり、一緒に食事をしただけの木嶋に、何十万、何百万円の金銭を注ぎ込んでしまう孤独な高齢男性が、日本の(少なくとも首都圏の)あちこちにわんさと漂着していることだ。今回は、たまたま男性だったけれど、逆にさびしい高齢女性がひっかかる事件も、きっとこれから増えていくだろう。

 内面のほとんど見えない(はじめから「無い」のかもしれない)木嶋が、熱心に自分のブログを更新していたこと、事件発覚のきっかけとなった会社員男性が、婚活成就直前の心境を(今となっては)痛々しいユーモアをまじえてブログに書き込んでいたことは、ネット空間の「饒舌」の空々しさについて、考えさせられた。

 本書を読んで、え?と思ったことはまだある。検察官が、被害者の遺族から木嶋に宛てた手紙を読み上げるシーンだ。遺族の手紙が「あなたは北海道で何をしていたんですか。あなたはどうして東京に出てきたんですか」と、詰問とも哀願ともつかない、センチメンタルな調子になっていくのはしかたないとして、それを読む検察官が「時々嗚咽を漏らした」という描写にげんなりした。私、たとえ犯罪人となっても、こんなアホな検索官に追及されたくない。

 実は、この検察官は、厚生労働省元局長の村木厚子氏逮捕のきっかけとなった郵便不正事件を担当し、脅迫的な取り調べをして、大阪地検特捜部からさいたま地検に左遷された人物である。木嶋事件で死刑判決が出せれば栄転の可能性もあるが、死刑以外の判決ならさいたま地検に塩漬けになると言われていたそうだ。

 また、木嶋の心証が限りなくクロであるにせよ、証拠の濃淡を考慮した形跡もなく、三件の殺人、六件の詐欺および詐欺未遂、一件の窃盗すべてを検察の主張どおりに「丸呑み」し、死刑を言い渡した判決文の浅薄さもひどいものだ。著者の言葉どおり、「被告人のほかには見当たらない」「優に認められる」だけで有罪にされてはたまったものじゃない。こういう判断が冤罪を招きがちであることを、裁判官(若い、東大出の美人裁判官だという)は過去の判例から学んでいないのだろうか。

 最後の追いうちは、判決後の記者会見で、感想を聞かれた裁判員の若い男性が「達成感がありました」と答えていたという記述。人間一人を死刑台に送り込んでおいて、達成感はあるまい、と著者が毒づきたくなる気持ちはよく分かる。言ってはナンだが、被害者も検索官も裁判官・裁判員も、闇の中で飛び跳ねている小人のような気がしてくる。そして、正体の知れない木嶋佳苗が、地の底から這い出てきた怪物であるような。
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(読むつもりの本)後白河法皇日録(小松茂美、前田多美子)

2012-07-03 00:18:33 | 読んだもの(書籍)
○小松茂美編著、前田多美子補訂『後白河法皇日録』 学藝書院 2012?

 まだ「読んだもの」ではないのだが、心覚えに記事を書いておきたい。先月、センチュリーミュージアムの『日本の書相』を見に行ったとき、上の階の展示室の机に、ひっそり積まれたパンフレットが目にとまった。2010年に85歳で亡くなられた古筆学の碩学・小松茂美の「遺稿刊行」と冠せられた本書のパンフレットだった。

 裏面の宣伝文句にいう。『後白河法皇日録』は、後白河法皇六十六年の生涯の日々の記録である。これは想像や主観で書かれたものではない。可能な限りの記録の証言を集め、立体的に組み立てられたものである。……

 その成果は、内側見開きの本文組見本を見れば、一目瞭然だ。本文は、玉葉など典拠とした史料原文の趣きを損なわない程度の書き下し文であるが、「中宮付の半物(はしたもの)(下仕女)が群居」のように、読みにくいところにはルビを付し、最低限の語釈も付記されている。おそらく原文では官職しか書かれていないところも、「右大臣藤原兼実(28)」のように本名と年齢が記されていて、これなら、史料読みの素人である私にも読める!と心が躍った。

 著者は「年齢がわかれば情景が目の前に浮かんでくる、芝居の舞台のように」と自負していたというが、後白河法皇六十六年の生涯をいろどる数多の人物、人名事典にも採られていないような人物たちに、ひとりひとり、こうした作業を施していくのは、気の遠くなるような根気を要する作業だと思う。同時に、いまの時代、振り返る人の少なくなった学問の甘美さを感じさせる。

 この仕事を成し遂げられずに死ぬ自分を夢に見て、「最期にこれほど夢中になれるものに出会えて、本当に幸せであった」と語る著者の思い出を語り、「小松先生がそれほどまでに執心された後白河法皇の魅力とはなんであったのか。天衣無縫、常軌を逸する器量の大きさであった、ともいえるだろうか」と語る補訂者・前田多美子氏の「まえがき」が引用されている。今年は大河ドラマの影響で、「ファンキー後白河」「ごっしー」を認知した若者が増えていることを知ったら、小松先生、どんな顔をなさるだろうか。

 なお、センチュリーミュージアムでは「1階受付でご注文承ります」みたいな案内もされていたが、どこの書店でも買えるだろうと思って、パンフレットだけ貰って帰ってきた。そうしたら、現時点では、NACSIS WebcatにもAmazon.comにも情報がないので、未刊なのかな、と思ってる。今日、この話を友人にメールで伝えたら、今朝の朝日新聞に本書の記事が載っていた、と教えてくれた。

 定価28,350円(税込み、二分冊)。ISBN:978-4-904524-05-3。図書館にもリクエストを出すつもりだが、自分で買えないほどの値段ではないなあ。この時代、好きなので、個人で買ってしまうかも。

※7/4訂正。タイトルの「日録」を「目録」と書いてUPしてました。すみません…。
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日本の書相(センチュリーミュージアム)+センチュリー文化財団寄贈コレクション展(昭和女子大)

2012-07-02 00:08:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
センチュリーミュージアム『日本の書相』(2012年4月9日~8月4日)

 上質のコレクションと静かに向き合える空間として、かなり気に入っている同館に久しぶりに行ってきた。今回は、奈良から江戸まで、各時代にあらわれる、書の形式と個性を探る展覧会。冒頭の「香紙切」(麗花集断簡、伝小大君筆)にウットリして、しばらく動けなくなってしまった。小大君は伝承筆者にすぎないが、小さく、しかしのびやかな連綿の妙に、どことなく女性的な美しさが感じられる。見るの、初めてじゃないよなあ、と思ったが、これまで同館に足を運んだのは『祈りの書』と『絵画コレクション展』の2回しかないので、別の美術館で見た「香紙切」の記憶がよみがえったのかもしれない。「石山切」(伊勢集断簡、伝公任筆)も美しや。

 私は、1年前に根津美術館で購入した『館蔵 古筆切』を、ずっと手元に置いて、ときどき眺めている。洗濯機の仕上がりを待つ間、ゴロゴロしながら眺めたり、無粋な話だが、トイレに持ち込んだりしている。おかげで、古人の筆跡に、だいぶ馴染んできた。定家とは似ても似つかぬ、独特な癖のある俊成の筆跡も見分けられるようになり、「日野切」を見て、ハッとした。「千載集」撰者自筆本の断簡である。「広沢切」も一目見て、あ、伏見天皇だ、と思った。このひとの筆跡は、人柄のよさがにじみ出ていて、どこか懐かしい感じがする。

 それに比べると、本阿弥光悦や近衛信尹の書は、美術品としての上手さ・美しさが際立つ。ほかにも、足利尊氏、明智光秀、千利休など有名人の書跡あり。高三隆達の書が珍しかった。このひと、書道の上手でもあったのか。以上は先々週末の参観。

※参考:同館「コレクション」(→収蔵品データベース検索)
これを見ると、同館の最も基幹的なコレクションが「書跡」であることが分かる。「収蔵品データベース」には、1点1点、写真・釈文・詳しい解説が公開されていて、非常に参考になる。

昭和女子大学光葉博物館 春の特別展『センチュリー文化財団寄贈コレクション展』(2012年5月14日~6月30日)

 これは、今週末、最終日の参観。パンフレットやサイトの情報によれば、平成23年(2011)3月、財団法人センチュリー文化財団から寄贈された漆工、金工、金銅仏など81件と、1,000点を超す世界各地・各時代のコインのコレクションの寄贈を受け、概括的な調査と登録作業を進めてきた。目録完成を記念して開かれたのがこの展覧会であるという。まあ、裏事情がいろいろあるのかもしれないな…と思わないでもなかった。

 展示品は、古今東西のコイン(李氏朝鮮の貨幣をあまり見たことがないので珍しかった)を除いては、漆工(蒔絵)がいちばん多かったように思う。面白かったのは、朝鮮半島の銅板経。新羅(8世紀、聖徳王二年の年記あり)のものと高麗(14世紀)のものがあった。どちらも1枚ずつに楽を奏する飛天の絵入り。調べたら、銅板経は日本でも少数だが出土しているようだ(※「銅板経最中」という銘菓があることも知ってしまった)。高麗(13世紀)のものは、十二支立像の浮き彫り入り。もう1種類の十二支銅板は、動きが大きく新しそうな気がしたけど、新羅(年代不詳)ものなのか。

 ポスターになっていた木彫船首像(日本、17世紀)は、等身大よりやや大きいくらいの西洋男性立像である。撫でつけて横にカールをつけた髪型(カツラ?)。首にはスカーフを巻き、襟を立てたコート。帽子を抱え、半ズボンに短靴。イメージとしては、モーツアルトとかベートーベンの肖像を思い出す。あまり自信はないが、17世紀というより18世紀の服装ではないかと思うのだが、どうだろう? これ、何か根拠があって、日本で作られたと見られているのだろうか。漂着したオランダ船の船尾に取りつけられていたエラスムス像が、重要文化財になっているのは聞いたことがあるけれど…。
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科学と哲学と俳諧/柿の種(寺田寅彦)

2012-07-01 11:26:11 | 読んだもの(書籍)
○寺田寅彦『柿の種』(岩波文庫) 岩波書店 1996.4

 ルミネ新宿のブックファーストで「当店が選ぶ岩波書店のこの一冊」というオビをつけて書架に並んでいるのを見た。物理学者の寺田寅彦が随筆の名手だったことは、知識としては知っていたが、これまで読んだことはない。本書は、自序によれば、松根東洋城の主宰する「渋柿」という「ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌」の巻頭に、折々短い即興的漫筆を載せてきたものの集成だという。確かに、ページをめくってみると、長いものでも2ページに満たない、短いものは3行ほどの短章が、ぽつぽつと並んでいる。随筆好きの私の胸にひびくものがあって、買ってみた。

 章末に発表年月が添えられているものとそうでないものがあり、早いものは大正9年、遅いものは昭和10年10月に至る。著者、寺田寅彦(1878-1935)は、昭和10年(1935)12月31日没だから、最晩年まで書き継がれていた随筆である。本書では、後半に収録されている昭和年間の作のほうが、読者を意識した、普通の随筆の体裁を取っている。大正年間の作は、自序にいうとおり「雑誌の読者に読ませるというよりは、東洋城や(小宮)豊隆に読ませるつもりで書いたもの」したがって「言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎない」のだが、その分、寺田寅彦という人物がよく見えて、私は興味深く読んだ。

 寺田寅彦の魅力については、科学と文学の「調和」とか「融合」という表現がある。だが、私が本書から感じたのは、サラサラした砂の中に「科学」や「哲学」や「俳諧」が結晶となって埋もれていて、どれが指にあたるかわからないが、どれを掘り出しても不純物なしの本物の宝石、というイメージである。変に調和を図ろうとして、亜流の化合物に陥っていない点が尊い。

 哀しいものもある。ちょっと怖いものもある。あまり読者を意識していないと言いながら、くすっと笑えるものもあるし、いやみなものもある。時には主題や雰囲気が、前後でがらりと変わる。文字数は少ないが、含んでいる内容は深く広い(俳諧そのもの)。なので、著者が読者に対し「なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」とお願いするのはもっともなのだが、現代の読書家が、なかなかこの要望に応えられるかどうか。それでも、途中で本を伏せて、一呼吸おいてから次の一節に進もうとしたことが何度かあった。

 年代的に、大正12年の関東大震災を含む作品集だが、当時の情景や経験に直接に触れた短章はない。震災以後の折りにふれた感慨は、ときどき出てくる。昭和10年、聯合艦隊の帝都集結を病床で眺めながら、なんとなく心細さと暗い気持ちを感じたという章は、今読むと感慨深い。また、聞き書きとして、寅彦の祖父がなくなったとき、まだ12歳だった母のもとに養子(寅彦の父)を入れることについて、江戸詰めの藩公(山内容堂公かその次代か?)の許可を得るのに半年を要したとか、安政時代の刃傷事件で詰め腹を切らされた十九歳の少年の話(井口村刃傷事件)なども、ちらりと登場して、幕末~明治~大正~昭和(戦前)が、ひとりの人物の中で、意外と近い距離をもっていたことに、あらためて気づかされる。

 心に残る発句がいくつかあるのだが、ひとつ挙げるなら、やはり池内了さんが巻末解説のタイトルにも取り上げているこの句。「哲学も科学も寒き嚔(くさめ)かな」

※参考:とらひこ.ねっと
「寺田寅彦関連マップ」が面白かった。理研跡、今度行ってみよう。寅彦が晩年を過ごした「曙町」の地名は、なくなってしまったにもかかわらず(現・本駒込)「付近のマンションや寮にその名前が残っている」というのが意外だった。なるほどーマンションの名前も侮れない。あと高知県の浦戸湾にかかわる伝説「孕のジャン」が気にかかる。「怪異考」を読みたい。
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