見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

秘仏と国宝建築の旅(1)道成寺ほか

2005-04-20 23:56:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
○善福院釈迦堂(海南市下津町)~長保寺(同)~道成寺(日高郡川辺町)

 和歌山県には2度しか行ったことがない。1度目は10年ほど前。2度目は先月、九度山町の慈尊院の秘仏ご開帳に誘われて出かけた。そうしたら、今度は道成寺が33年ぶりの秘仏ご開帳だというので、また行くことになってしまった。どうせなら、ということで、同行の友人に目いっぱい欲張った予定を立ててもらった。

 初日は例によって早朝に東京を出発。和歌山県海南市の南部、加茂郷の小さな駅に到着したのは11時過ぎだった。タクシーで善福院へ。急勾配の斜面を上がって、小さな通用門の前に着けてくれた。開けっ放しの門をくぐると、国宝建築の釈迦堂がある。上背に比べて横幅が広いので、「立っている」と言うより「座っている」と表現したくなる。

 隣の住宅にまわって、留守番のおじいちゃんに、電話予約した者である旨を告げると、にこにこ頷いて「どうぞどうぞ」と大様である。お堂自体も前後左右の扉が開けっ放しだ。境内の隅の八重桜から、風に乗った花びらがひらひらと舞い込んでくる。これでは掃除も大変だろうに。でも、ここで昼寝できたら気持ちいいだろうなあ、とうっとりする。

 下津町にはいろいろ見どころがあるのだが、心をオニにして、次の拝観ポイント、長保寺に向かう。ここは県下有数の桜の名所なので、タクシーの運転手さんに「もう1週間早ければ」と残念がられた。しかし、早咲きのソメイヨシノは散っても、八重や枝垂れ桜は、まだ色とりどりの花をつけていた。

 本堂、塔、大門の三つが揃って国宝に指定されている寺は、奈良の法隆寺と長保寺だけだそうだ。塔は多宝塔である。この多宝塔は、上層部がほとんど木組みだけなので、下層部に比べてアンバランスに小さい。スカートを膨らました貴婦人みたいなプロポーションである。また、長保寺は紀州徳川家の菩提寺であるが、熱心な参拝客は多くないのであろう、歴代藩主の廟所が並んだ山林は、自然回帰が進んでいた。

 それから、JRきのくに線を南下し、御坊の道成寺に到着。秘仏ツアーの団体客や女子大のゼミ旅行で賑わっている。講堂に入ると、正面に見覚えのある千手観音がいらっしゃった。世田谷美術館の『吉野・熊野・高野の名宝』展でお会いした初代ご本尊(8世紀)である。面長で、両肩を支点に多数の腕を広げたような、重心の高い、スマートな観音様である。

 この初代と背中合わせの位置にいらっしゃるのが、北向観音と呼ばれる秘仏の千手観音(14世紀)だ。初代ご本尊は、昭和61年、北向観音の胎内仏として発見されたというから、さぞ大きな秘仏に違いないと思っていた。お堂の裏にまわると、なるほど巨大な顔面が我々を見下ろしている。おお、と、ちょっと緊張したが、よく見ると、上半身の雄偉さに比べて、下半身が不釣合いに短い。うーん。やや宋風かな。でも現代人の美意識からするとあんまりカッコよくない。

 続いて縁起堂で道成寺名物の絵解きを聞き、宝佛殿で、現在のご本尊(2代目、9世紀)を拝観する。丸顔で、体の中心部から上下均等に弧を描くように腕が出ている。力強く、しかもバランスの取れた千手観音である。そのほか、ここには東北様の四天王(邪鬼=ジャッキーに注目)をはじめ、あやしいガンダーラ仏とか唐仏もいて、たっぷり楽しめる。

 再び北上し、和歌山市内(駅前)で遅い夕食。この日は紀三井寺駅前に泊まった。
 
■紀州徳川家の廟所(長保寺):なぜか顔写真(?)付き


■歴史・文化にふれる(下津町公式サイト):善福院釈迦堂、長保寺の紹介
http://www.town.shimotsu.wakayama.jp/index-history.html

■道成寺のサイト
http://www.dojoji.com/

(4月20日記)
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帝国の末裔/多民族国家 中国

2005-04-19 23:26:06 | 読んだもの(書籍)
○王柯『多民族国家 中国』(岩波新書)岩波書店 2005.3

 雲南、東北、新疆地区を旅行したことのある私にとって、「多民族国家」中国は、なつかしい姿である。これらの地方には、華やかな衣装に身を包み、独特の習俗・祭祀・芸能を持つ少数民族の人々が暮らしている。この「少数民族」というカテゴリーが、中国において、どのように認定されているかという話は、なかなか興味深かった。

 現在の少数民族はさておき、中国“本流”の歴史自体も、実はさまざまな周辺民族の激しい出入りによって形成されてきた。中華文明の創始者たち―夏も商(殷)も周も、もともと周辺の遊牧民族の一派であった。

 近くは最後の王朝、清も異民族王朝だったので、中国の近代化を目指した孫文らの最初の主張は「中国=漢民族国家(国民国家)の自立」であった。しかし、辛亥革命によって中華民国が成立したあと、非漢民族の離反と独立を防ぐため、彼らの主張は「中華民族=多民族の融和と同化(≒非漢民族の漢民族化)」にそっと横滑りしている。このへんの政治的苦心(?)を、日本のような"ほぼ"単一民族国家で育った人間が理解するのはとても難しいと思う。

 本書の著述態度は、チベット問題など中国国内の少数民族問題に関して、かなり中国政府に甘いと感じるが、また、一国国内の民族問題が、大国の介入によって国際政治の道具になっているという著者の指摘にも一面の真実がある。片方には、いまだ国民(民族)国家の成立以前の民族があり、片方には国民国家の幻想に破綻をきたした国家がある。グローバリゼーションの容赦ない大波があり、これに抵抗して国民国家を堅持しようとする動きがある。むずかしいなあ。

 ひやりと冷たいものを感じたのは、「中国国民にとって、周辺の民族が中国に見切りをつけるということは、(中国の)支配者の資質が問われる問題でもあり(略)、つまり『中国』が成り立つかどうかという根本的な問題にもかかわっている」という著者の言。1945年に外モンゴルの実質的独立を認めた蒋介石は、まもなく大陸における支配権を失い、台湾に逃れたが、生涯、外モンゴルの独立を承認せず、台湾発行の「中華民国地図」は外モンゴルを中国領のままにしたという。

 うーむ。この執念。"帝国"の継承者としての、尊大な自負心。日本人には、こういう考え方はない。むしろ、厄介者はどんどん切り捨てていくのが日本流である(小説『半島を出よ』もそういう想定に立っている。東京の政治家たちは、北朝鮮のコマンドに占拠された九州を封鎖し、見捨てるのだ)。中華文明という気難しい隣人、困ったものである。
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たゆたう幻影/半島を出よ

2005-04-15 23:24:05 | 読んだもの(書籍)
○村上龍『半島を出よ』上・下 幻冬舎 2005.3

 明日から2泊3日の週末旅行を控え、この小説を中断するのがもったいなくて、一気に読み終えてしまった。感想はゆっくり書いたほうがいいかなあ。いやあ、でも、ゆっくり考えても無駄のような気がする。これは詩なのだ。読後の高揚感だけが真実と割り切って、余計なことは考えないほうがいい。

 何だか、甘くて強いお酒に酩酊したような気分である。ざらりとした穀物の苦さ。舌先が痺れるような味わい。しかし勧められて飲み続けているうち、酔いとともに微かな甘さが広がっていくような。

 実際には、作者は膨大な参考文献を読み込み、政治、経済、軍事、情報技術、建築、医学、動物学など、さまざまな知識と情報を総動員することで、小説にリアリティを与えている。さらに、『脱北者』(晩声社, 2002.6)という書物との出会いを経て、作者は「この書下ろしに関しては北朝鮮のコマンドを『語り手』に加えなければならないのではないかと思うように」なり、ソウルで十数人の脱北者に会ってインタビューも試みたという。その結果、この小説には、北朝鮮から来た侵略者たちが、それぞれ個性的で厚みのある肖像をもって立ち現れている。

 しかし、それは「人間の本質に国境はない」みたいな安易なヒューマニズムに還元されるものではない。むしろ、この小説の重要な語り手は、国籍にかかわらず、普通の社会生活を送る人間からは、理解も共感も不能な人々ばかりではないか。殺戮の作法を身体に組み込んだ北朝鮮のコマンドも、社会から見捨てられた凶暴な日本の少年たちも。

 そうでありながら、この小説には、そんな彼らの内面に、極限状況でふと去来する人間性が、とても印象的に描かれている。水面にひととき浮かんで消える波紋のように。あるいは強くて苦い酒の中にたゆたう甘みのように。
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逗子鎌倉・桜日和

2005-04-14 23:23:46 | なごみ写真帖
 まず「町の桜」、逗子駅の北にあるハイランドという住宅街は、この季節、桜一色に包まれる。逗子に住んでいたときは、たびたび出かけたが、今年ほど見事な桜景色を見たのは初めてだ。交通が不便なのが幸いして、あまり人通りが多くないので、当地の住人だけが、のんびり頭上を眺めたり、写真を撮ったりしている。散り敷いた花びらを両手にすくい、雪合戦のようにかけ合って遊ぶ親子もいる。本当に夢のようだ。



 これは「山の桜」、そのハイランドの突き当たりから、平成巡礼の道という短いハイキングコースがある。粉砂糖を散らしたケーキのような、谷間の桜を見下ろしながら、尾根道を伝い歩き、一気に鎌倉方面に下る。中世の旅人になった気分で、私のお気に入りルートである。



 「町の桜」「山の桜」どちらも捨てがたい。前者は、ぱあっと心を晴らし、後者は心を和ませてくれるような気がする。

 さて、今週末は遅い桜と秘仏ご開帳を求めて、関西方面へ出かけて来ます!
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帝室博物館総長・森林太郎/東京国立博物館

2005-04-13 22:34:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 日本の博物学シリーズ 特集陳列『森鴎外と帝室博物館』

http://www.tnm.jp
※「展示」または「今日の博物館」から。

 いま、東博の常設展エリアで行われている地味な特集陳列である。ほとんど通り過ぎかけて、ちょっと変わった刷り物に目が留まった。解説を見たら「鴎外は…」と書いてあったので、おや?と思った。そうしたら、次の解説にも、その次にも「鴎外」の名前があって、初めてこれが、『森鴎外と帝室博物館』という特集陳列であることに気づいた。

 「文豪」森鴎外は帝室博物館総長をつとめたことがある。へえ、知らなかった。というか、あまり意識したことがなかった。「官僚」鴎外には軍医のイメージが強い。陸軍軍医の頂点である陸軍軍医総監の地位まで上り詰めた人だもの。鴎外は、陸軍省退官後、大正6年から(55歳)帝室博物館総長と宮内庁図書頭(ずしょのかみ)を兼任し、同11年(60歳)現職のまま、この世を去った。毎朝、軍服姿で、馬に乗って出勤してきたという逸話が以下のサイトにある。
http://www.tcvb.or.jp/jp/rashai_tokyo/MEISHO/E_MUSEUM.HTM

 晩年にもかかわらず、鴎外の仕事は実に精力的である。博物館の蔵書目録の編纂を意図し、1点ごとに丁寧な解題を執筆している。その成果は『帝室博物館蔵書解題』(ゆまに書房,2003.2)として刊行されているが、最近、新たな自筆原稿が追加発見されたのだそうだ。

 帝室博物館の罫紙に遺された鴎外の筆跡は、右肩上がりで勢いがある。文献の来歴(序文や跋文から分かる出版の経緯、どこから購入・入手したか)、特徴(形態、寸法、朱印の有無)、注目すべき収録記事や図版、対比参照すべき文献など、豊富な内容を簡潔に記している。若い頃の装飾過多な文体でもないし、晩年の砂を噛むような歴史小説の文体とも異なる。明晰で無駄のない、平易な日本語が美しい。

 鴎外ってあんまり好きじゃなかったが、この仕事を見て、ちょっと好きになった。こんな充実した晩年が過ごせたら幸せだろうなあ。
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将軍のアーカイブズ/国立公文書館

2005-04-12 23:25:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立公文書館 所蔵資料特別展『将軍のアーカイブズ』

http://www.archives.go.jp/

 土曜の午後、桜見物の人の波に揉まれながら、国立公文書館にたどり着いた。館内はけっこう混雑していた。どうせ花見ついでの冷やかし客ばかりだろう(無料だし)と思ったが、意外なことに、展示ケースに張り付くようにして目を凝らしている熱心な観客が多かった。

 国立公文書館は、江戸城内にあった紅葉山文庫をはじめとして、昌平坂学問所、塙保己一の和学講談所など、江戸幕府の諸機構から明治新政府に引き継がれた貴重な書籍を収蔵している。とはいえ、所詮、書物である。ときどきは昔物語の挿絵とか、精緻な本草の彩色図とか、見て楽しいものもあるが、文字が並んでいるだけの紙面がほとんどである。

 にもかかわらず、人々が惹きつけられるのは、どの展示品にも、歴史上の人物に結びつく、さりげないエピソードが添えられているためだ。関ヶ原の戦いの直前に家康が出版した「貞観政要」。吉宗が民生の安定のため意欲的に研究・閲覧した医学書。新井白石が経済改革の参考にしたと思われる明律の注釈書。綱吉が儒学の講義をするのに使った四書のテキスト、など。

 こうしたエピソードの多くは、紅葉山文庫の管理記録(御書物方日記)から判明するらしい。文庫の管理人には、さまざまな人材が名を連ねている。たとえば、エトロフ島の探検を行った近藤重蔵は、ひ弱な本の虫ではなくて、体力も実行力も持ち合わせていた。70歳の高齢で書物奉行となったのは青木昆陽。逆に30歳の若さで書物奉行となった高橋景保は、天文・地理学者で、オランダ語、満州語に通じ、蔵書にローマ字のサインを残している。う~ん、同時代の人々からは悪魔的な異能の人に見えただろうな。

 いや、それを言うなら、家康も吉宗も、文教政策にかけた意気込みはなかなか見上げたものだ。よく書物を集め、自分でもよく読んでいる。中国の皇帝に比べれば小粒だけど、最近の政治家など、彼らの足元にも及ばない。

 しかしながら、これだけの質量を誇るアーカイブズが今日に残されたのは、1人や2人の天才に拠るものではなく、本の出納、記録の作成、目録の編纂、虫干し、書庫の営繕など、日々の仕事を堅実にこなしてきた人々の努力があってこそである。彼らの平凡な後ろ姿が浮かぶような展示であった。多くの無名氏に感謝しよう。
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東京桜三昧

2005-04-11 21:11:03 | なごみ写真帖
 社会人になってから、桜を楽しめる年にはいくつかの条件がある。3月はだいたい忙しいので、開花の早い年は、花など見ていられない。

 自分が異動にあたった年は、4月の初めまで忙しさを引きずる。加えて天候にも左右される。次の週末こそは!と思っていたら雨にたたられて、すっかり花が散ってしまったことも何度かあった。

 今年は例年になく条件が揃って、この週末は絶好のお花見日和だった。九段下から千鳥ヶ淵の遊歩道を歩こうと思って出かけたが、桜並木の下は、ものすごい混雑で、とても歩けない。桜並木を迂回して半蔵門に出て、千鳥ヶ淵の南側を、竹橋の国立公文書館のほうに向かって歩いた。

 この土手の上も、なかなかの桜並木だ。種類が多く、さまざまな濃淡の桜色が楽しめる。白い綿菓子のような対岸の桜も美しい。途中の乾門(この門の奥に書陵部と楽部がある)の前には、1本でも主役になれそうな枝垂れ桜が惜しげもなく点々と歩道に植えられている。

 ずっと東京に住んでいるのに、桜の季節には、一度も歩いたことのない道だった。来年は誰かを連れてきて、自慢しながら歩きたいと思った。





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歩きながら見る屏風/根津美術館

2005-04-10 23:39:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
○根津美術館『唐絵の屏風-中国古典世界への憧憬-』

http://www.nezu-muse.or.jp/

 今回は屏風ばかり、全部で10点。ああ、これならすぐに見終わると思ったら、そうでもなかった。雪村周継の作品が2点。湖畔の風景を描いた山水図は、ぐるぐると奔放な筆づかいに不思議な浮遊感がある。湧き上がる雲のように躍動する大地は、山林や人家を載せたまま、どこかに飛んでいってしまいそうだ。アラビアンナイトか何かのように。

 そのうち、面白いことに気づいた。六曲一双のこの屏風は、都合12の面で出来ていて、中央の湖面を挟んだ左右の陸地は、正面から見ると、陸:水:陸が、ちょうど1対1対1の比率を保っている。ところが屏風の右端に立つと、右双の端から数えた偶数面(2、4、6面)が影になるため、比率が1対1対0.5くらいに変わる。すると、静謐な湖面の占める割合が増すので、作品の印象が一気に変わる。

 同じことは屏風の左端に立ったときにも起こる。しかし、作者は特に右双に、この仕掛けを意識的にたくらんだのではないかと思う。見えるのが奇数面(1、3、5面)だけになったとき、山の稜線がきれいにつながるのだ。子供のだまし絵のようだが、お試しあれ。

 雪村の龍虎図もいい。水墨画の虎はかわいいものと決まっているが、この子は格別である。前足が短く、後ろ足がデカくて、プロポーションがカンガルーみたいだ。背中を抱いたらぐにゃりと体が伸びてしまいそうである。そのままベッドに連れていきたいくらいかわいい。

 彩色屏風では桜下麝香猫図。華麗な金泥をバックに、タヌキみたいな小動物がたわむれている。一匹はお尻を高々と上げて、ふさふさした尻尾を得意げに風に揺らしている。ジャコウネコはお尻から芳香を分泌する動物である。画面から香りが伝わってくるようで、おもしろい。
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弥勒菩薩と桜/東京国立博物館

2005-04-09 23:39:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別公開『中宮寺国宝弥勒菩薩半跏像』

 中宮寺の弥勒菩薩とは、奈良で何度もお会いしているが、せっかく東京においでなので、やっぱりお会いしに行ってきた。

 今回の展示の”売り”は、弥勒菩薩の周りをぐるりまわって、360度、どこからでも好きな角度で拝観できる点にある。正面から正対すると、ビシリと背筋を伸ばして見える仏像だが、脇にまわると意外と猫背であることが分かった。

 以前、韓国で見た類似の半跏思惟像は、ことごとく猫背だった。そのとき、どうして中宮寺の弥勒像はあんなに背筋が伸びているのかなあ、日本産だから違うのかなあ、などと考えたが、その感想は誤りだということが分かった。亀井勝一郎は、この弥勒像の肩や胸のあたりに、若々しい青年の筋肉を感ずると書いていたように記憶するが、それも正面からの印象に束縛されているのではないかと思う。

 特別公開の会場は、本館の奥の一室である。かなり照明を落としているので、明るい屋外から飛び込むと、眼が慣れるまで、しばらくとまどう。ふだんのお住まい、中宮寺の本堂はもう少し明るくなかっただろうか。せっかくの桜の季節に、こんな陰気くさい部屋に閉じ込められた弥勒菩薩が少しかわいそうに思った。

 むろん美術品の保存の観点からは正しい措置だが、日本の仏像、特に古代の仏像は、できるだけ外気に近いところにおいて、四季の息吹を感じながら眺めたいと思う。弥勒菩薩のつややかな黒い肌に、揺れる桜の影を映してみたい、なんて思うのは不謹慎かしら。

 今回、私は初めて博物館の裏庭に入ってみた。そうしたら桜マニア必見のスポットである。大ぶりな古木が多くて、雰囲気がおおらかなのがよろしい。上野公園のように、お弁当を広げたり、カラオケで盛り上がったりはできないが、静かに桜を愛でながら散策するには絶好である。ご来館の際は、ぜひお試しを。
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熱国の巻/芸術新潮4月号

2005-04-08 00:23:47 | 読んだもの(書籍)
○橋本治「ひらがな日本美術史」その百十三 ただ「私は見た」と言っているもの 今村紫紅筆「熱国の巻」(芸術新潮 2005年4月号)

 最新号の『芸術新潮』を衝動買いしてしまったのは、巻頭特集が「水墨サイケデリック」曽我蕭白だったからではない。今、いちばん気になる展覧会、愛知県立博物館の「自然をめぐる千年の旅」の紹介記事があったからでもない。最後までパラパラめくっていったら、今村紫江の「熱国の巻」の図版に眼がとまってしまったためである。何を隠そう、私はこの絵が大好きなのだ!

 この作品、知らない人には説明がいる。実は普通の絵画ではない。全長9メートル余りの絵巻物なのだ。「朝の巻」「夕の巻」の2巻とも、文字はなく、ひたすら絵が続く。絵の中にも、特に際立ったストーリーやドラマはない。ただ光に満ち、夢のように美しい「熱国」の風景が続いていく。安野光雅の「旅の絵本」みたいに。

 絵の諧調は、淡く輝くようなオレンジを基調に、緑の樹木と人家の赤い屋根が穏やかなコントラストを作り出している。橋本治がうまく言い得ているように「どこか大正っぽい」。児童文学誌「赤い鳥」とか、直接には、むかし読んだ小川未明の無国籍でエキゾチックな童話を思い出す。

 橋本治は1960年代、高校を卒業した十代の頃に「熱国の巻」に出会ったという。私の場合は、もっとずっと遅い。私は東京国立博物館のホームページ上で、まず、この作品に出会った。何の予備知識もなかったが、あんまりきれいだったので、ダウンロードして、ときどきデスクトップの壁紙に使っていた。その後、博物館で、実際の作品を見たのはつい最近のことだ。

 あれはまだ、東博のホームページが立ち上がって間もない頃だったから、ネット上のギャラリーで見られる作品は、今よりずっと少なかった。東博所蔵の膨大な名品の中から、この「熱国の巻」を取り上げてくれた当時の担当者の方に、私はとても感謝している。今後は、こういう作品との出会いをする人が増えてくるんだろうなあ。博物館・美術館のサイト管理者さん、がんばって。

■東京国立博物館 館蔵品ギャラリー
 「熱国の巻」は、日本絵画>近代絵画から。(本日、ちょっと調子悪し)
http://www.tnm.go.jp/jp/gallery/type/painting.html
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