見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

講演・契丹!草原王朝はこんなに凄かった(芸大美術館)

2012-07-23 23:57:57 | 行ったもの2(講演・公演)
○東京芸術大学大学美術館 講演会『契丹! 草原王朝はこんなに凄かった』(講師:市元塁、7月21日14:00~)

 同館で始まったばかりの『草原の王朝 契丹-美しき3人のプリンセス-』(2012年7月12日~9月17日)の見どころを紹介する記念講演会。私は、2011年秋に、この展覧会が見たくて九州国立博物館まで行ってきた。九博が開館以来、6年かけて準備してきたというだけあって、熟成した「愛情」の感じられる、気持ちのよい展覧会だった。この日は、九博研究員の市元さんの講演が聞きたくて出かけた。

 開始時間にちょっと遅れて会場に入ったら、いきなり「広開土王碑碑文では…」という講師の声が聞こえて、えっと耳を疑った。永楽5年(395)条にある「稗麗」は契丹のことだと話している。そんなに早い記録が残っているとは…。

 一般に「契丹」という名称が歴史に登場するのは、907年あるいは916年の耶律阿保機による建国(二説あり、講師は前者を採る由)以降。「遼」と「契丹」という二つの国号があるが、考古資料の出現頻度や、契丹文字に「契丹」があっても「遼」に相当する文字がないことから、契丹人たちは「契丹」を自称していたと考えられる。

 契丹建国の907年といえば、日本は延喜の帝(醍醐天皇)の御代。契丹滅亡の1125年は、おお、崇徳天皇の即位の年だ。従来、日本と契丹には交流がなかったと考えられてきたが、宋や高麗を経由して契丹の情報が入っていたのではないかと、近年、特に仏教史では考えられているそうだ。面白い。「蓮如上人縁起」や「将門記」にも「契丹」や「大契丹王」の表記が見られ、高麗末から朝鮮で読まれた中国語会話読本『老乞大』の「乞大」も「契丹」に由来するという。

 続いて、スライドを見ながら、展覧会の出品文物と三人のプリンセスについて紹介。契丹文化は、独特の埋葬風俗など北方民族的要素を有する一面、唐の王朝文化を色濃く継承していること。契丹も唐も鮮卑族系なのだから、継承は自然な流れであること。唐の繊細・華麗な美術工芸に比べて、契丹は野暮ったいと考えられがちだが、先入観を捨てて、描かれた龍や獅子の溌剌とした姿態に目を向けてほしいこと、などが熱っぽく語られた。

 講師が「唐の工芸の獅子がプジョーの獅子であるなら」とおっしゃったので、契丹は何に譬えるんだろう、と思ったら「契丹の獅子はジャングル大帝の…」言われたのが唐突で、ちょっと噴いてしまった。車に乗らない私は「プジョーの獅子」がイメージできなかったのだけど、さっき画像を見て、再び…笑った。

 同時代に西夏という国があり、西夏が宋にくっついている間は、西アジアの文物(ガラス製品など)が宋に流れ込み、西夏が宋を離れて契丹に接近すると、契丹に西方の文物が流れ込む、という話も興味深かった。西夏って、そういう役割を負った国家なのか。

 契丹の仏教文化について、日本も契丹も1052年=末法の始まりという認識を共有していたという。今日以上に、宗教って国境を超えるものだったんだな。でも唐や高麗ではどうだったんだろう。仏教(浄土教)文化圏でも末法意識には濃淡がありそうな気がする。

 それから、日本では江戸時代以降、朱子学の浸透などにより、北宋が重視されるようになると、契丹の地位は相対的に低下した、という解説も面白いと思った。

 最後に「契丹に触れる本」ブックリストの紹介。これは、とってもよい企画! 「王道編」からは村井章介さんの『境界をまたぐ人びと』を脳内リスト入り。「ワクワク編」に北方謙三さんの『楊家将』。そうだよねー。ほかにもこの時代を舞台にした日本人の小説があることを初めて知った。あと「ゾクゾク編」のホラーサスペンス『キタイ』は…ちょっと苦手だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする