○伊藤礼『こぐこぐ自転車』(平凡社ライブラリー) 平凡社 2011.1
本書を見つけて、おや、これは文庫になっていたのか、と思った。単行本は2005年刊。しかし、私が本書を知ったのは、それほど前のことではない。たぶん、この1年以内。たまたまエッセイの棚、しかも比較的「中高年向き」エッセイの多い棚で読むものを漁っていたとき、本書のもとになった単行本が目にとまった。特に自転車に興味があったわけでもなく、伊藤礼という名前も知らなかったのだが、ふと手が伸びて、パラパラめくって読んでみたら、面白かった。こういう魅力的な本を探し当てる直感は、われながら、ときどき自慢したくなる。
およそスポーツに縁のなかった還暦過ぎの老教授が、自転車の魅力に目覚め、ついには同好の仲間たちと北海道自転車旅行に出かけるまでになってしまうという、にわかには信じがたい、体験的エッセイ。文章がきびきびして、適量のユーモアに品があって、気持ちいい。著書に『伊藤整氏奮闘の生涯』があるのを見て、あ、小説家・伊藤整の息子さんなのか、と納得した。ただ、そのときは他に読みたい本が詰まっていたので、胸の内のリストに、本書のタイトルと所在を加えただけで、買わずに帰った。そうしたら、同じ書店で、この文庫本を見つけることになった。
嘘かマコトか、自転車に乗るといえば、家から三百メートル離れた郵便局に行く時だけだった著者は、定年を直前にして、片道12.5キロ離れた職場まで、自転車で行ってみようと思い立つ。車道を走れば、ビュンビュンとばす自動車とバイク、歩道を走れば、道の狭さと凸凹、さらには排気ガスや肉体の苦痛にも悩まされ、帰宅したときは「トロイ戦争から帰ってきたオデッセウスの気持ち」になっていたという。しかし、それから自転車に乗る面白さを覚えた著者は、3年間で6台の自転車を所有する身となり、東京近郊サイクリングに飽き足らず、箱根を越え、碓氷峠を目指し、折り畳み自転車を担いで、北海道まで遠征を果たす。
冒頭に近い一編「自転車が順繰りに増えて六台になった話」は、著者の所有する自転車の特徴、性能、メーカー、型式、なぜそれを購入するに至ったか、が詳しく語られている。これはちょっと、読み手を選ぶ内容かもしれない。私は鉄道も好きだが、完全な「乗り鉄」なので、あまり詳しい車両分類には興味がない。同様にこの一編には、やや退屈したが、以下の自転車走行編を読むための基礎知識と思ってガマンした。
自転車走行編としては「都内」「房州サイクリング」「碓井峠」「北海道」などが取り上げられている。ひとりで走るときもあるし、友人と一緒、あるいは数人のグループで出かけることもある。趣きとしては、百間先生の「阿房列車」に似たところもあるかな。こっちのほうが肉体派で、ワイルドだけど。でも、基本的に無理はしない。年相応に夜は旅館に泊まる。温泉にも入り、美味しいものも食べる。疲れたら休む。具合が悪くなれば、先途を断念して引き返す。
多摩川の土手で、「ア!これが多摩川ですか!」と驚く青年(東京の大学に入って、地方から出てきたばかり)に出会う話とか、北海道で本格派チャリダー(自転車(チャリンコ)で旅をする人)に会って「壮士ひとたび去ってまた還らず」の趣きを感じるところとか、人間味のある印象的なエピソードにも事欠かない。
あと、実は著者の住まいは私の実家の近所で、著者が脚力養成のために設定したルートの終着点、西新宿一丁目交差点というのは、私の現住居の近くである。むかし(もう20年くらい前か)ほぼ同じルートを私も自転車で何度か往復したことがあるので、懐かしく思い出した。さらに「碓井峠を目指す」編では、川越~東松山~武蔵嵐山~寄居と、これも一時期、東武東上線の奥地に住んでいた自分には懐かしい地名の羅列だった。このとき、著者は寄居のビジネスホテルに入ったところで心臓に異常を感じ、宿泊せずに東京に引き返している。
しかし、気をつけてはいても、怪我はつきもの。著者は、さらりと書き流しているが、転倒したとか救急車に乗ったとか、ホチキスで縫合したとかいう話も、ところどころに出てくる。ひえ~。私は、こういう話が怖いので、思わず数行読み飛ばして、目に入らないようにするのだが、伊藤先生、気をつけて、どうぞお元気で(もはや古希を通り越して喜寿!)ペダルをこぎ続けてください。

およそスポーツに縁のなかった還暦過ぎの老教授が、自転車の魅力に目覚め、ついには同好の仲間たちと北海道自転車旅行に出かけるまでになってしまうという、にわかには信じがたい、体験的エッセイ。文章がきびきびして、適量のユーモアに品があって、気持ちいい。著書に『伊藤整氏奮闘の生涯』があるのを見て、あ、小説家・伊藤整の息子さんなのか、と納得した。ただ、そのときは他に読みたい本が詰まっていたので、胸の内のリストに、本書のタイトルと所在を加えただけで、買わずに帰った。そうしたら、同じ書店で、この文庫本を見つけることになった。
嘘かマコトか、自転車に乗るといえば、家から三百メートル離れた郵便局に行く時だけだった著者は、定年を直前にして、片道12.5キロ離れた職場まで、自転車で行ってみようと思い立つ。車道を走れば、ビュンビュンとばす自動車とバイク、歩道を走れば、道の狭さと凸凹、さらには排気ガスや肉体の苦痛にも悩まされ、帰宅したときは「トロイ戦争から帰ってきたオデッセウスの気持ち」になっていたという。しかし、それから自転車に乗る面白さを覚えた著者は、3年間で6台の自転車を所有する身となり、東京近郊サイクリングに飽き足らず、箱根を越え、碓氷峠を目指し、折り畳み自転車を担いで、北海道まで遠征を果たす。
冒頭に近い一編「自転車が順繰りに増えて六台になった話」は、著者の所有する自転車の特徴、性能、メーカー、型式、なぜそれを購入するに至ったか、が詳しく語られている。これはちょっと、読み手を選ぶ内容かもしれない。私は鉄道も好きだが、完全な「乗り鉄」なので、あまり詳しい車両分類には興味がない。同様にこの一編には、やや退屈したが、以下の自転車走行編を読むための基礎知識と思ってガマンした。
自転車走行編としては「都内」「房州サイクリング」「碓井峠」「北海道」などが取り上げられている。ひとりで走るときもあるし、友人と一緒、あるいは数人のグループで出かけることもある。趣きとしては、百間先生の「阿房列車」に似たところもあるかな。こっちのほうが肉体派で、ワイルドだけど。でも、基本的に無理はしない。年相応に夜は旅館に泊まる。温泉にも入り、美味しいものも食べる。疲れたら休む。具合が悪くなれば、先途を断念して引き返す。
多摩川の土手で、「ア!これが多摩川ですか!」と驚く青年(東京の大学に入って、地方から出てきたばかり)に出会う話とか、北海道で本格派チャリダー(自転車(チャリンコ)で旅をする人)に会って「壮士ひとたび去ってまた還らず」の趣きを感じるところとか、人間味のある印象的なエピソードにも事欠かない。
あと、実は著者の住まいは私の実家の近所で、著者が脚力養成のために設定したルートの終着点、西新宿一丁目交差点というのは、私の現住居の近くである。むかし(もう20年くらい前か)ほぼ同じルートを私も自転車で何度か往復したことがあるので、懐かしく思い出した。さらに「碓井峠を目指す」編では、川越~東松山~武蔵嵐山~寄居と、これも一時期、東武東上線の奥地に住んでいた自分には懐かしい地名の羅列だった。このとき、著者は寄居のビジネスホテルに入ったところで心臓に異常を感じ、宿泊せずに東京に引き返している。
しかし、気をつけてはいても、怪我はつきもの。著者は、さらりと書き流しているが、転倒したとか救急車に乗ったとか、ホチキスで縫合したとかいう話も、ところどころに出てくる。ひえ~。私は、こういう話が怖いので、思わず数行読み飛ばして、目に入らないようにするのだが、伊藤先生、気をつけて、どうぞお元気で(もはや古希を通り越して喜寿!)ペダルをこぎ続けてください。