見もの・読みもの日記

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「昼」に潜む「夜」/江戸人の精神絵図(野口武彦)

2011-09-23 23:58:32 | 読んだもの(書籍)
○野口武彦『江戸人の精神絵図』(講談社学術文庫) 講談社 2011.9

 「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズをはじめとし、軽妙な語り口で、江戸・幕末史に関する史談エッセイを書き継いでいる野口武彦氏の新刊。と思ったら、新作ではなく、1984年、筑摩書房から刊行された『江戸人の昼と夜』が元本である。著者は、文庫版のためのはしがきで、「1984年は、日本がまさにバブル経済時代に突入しようとしている前夜だった」と振り返っているが、そんな時代背景よりも、1937年生まれの著者が、30代から40代のはじめにものしたエッセイ集で、行間に漂うデカダンな雰囲気が、なんというか、若い!

 論じられているのは、だいたい18世紀後半から19世紀前半の100年間。「プロローグ」に、松平定信を論じた一篇を置き、前半「武士的なるものの内景」には、荻生徂徠、佐藤一斎、松崎慊堂、遠山金四郎景晋、藤田東湖など、思想家・官僚が数多く登場する。後半「江戸文学の光と闇」は、上田秋成、銅脈先生(狂詩家)、平賀源内など、文学者・文化人を論じ、私は全く知らなかった、国学者で歌人の萩原広道の源氏物語論にも触れる。

 この構成には、ひとこと述べておきたい。私は、どちらかといえば、江戸の文学・文化に親しみが深いこともあって、前半は、かなり読み悩んだ。後半の秋成論あたりから、ようやくスラスラ頭に入るようになって、逆だったらよかったのに~と思ったが、歴史好きの読者は、違う感想を持つかもしれない。

 はしがきによれば、このエッセイ群の基本的なテーマは、「昼」的なものと「夜」的なものの対立の構図であるという。ただし、単純な対立の構図ではなく、「昼」の中に染み出した「夜」や、「夜」の暗さを際立たせる「昼」の明るさに注意を喚起するところが、本書の真骨頂と言えるだろう。

 難しかったけど面白かったのは、徂徠論。終生、徳川幕府の理論的擁護者の立場を貫きながら、その理論は、朱子学が絶対視する「先王ノ道」の作為性・虚構性をあばいており、つきつめていけば、幕府の正統性を覆すものだった、というのが面白い。ここに登場する徂徠の著書のいくつかを、私は鴎外文庫(森鴎外の旧蔵書)で見た記憶があって、明治政府の官吏であった鴎外は、徂徠をどのように読んでいたんだろう、ということが気になっている。

 福地桜痴は『幕府衰亡論』で、幕府滅亡の遠因は家康にあったと言っているそうだ。すなわち、家康の政略は名を捨て実を取るものであったにもかかわらず、家康は「名を以て宗とし、理を以て本と」する儒学、とりわけ朱子学を奨励した。その結果、徳川幕府は事実上「日本の主権者」であったにもかかわらず、ペリーの開国要求に際して、京都朝廷に奏問を行わざるを得ず、以後「攘夷」のポーズを取らざるを得なくなってしまう。

 なるほど。パラドックスみたいだが、この解釈は面白い。「幕府は独断専行で和親政策の決定をする権限があったし、またそうすべきであった」と著者は書いている。そうであったら、幕末史は、どんなに分かりやすかったかと思う。

 「エピローグ」に再び登場するのは、松崎慊堂。名前は知っていても、エキセントリックなエピソードの少ない、印象の薄い学者先生だと思っていた。しかし、温柔な人柄を慕われ、幅広い交友関係(鴎外の史伝三部作につながる人物たちが多い)を持ち、のちに運命を分ける鳥居耀蔵と渡辺崋山の両人を弟子に持っていたこと、さらに蛮社の獄が起きたとき、六十九歳の高齢を押して崋山擁護に奔走したことなど、初めて認識して、好きになった。人間の「出番」って、いつ回ってくるか分からないものである。
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大作・三十六歌仙図屏風/絵画コレクション展(センチュリーミュージアム)

2011-09-23 10:29:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
センチュリーミュージアム 『センチュリー文化財団 絵画コレクション展』(2011年8月15日~11月26日)

 二度目の訪問は絵画コレクション展。受付の方が、前回と同じく「4階と5階の展示室へは、エレベータでお上がりください」と説明したあと、わざわざ追いかけてきて「非常階段エリアの扉は、中から開きませんので!」と付け加えてくれた。閉じ込め(締め出され)たお客さんがいたのだろうか。

 4階展示室。朝早かったこともあって、お客は私ひとり。最初の展示ケースに、大きな『三十六歌仙図屏風』(桃山時代)が幅をきかせていて、驚く。六曲一双。画面の下半分には、三十六歌仙の姿が、上半分には、たぶん三十六首の和歌が、短冊貼り付けではなく、大きな字で自由に散し書きされているのが面白い。近衛信尹の筆。一方、歌仙たちは、後方に控えた女性たちを例外とし、男性歌人たちは、やたら謹直に列をなしている風情なのが、なんとなく可笑しい。縦列の間隔が狭すぎだろう。オッサン顔が多いが、業平、高光は、ちゃんと色白ぽっちゃりの美男に描き分けている。

 次の『三迹画像』は、中央に嵯峨天皇、その前に弘法大師(空海)と菅原道真を描くという、類例のない図像。題字の「筆峯三迹」は、貰った解説に「たくましい書を書く三人の名人」と説明されていた。珍しい取り合わせである。五鈷杵を手にする僧形の人物は空海、その上座にいるのは嵯峨天皇でいいとして、最後のひとりは、橘逸勢と混同されているのではないかと怪しむ。どちらも御霊神だし。

 仏画では『文殊菩薩像』(鎌倉時代)に目がとまる。繊細な截金で表わされた獅子の体毛が激しく渦を巻き、たてがみ、雲とともに、台風のようなエネルギーを感じさせる。背上の文殊菩薩が、少年相撲取みたいに、やや太りじしすぎるのが気になるが、目つきの傲岸さは、文殊らしくていい。蓮華座の花弁の截金も繊細。

 ほかに、水墨画、肖像画、絵巻断簡など、多様なジャンルの絵画があり、全23点。5階は、平台ケースの中が写経に入れ替わっていたが、仏像は常設であることを確認した。

 この美術館は、入館時に、詳しい作品解説パンフレット(計12頁)が無料でいただける。本来なら、有料の図録に掲載されてもおかしくない分量・格式を備えているので(事実の叙述に主眼を置き、抑制された文章がすごく好きだ。特に絵画解説)、これを片手に見てまわると、作品の見どころや歴史的背景がよく分かる。特筆しておきたいのは、白黒ながら全点、写真が掲載されていること。おかげで、日が経ってからも、会場での印象がよみがえってくる。考えてみると、無料パンフレットに全点写真付きというのは、ほかであまり体験したことのないサービスだと思う。画中の文字(画賛、和歌、絵巻断簡の本文まで!)が、一部を除き、きちんと活字に起こされていたのも、鑑賞時に、とても助けられた。

 余計なことかもしれないが、解説執筆者名が、パンフレットのどこにも記載されていないのは残念である。いや、これだけのご苦労をされた担当者の方のお名前を、感謝の気持ちで、心にとめたかっただけのことなのだが。
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