〇劉慈欣;大森望、古市雅子訳『流浪地球』 KADOKAWA 2022.9
『三体』で知られる劉慈欣のSF短編集。収録作品は2000年から2009年に発表されたものだという。正直に告白すると、私は今年の春節映画『流浪地球2』が好評というニュースを見て、そういえば2019年の映画『流浪地球』も見ていないなあ、と思い出し、まずは原作を読んでみるかと思って、本書を手に取った。そうしたら、標題作はすぐに終わってしまって肩透かしをくらった。「訳者あとがき」によれば、映画が原作を踏襲しているのは基本設定のみで、キャラクターもプロットも別物なのだという。
しかし、本書を読み始めたことを後悔したかといえば、全くそんなことはない。どの作品も面白かった。奇想天外な設定を、いかにも事実(科学)らしく、緻密な描写を積み上げていく筆力に感服した。
「流浪地球」は、400年後に太陽が大爆発を起こす、と天体物理学者が予測した世界の物語。人類は滅亡を逃れるため、地上に巨大な「地球エンジン」を建設し、地球の自転を止め、太陽のまわりを回りながら次第に加速し、太陽系を離脱してプロキシマ・ケンタウリを目指すことにした。計画開始からまもなく4世紀、いよいよ太陽系を離れる「脱出時代」に直面して、「太陽は爆発しない、我々は騙された」と主張する人々の反乱が暴発する。劉慈欣の作品世界では、宇宙時代になっても人類は「扇動」に揺れ動き「反乱」を繰り返すのだ。
「ミクロ紀元」は、人類が移住できる惑星を探査する旅に出た「先駆者」の物語。二万五千年後、彼が地球に戻ってみると、そこには体のサイズを羽虫ほどにミクロ化することで生き残ったミクロ人間たちが新たな文明を築いていた。全宇宙でただひとりのマクロ人間となった主人公は、地球の未来のための選択を迫られる。マクロとミクロ、巨大な存在と卑小な存在の対比も、作者が繰り返し扱っているテーマである。
「呑食者」では、あるとき、巨大なトカゲのような姿の異星人が地球に現れる。彼は巨大な宇宙船「呑食者」の先触れで、人類を家畜化し、地球そのものを食い尽くすことを宣言する。国連地球防衛軍の大佐である主人公は、異星人の使者・大牙と交渉し、月に人類の避難所をつくることの許可を得る。百年後、一部の人類を載せた月は、核爆弾の推進力によって地球周回軌道を離脱する。しかし地球防衛軍の真の目的は、迫りくる「呑食者」に月をぶつけて破壊することだった。主人公の大佐(最後は元帥)と配下の兵士たちの気高さ、清々しさ。邪悪で狂暴な異星人に見えた大牙が、種族を超えて、人類の戦士たちに共感と敬意を抱くのもよい。軍人嫌いの私が、この物語にはすっかり魅入られてしまった。
「中国太陽」は、本書の中でいちばん好きな作品。中国西北部の貧しい村に生まれた水娃は、炭鉱や建築現場で働いたあと、北京に出て高層ビルの窓拭き作業員(スパイダーマン)をしていた。そこを中国太陽プロジェクトの主席科学者・陸海にスカウトされ、宇宙空間で中国太陽(人工太陽)の鏡面清掃に従事することになる。小学校しか出ていない彼は、宇宙から地球を眺める体験や、スティーブン・ホーキング博士との交流によって、少しずつ思索と信念を深めていく。そして中国太陽が役目を終えて太陽系の外へ送り出されることになったとき、それに乗り込み、恒星間探査に旅立とうと決意する。これも作者の文脈でいえば、「虫けら」の可能性や創造性を信じる暖かい物語である。
この作品を読みながら、私はずっと泣いていた。10代の頃に読んだ古典的なSF小説(と、それに影響を受けた日本のSFマンガ)の読後感がよみがえるような気がした。未知の宇宙にあこがれるロマンと、未来を信じる楽観主義。作中で、主人公の水娃が「人類は前世紀の60年代には月に降り立ったのに、なぜそのあと人宇宙開発は後退してしまったんだろう?」と問いかける場面がある。エンジニアは「人間は現実的な動物」「前世紀の中ごろは、理想と信念に駆り立てられていたが、長つづきしなかった」「経済的利益のほうが上だ」「(あのまま宇宙開発を続けていたら)地球はまだ貧困から抜け出せていなかったかもしれない」と答える。そうか、私は物心ついた頃に「理想と信念に駆り立てられていた」時代を記憶している世代だが、その後はずっと「経済的利益」優先の時代を生きてきたのだと思うと、寂しくて胸にこたえた。