見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

骨董誕生/松涛美術館

2006-06-14 22:22:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
○松涛美術館 開館25周年記念特別展『骨董誕生』

http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/

 20代の頃は、いや、30代の頃だって、まさか自分が「骨董」に目覚めようとは思ってもいなかった。絵画や彫刻は、それなりに好きだったが、まさかね、と思っていた。それが、こういうことになるのだから、中年を超えていくのは面白い。

 日本には、古来、正統的な美意識を代表する「唐物」に対して、完璧を主張しない器物「味もの」を愛でる美学があった。この延長上に、柳宗悦の「民藝」運動があり、同世代の青山二郎や小林秀雄らによって、近代日本の「骨董」趣味が完成する。そうだな。中国にも「古玩」趣味があるけれど、これは、完璧・端正・精密の美を規範とするもので、ありようは大きく異なると思う。

 ただし、日本の「味もの」の美学にも、さまざまな温度差がある。「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」と利休は言ったそうだ。柳宗悦は、生活の美を愛したが、青山二郎は、「李朝の器でも第一流のものは百万中にひとつ」と言って、美しいものとそうでないものを峻別した。骨董ビギナーの私は、今のところ、青山の言葉に共感する。

 この展覧会は、骨董の名品とともに、それを愛した人々の、さまざまなエピソードが示されていて、パネルを読み飽きない。たとえば、ワカメのようなうねうね文様が面白いミドリ色の大皿「肥前緑釉指描文」は、柳宗悦が東寺の弘法市で、たった2円で買ったものであるとか。左右に蓮花、中央に毘沙門天が描かれた3枚セットの「蒔絵厨子扉」は、鎌倉あたりの民家で風除けに使われていたもので、屑屋が4円で買ったあと、美術商の手に渡り、3、4ヶ月で1万円まで高騰したとか(え~っと、誰の旧蔵品だったかしら)。細川護立は、中国の墓陵から出土した品を飾っていて他人にいぶかられ、「どこから出ようといいものはいい」と答えたそうである。

 青山二郎、小林秀雄旧蔵の李朝粉引徳利を、松永耳庵は「酔胡」と名付けたが、青山は「タヌキの金玉」と呼んでいたとか(このネーミングは絶妙!)。上記のサイトに写真のある、唐津のぐいのみの「虫歯」も上手い。眺めていると、だんだん歯が痛くなってきそうな、神経に障る歪み具合なのだ。

 作品では、入ってすぐにある「李朝白磁長壺」もいい。白磁と言っても、生焼けの煎餅みたいな色合いをしている。離れて真横から見るよりも、間近に立って、抱きかかえるつもりで覗き込むと、なんとも言えず、色っぽくて魅力的である。
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和解のために/花よりもなほ

2006-06-12 23:55:54 | 見たもの(Webサイト・TV)
○映画 是枝裕和監督・脚本『花よりもなほ』

http://kore-eda.com/hana/

 週末、ちょっと気分を変えるために、時代劇映画が見たいと思った。何かやっていないかなあ、と思って探してみたら、たまたま、この映画を見つけた。だから、是枝裕和が、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を取った『誰も知らない』の監督であることにも、主演の岡田准一が人気グループV6のメンバーであることにも、あまり頓着していなかった。

 むしろ、浅野忠信とか香川照之とか、原田芳雄、石橋蓮司とか、ほとんど映画を見ない私でも知っている「クセのある俳優」が顔を揃えており、さらに、木村祐一、千原靖史など「クセのあるお笑い」の面々も参加しているので、こりゃー面白いんじゃないか、と思って、見に行った。

 期待は裏切られなかった。しかし、面白い俳優を揃えれば、面白い映画が撮れるというものではないから、やっぱり、脚本の出来がいいのだと思う。ときは元禄15年、5代将軍・綱吉の時代。江戸幕府が開かれてから、そろそろ100年。戦場に生きる武士の姿は、もはや人々の記憶から消え、「神話」になろうとしていた頃だ。

 それゆえ、一部の人々は、かたくなに「神話」を守ろうとする。高い精神性に生きる武士は、ひとたび辱められれば、仇討ちをせずんばあらず、という「武士道」ができあがっていく。しかし、そのストイックな道徳は、時には、人々から穏やかな日常、愛する者の未来を奪っていく。「仇討ち」は、新たな不幸と憎しみを呼び起こす。「仇討ちをしない武士の人生」はありえないものか? 必死に考え抜いたひとりの武士が編み出した奇策。全てが丸く収まって、祝祭劇の幕は下りる(ただし、心ならずも、そのあとに「忠臣蔵」という皮肉な陰画を付け加えながら)。

 よくできた脚本である。ただし、岡田准一の若侍はカッコ良すぎる。「剣の腕がからきし駄目」という設定らしいが、カッコ良すぎて、そう見えない。本当は腕も立ち、勇気もあるのに、平和主義者を気取っているだけに見えてしまう。もっと臆病者らしい風采の俳優にやらせると、ずいぶん印象が変わるのではなかろうか。でも、それだと興行的には成功しないか。

 絵も美しい。長屋の家並みや人々の着物の「リアルな汚らしさ」には、テレビ時代劇では味わえない魅力が宿っている。途中に挿入される、信州の清潔で豊かな自然も、ゴミゴミした江戸と対照的で、深く印象に残る。つい100年くらい前までは、日本人って、こんな生活をしていたんだなあ。

 ところで、このタイトル、桜の花が、いさぎよく散るのは、来年も咲けることを知っているからだ、という劇中の言を踏まえているようだが、「花よりもなほ」の「なほ」に続く言葉は何なのだろう? 分かったようで、よく分からない。
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ひらがなの愉悦/MOA美術館

2006-06-11 22:04:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
○MOA美術館 所蔵書跡展 国宝手鑑『翰墨城』

http://www.moaart.or.jp/japanese/top.html

 MOA美術館を訪ねるのは何年ぶりだろう。東京から熱海までは、ずいぶん遠いと思っていたが、新幹線に乗るまでもなく、快速アクティーで、約1時間半である。こんなに近いのなら、来年こそは光琳の『紅白梅図屏風』を見にこよう!

 さて、今回の目的は、国宝『翰墨城』を初めとする、書跡の名品展を見ることである。展示室に入ると、いきなり待っているのが、伝小野道風筆の「継色紙」。『芸術新潮』2006年2月号「特集・古今和歌集1100年/ひらがなの謎を解く」に、同じ「継色紙」として知られる別の作品(五島美術館所蔵)の写真が出ていて「《継色紙》あるいは倦怠表現主義」というタイトルが付いているのだが、まさにそんな感じ。余白たっぷりに、和歌1首を、こんなふうな区切りかたで書く。「わたつみのか/さしにさ/けるしろた/への/なみもて/ゆへる/あはちしま/山」。最後の「山」が絶妙。こんな色紙(ニセ物でもいいから)を掛けた下で、もの憂くカクテルの飲めるバーがあったら...などと、想像をしてしまった。

 もう1点挙げておきたいのは、伝行成筆「松籟切」。もと三井松籟が所蔵していたのだそうだ。料紙は雲母で蓮唐草を摺った唐紙で、承暦元年の十番歌合の断簡である。震えるような擦れ具合が美しい。書かれている和歌もよくて、「山さとはゆきこそふかくふりにけれ/よひこし人のみちまよふまて」というのだが、「みちまよふまて」が、本当に降る雪に紛れて、消え入りそうに書かれている。

 語り始めると切りがないので、真打ちの『翰墨城』に移ろう。一瞬、端が目に入らないほどの長いガラスケースに、惜しげもない有様で展示されている。数えてみると、なんと41面! しかし、これでも半分ほどしか開けていないのだ。いや、正確には4分の1か。解説パネルを読んで、古筆手鑑って、台紙の裏にも表にも貼ってあるのだということを、初めて知った。『翰墨城』の場合、表には天皇、親王、公卿、歌人など。裏には、能書家、僧侶、社家などを集めており、今回は裏面の冒頭からが開けてある。

 圧巻は、平安時代に「三蹟」と称された小野道風・藤原佐理・藤原行成の筆跡が並んだ箇所だろう。道風が4点、佐理が4点、行成が5点、そのあと、行成の息子(世尊寺)行経1点を挟んで、公任4点が続く。

 道風はいい! 「小島切」「本阿弥切」の繊細なひらがなもいいけれど、「絹地切」の叩き付けるような草書の漢字(三体詩)もいい。隣の佐理がまた、漢字「絹地切」も、ひらがな「紙撚切」「筋切」も、激しいスピード感を感じさせる。繊細な貴公子を髣髴とさせる行成。そして、公任には、バランスの取れた大人(おとな)の風格を感じる。もっと詳しい解説は、前掲の『芸術新潮』を参照。

 これで私は、古筆三大手鑑と称される、京博の『藻塩草』、出光美術館の『見努世友(みぬよのとも)』、そして『翰墨城』を、いちおう全て実見することができた。このほか、美しい写経類、蒔絵の硯箱、高僧や武将の書跡も見ることができ、楽しかった。

 私が訪ねたのは土曜日の午後だったが、はじめは特に書跡に興味があるわけでもない温泉ツアーの(?)団体さんで騒がしく、やっと展示室が静かになったと思ったら、20~30人ほどの小学生が、先生に引率されて入ってきた。まあ、美術館の経営も大変なんだろうと思うけど。東京から往復の電車賃を掛けて行った者としては、もう少し静かに観賞させてもらいたかった。この特別展に小学生は止めてもらえないだろうか。『紅白梅図屏風』なら許してもいいが。
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オヤジの妄言/日・中・韓のナショナリズム(松本健一)

2006-06-10 20:20:45 | 読んだもの(書籍)
○松本健一『日・中・韓のナショナリズム:東アジア共同体への道』 第三文明社 2006.6

 著者の名前は、ずっと気になっていた。いちばん読みたいと思っているのは、大著『評伝・北一輝』なのだが、なかなか踏ん切りがつかない。とりあえず、本書は活字も大きいし、語り口調で読みやすそうだから、たとえつまらなくても、それほど時間の損にならないだろう、と思って取り掛かった。

 そうしたら、思ったよりも内容のある本だった。最終的には、東アジアの各国は、ナショナリズムを超えて、「コモン・ハウス(共同体)」を目指すべきだ、というのが著者の提言である。しかし、その実現には、あと20年か30年はかかるだろう、とも言う。

 ヨーロッパは、国民国家が誕生して200年を経過し、ようやくナショナリズムを克服する時代に入った。しかし、東アジアでは、日本でさえ、やっと100年、その他の国々は、ようやく国民国家として成熟の時代に入ったばかりである。新たな国家原理の必要性が自覚されるのは、まだしばらく先のことだろう。

 また、ヨーロッパは、そもそも歴史を共有する地域だった。それぞれの国が独自の歩みを始めるのは、せいぜいナポレオン以降の200年程度である。しかし、東アジアでは、日本も中国も韓国も、2000年来、固有の文化的伝統を持つ独立国(カルチャー・ネーション)だったのだから、「共通の歴史認識」をめぐって、さまざまな摩擦が起きるのも当然である。

 しかし、アジアの伝統的思想の中にひそむ「共生」の思想は、必ず、ナショナリズムを超えていく契機となるであろう、と著者は結ぶ。うーん。結論の方向性には反対しない。だけど、「東アジア共同体」を推進する力として、「アジアの伝統的思想」を持ち出すところに、私は、うまく説明のできない違和感を覚える。

 愛国心についても同じ。愛国心とは、国家体制や天皇制に収斂するものではなく、日本の自然や文化に対する素朴な郷土愛(パトリオティズム)である、と著者は述べる。パトリオティズムの対象として挙げられているのは、「白砂青松」の風景、季節の変化、小学唱歌、そして和泉式部の和歌。ああ、全くオヤジたちは、どいつもこいつも、自分の郷愁に結びつくもの、自分に理解可能なものだけを、好き放題に並べやがって。私が、この手の「愛国心=パトリオティズム」論に苛立つのは、彼らの態度に、歴史や文化に対する本当の謙虚さがないからである。

 「アジアの人びとはパトリに対する深い思いをもっています」と言うけれど、本当か? 都市化の進む日本・韓国・台湾および中国の都市部の若者には、煽られたナショナリズムを除けば、もはや生活実感に根ざした郷土(伝統・文化)愛なんて、どこにもないのではなかろうか。IT・仮想現実・アメリカニゼーション。いっそ、我々の出発点はそこにあると、認めてしまってはどうだろう。
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成就院のアジサイ

2006-06-09 21:04:41 | なごみ写真帖
今週は水木金と、慣れない仕事が続いて、ちょっと疲れた。

善通寺のご開帳が来週半ばまでなんだけど、月曜は休めないし。
今から明日の宿を予約して、週末の2日間だけ四国まで行って来るプランを、
さっきまで本気で練っていたのだが、
どうやっても「とんぼ返り」にしかならないので、やっぱり無理は止めた。

そのかわり、日帰りでMOA美術館でも行ってくるか。
国宝「翰墨城」を見に!

写真は先週末、鎌倉・成就院のアジサイ。まだ咲き始め。

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キリスト者の半生/境界線を超える旅(池明観)

2006-06-08 19:59:14 | 読んだもの(書籍)
○池明観『境界線を超える旅:池明観自伝』 岩波書店 2005.8

 本書は、1970~80年代、岩波書店の雑誌『世界』に匿名記事を書いていた池明観氏の自伝である。本としてまとまった『韓国からの通信』は、昨年の夏に初めて読んだ。

 池明観氏は、1924年、平安北道定州に生まれた。中国との国境からあまり離れていないところ、もちろん北朝鮮である。3歳のとき、父を失い、母親の女手ひとつで育てられた。中学生のとき、日中戦争が始まり、軍国主義と貧窮の青年時代を送る。やがて終戦(解放)が訪れるが、ソ連軍の進駐は、新たな不安の日々の始まりだった。

 1947年、真夜中に船で38度線を突破し「越南」(今でいう脱北)に成功。しかし、日本統治時代の下級役人が幅を効かせる南の政治状況を見て、「越南」は間違いだったろうかと思い悩む。1950年、朝鮮戦争勃発。従軍の間、軍人の堕落を垣間見る。

 1961年、韓国に軍事クーデター政権樹立。抵抗運動を続ける中、初めて日本を訪れる。1972年、「1年でも半年でもいいから自由に勉強がしたい」という思いを抱いて渡日。隅谷三喜男、小川圭治の計らいで東京女子大学に身を寄せ、以後、20年以上にわたり、教鞭を取る。まあ、梗概は、こんなところか。

 しみじみ思うのは、その半生の過酷さである。私の両親は、池明観氏より一世代若い昭和ヒトケタ生まれだが、日本人で「明日の命があるかどうか」という体験をしたのは、彼らが最後だろう。だが、韓国では、1950年代の朝鮮戦争、いや60~70年代の軍事政権下でさえ、つまり私の同世代の人々が「明日をも知れない」毎日を生きていたのだ。そう思うと、今でこそ同じような消費文化を享受している日本と韓国であるが、一皮向けば、さまざまな違いが噴出するのは当然のように思う。

 そして、日本という国は、韓国の過酷な運命の発端に、少なからぬ責任を負っている。にもかかわらず、著者が初めて日本を訪れたときの、あまりに純朴な反応に、私は驚いてしまった。もうちょっと「怨み」とか「妬み」とか、あっていいようなものなのに。著者は羽田に降りた瞬間から「奇妙な錯覚」にとらわれたという。「人種と文化の親近性は驚くばかり」。そして、煌々と明るい夜、出版物の洪水、うるわしい山河、日本のキリスト者との対話を「感動の連続」と言って、はばからない。さらに、韓国の民主化運動に対して、日本人の支援と共感があったことにも、著者は讃辞を惜しまない。

 この、素直で、しかも不屈の精神は、いろいろ考えるに、信仰に生きる者のひとつの典型ではないかと思った。韓国におけるキリスト教会は、あるときは侵略的帝国主義に対して民族主義を守り、あるときは強圧的なナショナリズムに対して、普遍主義の砦であった。そして、付け加えておくと、私が育った中学・高校の「キリスト教文化」というのも、まさにそのようなものだった、ということを、久しぶりに思い出した。
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随身庭騎絵巻と男の美術/大倉集古館

2006-06-07 20:24:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
○大倉集古館 『国宝「随身庭騎絵巻」と男(をとこ)の美術』

http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/

 『随身庭騎絵巻(ずいじんていきえまき)』は、実在した9名の随身を描いた”似絵(にせえ)”の画巻である。合戦絵巻の武者のように、華麗な大鎧こそまとっていないけれど、それぞれ個性的な風貌の随身たちが、暴れ馬を自在に操る姿は、アニメーションのようだ。私の好きな作品のひとつである。数年前(このブログを始める前)、巻頭から巻末までの「一挙公開」をしたときに全体を見た。

 さて、今回はどうなのかな、と思って出かけたら、冒頭から4人目までが開けてあった。うーん。ちょっと残念。冒頭の3人は、烏帽子姿の肥大漢で、馬の手綱を引いているだけなのだ。4人目からは、顔立ちも装束も全然変わり、馬と一体となった曲乗りを見せてくれる。ただし、冒頭から7人目までが、似せ絵の名手・藤原信実の筆で、最後の2人は後人(息子の専阿)の補遺とされる。だから、本当は4人目から7人目が、最大の見どころなのだ。

 帰り際、受付で「巻き替えはあるんですか?」とお尋ねしたら、「あると思いますが、まだ日程は決まっていないんです。すみません」とのお返事。あらら。これから行かれる方は、中日より後半を狙い目にするのがよろしかろう。そう言えば、上記のサイトに写真が掲載されている『一の谷合戦絵巻』も、まだ展示されていなかったと思う。

 見応えがあったのは、前田青邨筆『洞窟の頼朝』。展示ケースの奥行きがないので全体像が見にくいが、その分、細部をよく観察することができる。珍品は『虫太平記絵巻』(江戸時代)。英一蝶や久隅守景の風俗画も楽しい。若冲のモノクロ版画図巻『乗興舟』が出ていたのは拾いもので、嬉しかった。

 それから、めずらしく刀剣と、その拵(こしらえ)を美しいと思った。最近、時代劇にハマっていた余波かもしれない。
 
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オンリーワンの罠/他人を見下す若者たち(速水敏彦)

2006-06-06 21:49:10 | 読んだもの(書籍)
○速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書) 講談社 2006.2

 はじめ、書店で見かけたときは、ああ、相も変らぬ若者論か、と思って、一顧だにしなかった。が、『書評空間』の早瀬晋三さんのブログが、本書は「下手な評論家の際物」ではなく、著者は「地道な教育心理学者」である、と述べているのを見て、読んでみようという気になった。

 途中をすっとばして結論へ急ぐと、著者は「承認された経験に基づく自尊感情」と「他者軽視に基づく仮想的有能感」に注目する。

 どちらの感情も強いタイプを「全能型」と呼ぶ。それなりの実力と経験に裏打ちされたプライドの持ち主ではあるが、自己認識が甘いと、かなりハタ迷惑な存在にもなる。若年層よりも高齢者が陥りやすい問題パターンである。次に「自尊感情」は強いが「仮想的有能感」は弱いタイプを「自尊型」と呼ぶ。プライドは高いが、同時に他者も尊重するという、最もバランスの取れた人格である。

 逆に「自尊感情」が弱く「仮想的有能感」が強いタイプを「仮想型」と呼ぶ。これが今の若者に急増している問題パターンである。しかし、他国と比較した場合、日本の若者には、どちらの感情も弱い「萎縮型」が多いことも注目される。

 著者は「仮想型」の典型を「スヌーピー」のルーシーに見る(ちなみに「萎縮型」はチャーリー・ブラウン)。ルーシーがいつも不機嫌なのは防御の姿勢が強いからだ。劣等感で苦しんでいるのに、自分の価値を誇示したい人たちは、他人を低く見ることで自尊感情を取り戻そうとする。自分が損をすることや、失敗を認めることは絶対に我慢できない。

 最近の私の仕事は、不特定多数が相手なので、時として「仮想型」の人々の横柄な態度や不機嫌に出くわすことがある。仕事とはいえ、こっちも非常なストレスを受ける。しかし、あれは弱者の防御反応なのだから、必要以上に彼らを傷つけないように(見下されたと思わないように)気をつけてあげよう、と思えば、今後は少し気が楽だ。

 日本の社会が、大量の「仮想型」を生み出している原因のひとつは「オンリーワン」幻想なのではないか、という指摘は興味深く思った。「スペシャル」にはなれなくても「オンリーワン」なら誰もがなれるというのは、実は大きな勘違いである。努力もせず、周囲の承認を得ない限り、そこで形成されるのは「ぶよぶよした傷つきやすい自尊感情」でしかあり得ない。この厳しい指摘を、胸に留めておきたいと思う。

 幸いにして、私は多くの「自尊型」の人々に接した経験も持つ。年齢に関係なく、本当の実力を持つ人々は、驚くほど謙虚である。ああいうパーソナリティにして初めて、身近に接した「仮想型」の若者を正していけるのだと思う。「全能型」で血迷っているような老人が何を言ってもダメだろう。
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名品に向き合う・その2/出光美術館

2006-06-05 20:55:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 『開館40周年記念名品展』第1弾

http://www.idemitsu.co.jp/museum/

 『名品展I』の後期である。かなり大量の展示替えがあったので、もう1回、行ってきた。ずいぶん珍しいものを見ることができた。

 『橘直幹申文絵巻』(鎌倉時代)は、今年3月の『風俗画にみる日本の暮らし』展で、初めて知った作品である。ふーむ、『日本絵巻大成』(と続編、続々編)には入っていないようだ。天徳4年の内裏炎上で混乱する人々を描いた場面が開いている。馬で駆けつける役人、遅れまいと走る人々。行き交う牛車は、垂れ幕の風をはらんだ感じや、車体の傾き方に、リアリティがあって上手い。構図は『平治物語絵詞』あたりに倣ったものと見受けられるが、登場人物は丸顔の「鎌倉派(関東派)」である(この間、覚えたばかり)。

 『北野天神縁起絵巻』(室町時代)も、珍しい場面が開いていた。(詞書によれば鳥羽院の時代)衣を失った女房が、北野天神に祈願したところ、霊験あらたかで、盗んだ犯人の下女が踊り出た場面だという。頭上に衣をかつぎ、上半身ハダカの女性が、静かなはずの宮中(たぶん)の縁先に、忽然と踊り出で、彼女の触れた簾の隙間から、奥にいる女房たちの驚き顔が丸見えになっている。室町時代だと、もうこのくらいショッキングな場面の絵画化も、許容されていたのだろうか。

 書の展示もだいぶ入れ替わった。『高野切第一種』と『継色紙(伝小野道風筆、ただし国宝でないもの)』が並んだところは絶景である。それから、西行筆『中務集』と定家筆『定頼集』が並んだケースも。色紙や断簡ならともかく、両者とも冊子で、よく残ったな~としみじみ思う。

 名僧の書も面白い。個人的には、明恵上人の書状と一休禅師の書跡に惹かれた。一休禅師の「諸悪莫作 衆善奉行」(悪いことをせず、善いことをしなさい)は、漢文の語順としてどうなの?と首をひねったが、調べてみたら、法句経の一部で、白楽天の故事があるそうだ。

 中国絵画は重文が2点。玉澗筆『山市晴嵐図』は、心洗われるようで好きな作品だが、牧谿筆『平沙落雁図』は、遠目に見ると白紙に見えちゃうのよね~。
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梁楷の三幅対と「唐物」/東京国立博物館

2006-06-04 02:48:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 国宝室『梁楷の三幅対』、特集陳列『東洋の名品・唐物』

http://www.tnm.jp/

 もしかしたら、今日(6/4)のうちに、この記事に目を留めてくれる人がいるかも知れないと思って、取り急ぎ、上げる。どちらも本日限りの展示である。

 私は昨日(6/3)この展示に気づいて、慌てて行ってきた。特集陳列『東洋の名品・唐物』では、足利将軍家伝来の「東山御物(ひがししやまごもつ)」を中心に、中国渡来の絵画・陶磁器の名品を見ることができる。

 陶磁器3点『青磁輪花鉢』『青磁下蕪瓶』『青磁茶碗 銘・馬蝗絆』は、どれも堂々として格調の高い逸品である。『馬蝗絆(ばこうはん)』は、常設展で一目見て以来のお気に入りだ。将軍足利義政がこの茶碗を所持していた折り、ひび割れが生じたため、代わるものを中国に求めたが、明時代の中国にはもはやそのようなものはなく、鉄の鎹(かすがい)でひび割れを止めて送り返してきた。そこで、鎹をイナゴに見立てて、馬蝗絆と名づけられたという(割れた茶碗をカスガイでつなぎ合わせる方法は、中国映画『初恋の来た道』にも出てきた)。

 絵画の、伝顔輝筆『寒山拾得図』や伝趙昌筆『竹虫図』は、ふだんの常設展には、なかなか出ない(毎秋のお楽しみ、中国書画精華で見たことがある)。玉澗筆『洞庭秋月図』は、同じ日に出光美術館で『山市晴嵐図』を見た直後だったので、よけいに嬉しかった(もとは同じ瀟湘八景セットの2枚。あと1枚『遠浦帰帆図』は徳川美術館にある)。玉澗の絵は、中国絵画という感じがしなくて、ほとんど日本絵画の一部みたいな気がする。

 この特集陳列では、当時の飾りつけかたを記録した『御物御画目録』という巻子を見ることができて、興味深い。当時は、中央に「主」となる絵画を掛け、必ず(?)「脇」を付けたらしい。例えば「梁楷の三幅対」は「出山釈迦 脇山水 梁楷」とある。このほか、「半身達磨 脇寒山十徳 牧谿」(表記はママ)などはいいとして、「維摩 脇鶏 李安忠」や「草衣文殊 脇犬猫 徽宗皇帝」なんて表記を見ると、どんな三幅対だったんだろ~と、とめどなく想像が広がっていく。

 さて、「梁楷の三幅対」であるが、中央の『出山釈迦』は昨年、左幅の『雪景山水図』(国宝)はその前年、秋の「中国書画精華」で実見した(こういうとき、ブログは検索がかけられて便利!)。どちらも印象深くて、好きな作品である。右幅の山水図だけは初めて見る。暗い画面の上部には、山の稜線のようなものがあるが、はっきりしない。手前には、枯れ木の株が水辺に立っているだけで、無人の風景である。木の根元に引っかかった黒い三角形は、魚を捕る網だろうか?

 パネルの説明によれば、国宝の『雪景山水図』は昭和23年、『出山釈迦』は平成9年、そしてもう1幅の『山水図』は平成16年に東博の所蔵になったそうだ。もと足利将軍家→福井の酒井家に伝わった三幅対であるが(詳しくは書かれていないが、たぶん明治初期に)『雪景山水図』は三井家、『出山釈迦』は本願寺などの所蔵となった。文化財って、人間よりずっと長生きである分、離合集散の苦労も激しい。久しぶりに顔を揃えた三幅対に「ご苦労さん」と声をかけ、この状態が少しでも長く続くよう祈りたいと思う。
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