○内田樹、高橋源一郎『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』 ロッキング・オン 2012.6
2010年12月刊行『沈む日本を愛せますか?』の続編。前著と同様、インタビューアーの渋谷陽一さんを加えた鼎談である。第1回(2011年冬号)だけが震災前で、その後の5回+総括対談は震災後に行われている。全編読み終えての感想は、内田さんも高橋さんも、だんだん本気で怒り始めているなあ、という感じだった。
本書を手に取った特殊な動機を書いておこう。このところ、大阪市長の橋下徹が気になっている。私は好きではないが、大阪市民が選んだことだし、放っておけば、そのうち消える人物だろうと思って、目障りだけど傍観していた。そうしたら、文楽協会への補助金凍結問題がおおごとになって、長年の文楽ファンとして、肝を冷やしている。
なので、第6回対談のタイトル「我々が、橋下徹を生み出した」を見て、本書を衝動買いし、この第6回から読み始めた。二人とも、橋下徹「嫌い」の立場だと思うが、単純にそう言わないのが面白い。高橋源一郎氏は、橋下徹研究のため、著書を読みまくったという。で、「だんだん好きになってきちゃったんだ」というのが可笑しい。
「人間を信じていないってことを公言しているわけだからね」「つまり、一種の復讐譚なんだ。ルサンチマンの持ち主だよね」「『俺を後援する奴らはバカだ』っていういらだちがスピーチの中に伏流している」等々。カフカだ、『罪と罰』だ、いや『赤と黒』のジュリアン・ソレルだ!という文学的「見立て」がものすごく面白かった。橋下徹の著書も読みたくなったし、むかし読んだ『赤と黒』も、読み直してみたくなった。さらに内田さんが「(でも)シンプルな復讐譚の枠組みに自分の人生を無理に押し込んでいるところもあると思う」と喝破し、高橋さんが「そう。だんだん気の毒になってきちゃった(笑)」と応ずるあたり、おじさんは余裕だなあ、と思う。
おじさんの余裕は、ひとつには、幅広い知識(+体験)から来るのだろう。本書第6回に紹介されているアメリカのフリースクールの実践ってすごいなあ。クラスもカリキュラムもなくて、先生たちは、生徒が何を考え何を求めているかを見守りながら、「教えて」と言われるのをずーっと待ち続けるのである。
第5回に語られている山口県の祝島(いわいしま)の話も興味深かった。上関(かみのせき)原発建設計画に対し、30年間、反対運動を続けている。中国電力から強制的に、祝島の漁協に10億8000万円が振り込まれたこともあるが、供託しっぱなしで受け取っていないという。
こういう話を読むと、「結局、お金でしょ?」というのは子供のリアリズムであり、「人間の価値観っていろいろあるよね」というのが大人のリアリズムである、という考え方に首肯できる。
では、どうすれば子供のリアリズムを脱却できるか。本書には、さまざまなオルタナティブ(のヒント)が語られている。たとえば、身体の有限性の自覚とか。「おぼさんっぽい父親」像とか。もうひとつ、天皇制とか…これはさすがに驚いたけど、今の日本で経済よりも国土保全、国民の安全が第一ということを言えるのは天皇だけじゃないか、という指摘には、本気で考えさせられた。
それから、夏目漱石が担った役割(近代日本の男性の自己形成の筋道をつけた)の話、石坂洋次郎の『青い山脈』は敗戦直後の日本のリアルな姿でなく、「戦後日本はこうあるべきだ(だった)」という、1947年時点で切望されたリアリティだった、という話も興味深く読んだ。これは、震災後(原発事故以後)の日本は「こうあるべき」というユートピアを本気で語る文学者なり政治家なりが、これから現れるのか、という問題につながってくる。「どんなに空疎な美辞麗句であっても、それで実際に何十万の人が動いたら、それはもうリアルなんだよ」というのもいい言葉だと思った。
※7/12補記:中ほどにある「中国電力」←コメントにより誤記を訂正。
※祝島ホームページ

本書を手に取った特殊な動機を書いておこう。このところ、大阪市長の橋下徹が気になっている。私は好きではないが、大阪市民が選んだことだし、放っておけば、そのうち消える人物だろうと思って、目障りだけど傍観していた。そうしたら、文楽協会への補助金凍結問題がおおごとになって、長年の文楽ファンとして、肝を冷やしている。
なので、第6回対談のタイトル「我々が、橋下徹を生み出した」を見て、本書を衝動買いし、この第6回から読み始めた。二人とも、橋下徹「嫌い」の立場だと思うが、単純にそう言わないのが面白い。高橋源一郎氏は、橋下徹研究のため、著書を読みまくったという。で、「だんだん好きになってきちゃったんだ」というのが可笑しい。
「人間を信じていないってことを公言しているわけだからね」「つまり、一種の復讐譚なんだ。ルサンチマンの持ち主だよね」「『俺を後援する奴らはバカだ』っていういらだちがスピーチの中に伏流している」等々。カフカだ、『罪と罰』だ、いや『赤と黒』のジュリアン・ソレルだ!という文学的「見立て」がものすごく面白かった。橋下徹の著書も読みたくなったし、むかし読んだ『赤と黒』も、読み直してみたくなった。さらに内田さんが「(でも)シンプルな復讐譚の枠組みに自分の人生を無理に押し込んでいるところもあると思う」と喝破し、高橋さんが「そう。だんだん気の毒になってきちゃった(笑)」と応ずるあたり、おじさんは余裕だなあ、と思う。
おじさんの余裕は、ひとつには、幅広い知識(+体験)から来るのだろう。本書第6回に紹介されているアメリカのフリースクールの実践ってすごいなあ。クラスもカリキュラムもなくて、先生たちは、生徒が何を考え何を求めているかを見守りながら、「教えて」と言われるのをずーっと待ち続けるのである。
第5回に語られている山口県の祝島(いわいしま)の話も興味深かった。上関(かみのせき)原発建設計画に対し、30年間、反対運動を続けている。中国電力から強制的に、祝島の漁協に10億8000万円が振り込まれたこともあるが、供託しっぱなしで受け取っていないという。
こういう話を読むと、「結局、お金でしょ?」というのは子供のリアリズムであり、「人間の価値観っていろいろあるよね」というのが大人のリアリズムである、という考え方に首肯できる。
では、どうすれば子供のリアリズムを脱却できるか。本書には、さまざまなオルタナティブ(のヒント)が語られている。たとえば、身体の有限性の自覚とか。「おぼさんっぽい父親」像とか。もうひとつ、天皇制とか…これはさすがに驚いたけど、今の日本で経済よりも国土保全、国民の安全が第一ということを言えるのは天皇だけじゃないか、という指摘には、本気で考えさせられた。
それから、夏目漱石が担った役割(近代日本の男性の自己形成の筋道をつけた)の話、石坂洋次郎の『青い山脈』は敗戦直後の日本のリアルな姿でなく、「戦後日本はこうあるべきだ(だった)」という、1947年時点で切望されたリアリティだった、という話も興味深く読んだ。これは、震災後(原発事故以後)の日本は「こうあるべき」というユートピアを本気で語る文学者なり政治家なりが、これから現れるのか、という問題につながってくる。「どんなに空疎な美辞麗句であっても、それで実際に何十万の人が動いたら、それはもうリアルなんだよ」というのもいい言葉だと思った。
※7/12補記:中ほどにある「中国電力」←コメントにより誤記を訂正。
※祝島ホームページ