〇池上本門寺霊宝殿 『本門寺の狩野派展』(2023年2月19日~5月28日. 前期:2月19日~4月16日)
狩野派には、いろいろな展覧会の影響でじわじわ関心を持つようになった。狩野派の始祖・正信が日蓮宗の信者であったこと、江戸へ本拠を移した江戸狩野の人々が、日蓮上人の入滅の地である池上本門寺(大田区池上)を菩提寺としたことは、以前にも聞いた記憶がうっすらある。
池上本門寺には一度も行ったことがなかったが、この展覧会のチラシを見て、行ってみようと思った。地下鉄の西馬込駅で下車して、おやこれは10月に太田区立郷土博物館の『勾玉展』を見るために下りた駅だと思い出した。ほとんど縁のなかった大田区へ半年に2回も足を踏み入れるのも不思議な縁である。途中の池上梅園(入園料100円)に寄り道して、裏参道から本門寺に入った。
宝物殿に展示の絵画作品は30件弱。冒頭には伝・狩野之信(かのうゆきのぶ、1513-1573)筆『花鳥山水図』屏風。水墨の山水に彩色の花鳥を配したもの。正信の子、元信の弟だという。ビッグネームである伝・狩野元信(1476-1559)の『瀧図』2幅もあったが、これは解説にもいうとおり工房作だろう。それから江戸狩野の尚信、常信、周信らの作品が並ぶ。いかにも狩野派らしい顔のトラの絵があると思ったら、『竹に虎図』は徳川吉宗の作だった。なかなか巧い。
続いて、あまり知らない狩野古信(ひさのぶ、1696-1731)という絵師の大作『琴棋書画図屏風』があった。中国の楼閣の中で、官人(文人)と官女たちが琴棋書画を楽しんでいる。こういうのは男女が別集団で描かれることが多いのではないかと思うが、梅の木の下に敷物を敷いて、官人と官女(皇帝と皇妃だろうか?)が向き合って囲碁を楽しんでいるのを珍しく感じた。古信は吉宗に重用されて古画の模写などに携わったが、現存する作品は少ないそうだ(※参考)。
印象的だったのは、狩野養信(おさのぶ、1796-1846)の『薬玉に猫図』。白黒ブチの子猫が薬玉の紐にじゃれついている。子猫の身体のやわらかさがよく分かり、のどかな趣きが表現されている。
絵画以外では、中橋狩野家の最後の当主から本門寺・南之院に寄贈されたという木造毘沙門天立像(江戸時代・17世紀)が出ていた。もとは木挽町狩野家にあったものと見られている。さらに、木挽町狩野家の歴代当主の位牌(尚信夫妻、常信、周信など)、副葬品、さらに狩野養信の遺骨をもとにした立体の復顔像(2001年制作)もあって、びっくりした。
同寺の境内には約90基の狩野派墓所が残されており、案内パンフレットには奥絵師当主や高弟など34基+記念石造物2基が地図・写真つきで掲載されているが、あまりに多すぎて、誰かの墓所を選んで参拝していくのが申し訳なくなってしまった。しかも探幽や尚信、安信(三兄弟)の墓所は、私が行きに上ってきた大坊坂の途中らしかったので、今回は参拝を止めた。そのかわり、霊宝殿の裏手に英一蝶の墓所があるというので、ここだけ訪ねていこうと思って墓苑の中を探した。しかし見つけることができなかった。
本門寺の本堂にもお参りしたが、井桁に橘という井伊氏と同じ家紋なのが気になった。調べたら、日蓮が橘氏の子孫であるとの伝承に由来するらしい。また、井伊直政が日蓮宗に帰依して「日蓮と井伊家はもともと同族である」と言い出したとも伝わる。へえ面白い。
また、自分のブログを検索したら、一坂太郎氏の『仁王』によれば、本門寺の仁王像は、アントニオ猪木の肉体をモデルにしているらしい。次回訪問時はよく見てこよう。