見もの・読みもの日記

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重なる名演の記憶/文楽・摂州合邦辻、他

2018-01-09 23:59:23 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 平成30年初春文楽公演 第1部(1月7日、11:00~)

 大阪で文楽を見て初春を寿ぐのは2014年から数えて5年目で、すっかり私の恒例行事と化した感がある。今年は、贔屓の咲甫太夫さんの襲名公演でもあるので、慶びが二倍。前日は大阪に泊まり、朝のうちに四天王寺に参拝する。慌ただしく日本橋に出て、黒門市場で昼ごはんのお寿司を買って劇場へ。大坂寿司の八十島さんだが、ちょっと江戸前ふう。



 劇場前には、咲甫太夫が新たに名乗る「竹本織太夫」の幟がズラリ。先頭のピンクの幟には「高津連合自治会」と「高津小学校子ども文楽委員会」とあって微笑ましかった。



 会場に入ると、今年はにらみ鯛の間に「戊戌」と書いた横長の絵馬が飾られている。華厳宗大本山・東大寺の狹川普文別当の揮毫。



・『花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)・万才/鷺娘』

 舞台は正月らしく華やかな景事から。2015年の新春公演では「万才/海女/関寺小町/鷺娘」と四季が全て演じられ、「関寺小町」の文雀さんが記憶に残っているが、今回は春と冬のみ。文昇さんの鷺娘が愛らしかった。

・『平家女護島(へいけにょごのしま)・鬼界が島の段』

 床は呂太夫と清介。俊寛僧都を玉男。老け役の玉男さんは安心して見ていられる。海女の千鳥を蓑助。蓑助さんが一時期よりも安定的に舞台に出られるようになって嬉しい。俊寛僧都の物語は、原典『平家物語』では明らかに悲劇なのだが、浄瑠璃では、男三人、それなりに島の暮らしに安んじているように見える。絶海の孤島というわけではなく、ときどき漁師も通ってくるようだ。丹波少将成経が海女の千鳥とのなれそめを語る段は、かなりエロチックできわどい笑いを取る趣向。

 そして赦免状を携えた都の使いが現れる。赦免状には成経、康頼の名前しかなく、顔色を変える俊寛だが、重盛と教経の恩情によって俊寛の名前が別状に書き添えられていた。喜ぶ三人。しかし千鳥は船に乗れないと分かり、自分の代わりに千鳥を船に乗せるよう頼む俊寛。運命に翻弄される『平家物語』とは異なり、自らの意志で自己犠牲を買って出るという、近世人好みの悲劇になっている。「足摺り」の場面も、原典とはずいぶん趣きが違う。それと、昨年、この場面に続く「敷名の浦の段」を見て、都に向かった千鳥が、後日、後白河法皇の命を救うことを知り、俊寛の自己犠牲がめぐりめぐって法皇を助けたことを思うと、この一段に、これまでと違った感慨を覚えた。

 幕間に技芸員による手拭い撒きあり。吉田幸助さんが「4月は私の襲名披露」と挨拶して、お客さんの拍手をもらっていた。

・八代目竹本綱太夫五十回忌追善/豊竹咲甫太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露口上

 幕が上がると、左に咲甫太夫改め六代目竹本織太夫、右に豊竹咲太夫のおふたり。咲甫太夫は終始無言で、咲太夫さんが口上を述べた。本公演は、咲太夫の父親・八代目竹本綱太夫(1904-1969)の五十回忌追善公演であること。プログラム掲載のインタビューでも語っていらしたが、かつて十七世中村勘三郎(1909-1988)が父・三世中村歌六(1849-1919)の五十回忌追善を歌舞伎座でおこなったとき「こういうことのできる太夫になりたいなあ」と思ったものだという。なるほどなあ、亡父のため、こういう念願を持って精進することがあるのだなあ。

 そして八代目綱太夫の前名を継ぐことになったのが咲甫太夫さん。織太夫の定紋は「抱き柏に隅立て四つ目」なのだそうだ。写真はロビーに飾られた提灯。咲太夫さんが「彼も昨年、不惑を迎え」と紹介していたが、まだお若い。これから20年でも30年でも彼の芸を聴き続けるために、私も長生きしなくちゃ。



・追善・襲名披露狂言『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)・合邦住家の段』

 『摂州合邦辻』は大好きな狂言である。今回は、中:南都太夫-清馗、切:咲太夫-清治、後:織太夫-燕三という豪華布陣(この場合、切場語りは咲太夫さんで、織太夫は「切」と言わないことを覚える)。いや~贅沢!三味線が清治さんから燕三さんへのリレーなんて、あっていいのかと思うくらい贅沢。咲太夫さんは丁寧だが、やはりお年を召して声が細くなった感じがする。織太夫さんは、たぶん天性の美声である。悪態をついても老人のしゃがれ声を出しても、耳に快いのだ。言葉もはっきりしていて、初心者にはとても聞きやすい太夫さんだと思う。ふと過去の記録を調べてみたら、私は『合邦』を住太夫、嶋太夫、咲太夫で聴いているのだった。この日の織太夫も颯爽としてよかったけど、私の記憶に残るベストは嶋太夫かな。

 人形は玉手御前を勘十郎、合邦を和生。吉田和生さんはどんな役もいい。勘十郎の玉手御前は、ちょっと動きすぎるのではないか。咲太夫さんがプログラムのインタビューでマクラ(登場シーン)が一番難しいと言い、「向こうの方の暗闇から、玉手御前という奇麗な女性が歩いてくる、そういう情景描写が難しい」と語っているのは人形にも通じると思う。かつて文雀さんの玉手御前は、立っているだけで、ぞっとする気品を感じた。

 大阪公演のプログラムには、大阪市立大学の久保裕明先生が演目に合わせた解説を連載しており、毎回、楽しみにしている。今回の『摂州合邦辻』について、玉手が実際に俊徳に恋心を抱いていたという近代的な解釈に、厳しくクギを刺していた。時代に合わせた妄想を抱きたくなるのが名作のゆえんなのだろうけど、しょせん妄想という認識は大切。また、合邦庵室(辻閻魔堂)が天王寺の界隈であること、すっかり忘れていて、この朝、四天王寺に参詣したのに場所を確認してこなかった。またいつか、聖地巡礼に行ってみなくては。
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