○佐野眞一『別海から来た女:木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判』 講談社 2012.5
5月だったか、ニコニコ動画の生放送に佐野さんが出演していたとき、「まもなく木嶋佳苗の裁判傍聴記の本が出ますね」という話題が出た。木嶋佳苗? どんな事件だっけ、としばらく考えた。Wiki「結婚詐欺・連続不審死事件」の記述によれば、2009年8月、埼玉県の月極駐車場に停めてあった車から会社員男性(41歳)の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒だったが、不審点が多いことから捜査が始まり、男性が結婚前提で交際中だった女性が浮かび上がり、過去にも女性の交際相手が不審死を遂げていることが分かってきた。
…というよりも、その「毒婦」木嶋佳苗が、お世辞にも美人と言えない容姿であったことが、ネットでは好奇の対象となった。木嶋の逮捕が同年9月。公判は、2012年1月から4月にかけて行われ、裁判員裁判としては異例の長期(約100日間)にわたったという。しかし、この間(かん)の歴史に残る大事件の数々に比べたら、正直、どうでもいい事件と思って、私は忘れかけていた。
著者は、いつもの手法で、木嶋の故郷である北海道の別海町を訪ね、近親者に会ったり、殺された被害者の遺族や、生き残った(金銭を巻き上げられた)被害者に会って、話を聞いて歩く。後半は、100日にわたった裁判の様子を詳しく再構成したものである。
本書を読んで、なるほど、木嶋の事件が、平成の「いま」、高齢化と少子化が進み、痩せ細った日本社会を映す鏡のような事件であることは分かった。著者がいうように、木嶋の犯罪には怨恨や血のにおいがしない。凶器が練炭と睡眠薬というのは、スマートなのか田舎くさいのか、よく分からない。さらにいえば、結婚詐欺事件であるのに、精液やエロスのにおいも希薄である。交際相手のうち、性交渉まで進んだ男性はむしろ少数で、多くはその手前で金銭を巻き上げられ、捨てられたり殺されたりしている。哀れにも滑稽にも思えるのは、ただ話したり、一緒に食事をしただけの木嶋に、何十万、何百万円の金銭を注ぎ込んでしまう孤独な高齢男性が、日本の(少なくとも首都圏の)あちこちにわんさと漂着していることだ。今回は、たまたま男性だったけれど、逆にさびしい高齢女性がひっかかる事件も、きっとこれから増えていくだろう。
内面のほとんど見えない(はじめから「無い」のかもしれない)木嶋が、熱心に自分のブログを更新していたこと、事件発覚のきっかけとなった会社員男性が、婚活成就直前の心境を(今となっては)痛々しいユーモアをまじえてブログに書き込んでいたことは、ネット空間の「饒舌」の空々しさについて、考えさせられた。
本書を読んで、え?と思ったことはまだある。検察官が、被害者の遺族から木嶋に宛てた手紙を読み上げるシーンだ。遺族の手紙が「あなたは北海道で何をしていたんですか。あなたはどうして東京に出てきたんですか」と、詰問とも哀願ともつかない、センチメンタルな調子になっていくのはしかたないとして、それを読む検察官が「時々嗚咽を漏らした」という描写にげんなりした。私、たとえ犯罪人となっても、こんなアホな検索官に追及されたくない。
実は、この検察官は、厚生労働省元局長の村木厚子氏逮捕のきっかけとなった郵便不正事件を担当し、脅迫的な取り調べをして、大阪地検特捜部からさいたま地検に左遷された人物である。木嶋事件で死刑判決が出せれば栄転の可能性もあるが、死刑以外の判決ならさいたま地検に塩漬けになると言われていたそうだ。
また、木嶋の心証が限りなくクロであるにせよ、証拠の濃淡を考慮した形跡もなく、三件の殺人、六件の詐欺および詐欺未遂、一件の窃盗すべてを検察の主張どおりに「丸呑み」し、死刑を言い渡した判決文の浅薄さもひどいものだ。著者の言葉どおり、「被告人のほかには見当たらない」「優に認められる」だけで有罪にされてはたまったものじゃない。こういう判断が冤罪を招きがちであることを、裁判官(若い、東大出の美人裁判官だという)は過去の判例から学んでいないのだろうか。
最後の追いうちは、判決後の記者会見で、感想を聞かれた裁判員の若い男性が「達成感がありました」と答えていたという記述。人間一人を死刑台に送り込んでおいて、達成感はあるまい、と著者が毒づきたくなる気持ちはよく分かる。言ってはナンだが、被害者も検索官も裁判官・裁判員も、闇の中で飛び跳ねている小人のような気がしてくる。そして、正体の知れない木嶋佳苗が、地の底から這い出てきた怪物であるような。

…というよりも、その「毒婦」木嶋佳苗が、お世辞にも美人と言えない容姿であったことが、ネットでは好奇の対象となった。木嶋の逮捕が同年9月。公判は、2012年1月から4月にかけて行われ、裁判員裁判としては異例の長期(約100日間)にわたったという。しかし、この間(かん)の歴史に残る大事件の数々に比べたら、正直、どうでもいい事件と思って、私は忘れかけていた。
著者は、いつもの手法で、木嶋の故郷である北海道の別海町を訪ね、近親者に会ったり、殺された被害者の遺族や、生き残った(金銭を巻き上げられた)被害者に会って、話を聞いて歩く。後半は、100日にわたった裁判の様子を詳しく再構成したものである。
本書を読んで、なるほど、木嶋の事件が、平成の「いま」、高齢化と少子化が進み、痩せ細った日本社会を映す鏡のような事件であることは分かった。著者がいうように、木嶋の犯罪には怨恨や血のにおいがしない。凶器が練炭と睡眠薬というのは、スマートなのか田舎くさいのか、よく分からない。さらにいえば、結婚詐欺事件であるのに、精液やエロスのにおいも希薄である。交際相手のうち、性交渉まで進んだ男性はむしろ少数で、多くはその手前で金銭を巻き上げられ、捨てられたり殺されたりしている。哀れにも滑稽にも思えるのは、ただ話したり、一緒に食事をしただけの木嶋に、何十万、何百万円の金銭を注ぎ込んでしまう孤独な高齢男性が、日本の(少なくとも首都圏の)あちこちにわんさと漂着していることだ。今回は、たまたま男性だったけれど、逆にさびしい高齢女性がひっかかる事件も、きっとこれから増えていくだろう。
内面のほとんど見えない(はじめから「無い」のかもしれない)木嶋が、熱心に自分のブログを更新していたこと、事件発覚のきっかけとなった会社員男性が、婚活成就直前の心境を(今となっては)痛々しいユーモアをまじえてブログに書き込んでいたことは、ネット空間の「饒舌」の空々しさについて、考えさせられた。
本書を読んで、え?と思ったことはまだある。検察官が、被害者の遺族から木嶋に宛てた手紙を読み上げるシーンだ。遺族の手紙が「あなたは北海道で何をしていたんですか。あなたはどうして東京に出てきたんですか」と、詰問とも哀願ともつかない、センチメンタルな調子になっていくのはしかたないとして、それを読む検察官が「時々嗚咽を漏らした」という描写にげんなりした。私、たとえ犯罪人となっても、こんなアホな検索官に追及されたくない。
実は、この検察官は、厚生労働省元局長の村木厚子氏逮捕のきっかけとなった郵便不正事件を担当し、脅迫的な取り調べをして、大阪地検特捜部からさいたま地検に左遷された人物である。木嶋事件で死刑判決が出せれば栄転の可能性もあるが、死刑以外の判決ならさいたま地検に塩漬けになると言われていたそうだ。
また、木嶋の心証が限りなくクロであるにせよ、証拠の濃淡を考慮した形跡もなく、三件の殺人、六件の詐欺および詐欺未遂、一件の窃盗すべてを検察の主張どおりに「丸呑み」し、死刑を言い渡した判決文の浅薄さもひどいものだ。著者の言葉どおり、「被告人のほかには見当たらない」「優に認められる」だけで有罪にされてはたまったものじゃない。こういう判断が冤罪を招きがちであることを、裁判官(若い、東大出の美人裁判官だという)は過去の判例から学んでいないのだろうか。
最後の追いうちは、判決後の記者会見で、感想を聞かれた裁判員の若い男性が「達成感がありました」と答えていたという記述。人間一人を死刑台に送り込んでおいて、達成感はあるまい、と著者が毒づきたくなる気持ちはよく分かる。言ってはナンだが、被害者も検索官も裁判官・裁判員も、闇の中で飛び跳ねている小人のような気がしてくる。そして、正体の知れない木嶋佳苗が、地の底から這い出てきた怪物であるような。