○講談社野間記念館 『講談社の表紙絵・挿絵「原画」展』(2011年9月3日~10月23日)
初訪問。ご近所の永青文庫や関口芭蕉庵を訪ねるたびに、同館の案内板を見ていたが、ついでに寄ってみようという気持ちが、いつもあと一歩起きなかった。今回は、以前から興味のあった雑誌「キング」創刊号の表紙をあしらったポスターを見て、これは…行きたい!と思った。で、はじめて胸突坂を目白通りまでのぼり、同館を訪ねたのである。
正門は、どう見ても「お屋敷」の構えで、本当に入っていいのか、少しビビる。よく手入れされた植え込み。ゆったりとカーブするアプローチに沿って進んで行くと、白壁の美しい近代的な建物が現れる。 玄関ホールの内側に警備員さんが立っていて(最近こういうところが多いのだろうか)ホールの左右に展示室がある。予想よりも規模が大きくて、展示点数も100点以上ある様子。
冒頭は、昭和3~5年の「キング」を飾った絵画と、それを表紙に用いた号が、対になって展示されている。土田麦僊、川端龍子など、いずれも花鳥図である。表紙には「キング」「KING」「○月号」以外、一切の文字なし。へえ、華々しい宣伝で売った「キング」のイメージと少し違うなあ、と首をひねる。昭和3年(御即位の)大典記念号だけは、荒木十畝の描く鳳凰(明朝絵画or若冲ふうの)が表紙で、少し異色だ。
続いて、伊東深水の描く美人画シリーズ。「講談倶楽部」の表紙である。キモノは和装だが、髪型は洋風で、長い睫毛を強調するメイクが、モダンだなあと思った。よく見たら、昭和27~28年代の表紙だったので、むしろ和装は保守的というか、懐古趣味的だったのかもしれない。
再び「キング」が登場する。和田英作「のぼる朝日」は、水平線から登ってくる朝日を背景に、翼のある裸婦像をアップで描く。「キング」創刊号(大正14年1月)の表紙原画である。「キング」を論じる文献資料が必ず挿図に用いる1枚なので、私は「キング」といえば、毎号、女性像を表紙に用いたのかと思っていた。そうしたら、大正14年2月号の岡田三郎助「慈愛」は、白い髭のおじいちゃんと孫だし、同10月号の中沢弘光「やすみ日」は、ソフト帽に着物のお父さんと幼子の図である。かと思うと、和田英作の「水蓮」「佐保媛」みたいな神話的女性像も混じるし、当初、表紙のイメージは一定していなかったようだ。
展覧会の趣旨とは全く関係ないのだが、伝説の雑誌「キング」の現物を、こんなにたくさん見たのも初めてで、興味深かった。初年度の「キング」は薄かったんだな(昭和に入ると厚くなる)とか。「見よ!日本一の大雑誌!」みたいな煽り宣伝で売った雑誌だと聞いていたのに、いまどきの雑誌に比べたら、表紙は簡素だったんだな、とか。「キング」の口絵に使われた原画も多数展示されていたが、歴史画が多かった。
第2室では、伊藤彦造など耽美派挿絵画家たちの登場で、雰囲気がガラリと変わる。昭和初期の「少年倶楽部」「少女クラブ」の挿絵は、いまの韓流みたいなイケメン揃いである。
第3室は「講談社の絵本」特集。絵本の出版は、創業者・野間清治にとって積年の夢だった。しかし、物語や画家の選定に時間がかかり、最晩年の事業となった。昭和11年2月に刊行を開始した「講談社の絵本」シリーズは、戦後、昭和34年までに7,000万部が販売された。昭和33年(1958)に「講談社の絵本 ゴールド版」として全面改定されたというから(以上、解説パネルによる)、1960年生まれの私が親しんだのは、この「ゴールド版」だと思う。でも、絵に関しては、基本的に戦前の原画のままだったと思うので、「鉢かつぎ」や「安寿と厨子王」を見ていると、ああ、絶対にこれを読んだ、という確信が戻ってくる。特に表紙の絵は、覚えているものだ。
第4室は「キング」(だった筈)昭和6年新年号付録「明治大正昭和大絵巻」の原画を展示。明治元年~昭和5年までの主な出来事を絵で表現し、解説をつけた長大な折本冊子(大きさは新書ほど)で、50点の原画が展示されていたが、完成版(冊子)を見ると、場面数はもっと多そうである。
参加した画家の中に、小村雪岱や五姓田芳柳(二世)など、意外(?)な名前を見つけるのも楽しいし、「主な出来事(政治から社会風俗まで)」の選択肢が、いまの常識と微妙に異なるのも面白い。明治5年、婦人の乗馬の流行とか、明治8年、読売(新聞)の販売人が婦女子に人気なんて風俗は、知らなかった。「松本訓導事件」に至っては、いま検索してしまった。この冊子、復刻してほしい。
初訪問。ご近所の永青文庫や関口芭蕉庵を訪ねるたびに、同館の案内板を見ていたが、ついでに寄ってみようという気持ちが、いつもあと一歩起きなかった。今回は、以前から興味のあった雑誌「キング」創刊号の表紙をあしらったポスターを見て、これは…行きたい!と思った。で、はじめて胸突坂を目白通りまでのぼり、同館を訪ねたのである。
正門は、どう見ても「お屋敷」の構えで、本当に入っていいのか、少しビビる。よく手入れされた植え込み。ゆったりとカーブするアプローチに沿って進んで行くと、白壁の美しい近代的な建物が現れる。 玄関ホールの内側に警備員さんが立っていて(最近こういうところが多いのだろうか)ホールの左右に展示室がある。予想よりも規模が大きくて、展示点数も100点以上ある様子。
冒頭は、昭和3~5年の「キング」を飾った絵画と、それを表紙に用いた号が、対になって展示されている。土田麦僊、川端龍子など、いずれも花鳥図である。表紙には「キング」「KING」「○月号」以外、一切の文字なし。へえ、華々しい宣伝で売った「キング」のイメージと少し違うなあ、と首をひねる。昭和3年(御即位の)大典記念号だけは、荒木十畝の描く鳳凰(明朝絵画or若冲ふうの)が表紙で、少し異色だ。
続いて、伊東深水の描く美人画シリーズ。「講談倶楽部」の表紙である。キモノは和装だが、髪型は洋風で、長い睫毛を強調するメイクが、モダンだなあと思った。よく見たら、昭和27~28年代の表紙だったので、むしろ和装は保守的というか、懐古趣味的だったのかもしれない。
再び「キング」が登場する。和田英作「のぼる朝日」は、水平線から登ってくる朝日を背景に、翼のある裸婦像をアップで描く。「キング」創刊号(大正14年1月)の表紙原画である。「キング」を論じる文献資料が必ず挿図に用いる1枚なので、私は「キング」といえば、毎号、女性像を表紙に用いたのかと思っていた。そうしたら、大正14年2月号の岡田三郎助「慈愛」は、白い髭のおじいちゃんと孫だし、同10月号の中沢弘光「やすみ日」は、ソフト帽に着物のお父さんと幼子の図である。かと思うと、和田英作の「水蓮」「佐保媛」みたいな神話的女性像も混じるし、当初、表紙のイメージは一定していなかったようだ。
展覧会の趣旨とは全く関係ないのだが、伝説の雑誌「キング」の現物を、こんなにたくさん見たのも初めてで、興味深かった。初年度の「キング」は薄かったんだな(昭和に入ると厚くなる)とか。「見よ!日本一の大雑誌!」みたいな煽り宣伝で売った雑誌だと聞いていたのに、いまどきの雑誌に比べたら、表紙は簡素だったんだな、とか。「キング」の口絵に使われた原画も多数展示されていたが、歴史画が多かった。
第2室では、伊藤彦造など耽美派挿絵画家たちの登場で、雰囲気がガラリと変わる。昭和初期の「少年倶楽部」「少女クラブ」の挿絵は、いまの韓流みたいなイケメン揃いである。
第3室は「講談社の絵本」特集。絵本の出版は、創業者・野間清治にとって積年の夢だった。しかし、物語や画家の選定に時間がかかり、最晩年の事業となった。昭和11年2月に刊行を開始した「講談社の絵本」シリーズは、戦後、昭和34年までに7,000万部が販売された。昭和33年(1958)に「講談社の絵本 ゴールド版」として全面改定されたというから(以上、解説パネルによる)、1960年生まれの私が親しんだのは、この「ゴールド版」だと思う。でも、絵に関しては、基本的に戦前の原画のままだったと思うので、「鉢かつぎ」や「安寿と厨子王」を見ていると、ああ、絶対にこれを読んだ、という確信が戻ってくる。特に表紙の絵は、覚えているものだ。
第4室は「キング」(だった筈)昭和6年新年号付録「明治大正昭和大絵巻」の原画を展示。明治元年~昭和5年までの主な出来事を絵で表現し、解説をつけた長大な折本冊子(大きさは新書ほど)で、50点の原画が展示されていたが、完成版(冊子)を見ると、場面数はもっと多そうである。
参加した画家の中に、小村雪岱や五姓田芳柳(二世)など、意外(?)な名前を見つけるのも楽しいし、「主な出来事(政治から社会風俗まで)」の選択肢が、いまの常識と微妙に異なるのも面白い。明治5年、婦人の乗馬の流行とか、明治8年、読売(新聞)の販売人が婦女子に人気なんて風俗は、知らなかった。「松本訓導事件」に至っては、いま検索してしまった。この冊子、復刻してほしい。