○池内紀『今夜もひとり居酒屋』(中公新書) 中央公論新社 2011.6
偶然なのか、飲む・食べる関係の本を、続けて3冊読むことになった。穂村弘さんの『君がいない夜のごはん』(NHK出版、2011)を読みながら、なんかオジサンっぽい、なんて失礼な感想をもったが(同世代なのに)、その次に本書を読んで、ああ、これこそ真正のおじさん世界だ…と思った。
穂村さんの本に「入る店、入らない店」と題して、雑居ビルにずらりと並んだ居酒屋の看板を見て、「凄いなあ」と思う、という一編がある。私(穂村さん)はちょっとでも「こわそうな店」には入れないのだ。「こわそうな店」とは、カラオケのある店、常連のいる店、カウンターだけの店、貼り紙のある店などである。まあ、下戸だというしね、穂村さん。
もっぱら、その「こわそうな店」の話が展開するのが本書(ただし、カラオケのある店は除く)。私は、お酒は嫌いではないが、本書に登場するような店で、著者のような飲み方をすることは、絶対できないと思った。店主とは、つかず離れず、適度な距離を保ち、同席になった常連さんとは、気持ちのいい会話を交わし、酒と料理を楽しんで、跡を濁さず席を立つ…なんて、そんなしんどいこと、想像するだけで、気疲れで発狂しそうになる。
もちろん、居酒屋の客全てが、上記のような理想のコミュニケーションスキルを備えているわけではないので、いろいろと「残念な客」や「残念な店」があることは、本書にも描かれている。しかし、それにしても、要求されるスキルの高度さを考えると、私は、一生、本格的な居酒屋の客にはならなくていいや、と思ってしまう。そこにどんなに美味しいお酒と美味しい酒肴があるとしても。私はチェーン店の安酒か、家飲みで十分である。
最近、年齢とともに、米の飯が好きになったり、時代劇を面白いと感じたり、かつて、おじさん・おばさんの立居振舞だと思っていたことに同調していく自分を不思議に思ってきたが、このこと(居酒屋)に関しては、私は、徹頭徹尾、縁なくして終わりそうだ。
しかし、縁なき衆生とあきらめた上で、怖いもの見たさで、あっちの世界を垣間見るには、本書は絶好の窓口である。居酒屋では、酔客と店の主人あるいはママさんの間で、夜ごと、こんな会話が交わされ、こんな定番ドラマが演じられているのか…と、文化人類学的興味をそそられた。
上記とは関係ないが、面白かった著者の見解のひとつに、海外旅行先では、旅行者用のレストランで食べるのが無難であり、いちばんうまい、というのがある。どこの国にも居酒屋はあるが、居酒屋の食べもの、飲みものは、その国の風土なり気質なりと不可分なので、行きずりの客が楽しめる味はめったにない。慣れない味は、舌が嫌がり、胃壁が受け付けないので、おすすめできない。「旅先では、その土地の名物を楽しもう」的なことを無責任にいう人が多い中で、なるほど、真っ当な意見だと思った。
あと、京都の、ちょっと高級な鮨屋に「年に二回ほど」あらわれる老女の話。池波正太郎のエッセイにあるエピソードだそうだが、こういう食べ上手なお客には憧れる。
偶然なのか、飲む・食べる関係の本を、続けて3冊読むことになった。穂村弘さんの『君がいない夜のごはん』(NHK出版、2011)を読みながら、なんかオジサンっぽい、なんて失礼な感想をもったが(同世代なのに)、その次に本書を読んで、ああ、これこそ真正のおじさん世界だ…と思った。
穂村さんの本に「入る店、入らない店」と題して、雑居ビルにずらりと並んだ居酒屋の看板を見て、「凄いなあ」と思う、という一編がある。私(穂村さん)はちょっとでも「こわそうな店」には入れないのだ。「こわそうな店」とは、カラオケのある店、常連のいる店、カウンターだけの店、貼り紙のある店などである。まあ、下戸だというしね、穂村さん。
もっぱら、その「こわそうな店」の話が展開するのが本書(ただし、カラオケのある店は除く)。私は、お酒は嫌いではないが、本書に登場するような店で、著者のような飲み方をすることは、絶対できないと思った。店主とは、つかず離れず、適度な距離を保ち、同席になった常連さんとは、気持ちのいい会話を交わし、酒と料理を楽しんで、跡を濁さず席を立つ…なんて、そんなしんどいこと、想像するだけで、気疲れで発狂しそうになる。
もちろん、居酒屋の客全てが、上記のような理想のコミュニケーションスキルを備えているわけではないので、いろいろと「残念な客」や「残念な店」があることは、本書にも描かれている。しかし、それにしても、要求されるスキルの高度さを考えると、私は、一生、本格的な居酒屋の客にはならなくていいや、と思ってしまう。そこにどんなに美味しいお酒と美味しい酒肴があるとしても。私はチェーン店の安酒か、家飲みで十分である。
最近、年齢とともに、米の飯が好きになったり、時代劇を面白いと感じたり、かつて、おじさん・おばさんの立居振舞だと思っていたことに同調していく自分を不思議に思ってきたが、このこと(居酒屋)に関しては、私は、徹頭徹尾、縁なくして終わりそうだ。
しかし、縁なき衆生とあきらめた上で、怖いもの見たさで、あっちの世界を垣間見るには、本書は絶好の窓口である。居酒屋では、酔客と店の主人あるいはママさんの間で、夜ごと、こんな会話が交わされ、こんな定番ドラマが演じられているのか…と、文化人類学的興味をそそられた。
上記とは関係ないが、面白かった著者の見解のひとつに、海外旅行先では、旅行者用のレストランで食べるのが無難であり、いちばんうまい、というのがある。どこの国にも居酒屋はあるが、居酒屋の食べもの、飲みものは、その国の風土なり気質なりと不可分なので、行きずりの客が楽しめる味はめったにない。慣れない味は、舌が嫌がり、胃壁が受け付けないので、おすすめできない。「旅先では、その土地の名物を楽しもう」的なことを無責任にいう人が多い中で、なるほど、真っ当な意見だと思った。
あと、京都の、ちょっと高級な鮨屋に「年に二回ほど」あらわれる老女の話。池波正太郎のエッセイにあるエピソードだそうだが、こういう食べ上手なお客には憧れる。