〇佐藤彰一『剣と清貧のヨーロッパ:中世の騎士修道会と托鉢修道会』(中公新書) 中央公論新社 2017.12
西洋史には詳しくない私だが、著者の名前を見て、これは面白いに違いないと思った。修道院の起源を論じた『禁欲のヨーロッパ』(中公新書 2014)を読んで、とても面白かったので。本書は前作の続編と言っていいだろう。俗世間を離れ、自らの心の内を見つめる場として成立した修道院。だが、その伝統から大きく離れた修道会が12世紀に登場した。騎士修道会と托鉢修道会である。
騎士修道会は、異教徒に対する征服戦争(十字軍運動)の中で生まれた。本書には、テンプル騎士修道会、ホスピタル騎士修道会、ドイツ騎士修道会、サンチャゴ騎士修道会などが紹介されている。私は「修道会」と「騎士修道会」と「騎士」の区別がほとんどついていなかったのだが、これらは本来、別のものである。中世の社会は「祈る者」「戦う者」「働く者」の三つの身分で構成されていると考えらえていた。10世紀末から11世紀にかけて、領主間の武力紛争が社大きな混乱と疲弊をもたらしたため、教会人たちは騎士を「平和運動」に取り込み、一定の規律に従わせることで、その暴力性を馴致しようとした。ここに厳しい戒律と作法に従う武力集団「騎士修道会」が成立する。
ローマ教皇は騎士修道会に大きな特権を与えることで、彼らを従属下においた。これは異教徒との戦争における重要性もさることながら、むしろヨーロッパ内部において、司教権力から切り離し、教会改革や社会改革を実現する手段として活用する側面があったという。生臭い話だが、大きくなりすぎた権力が直属の集団(武力を含む)を必要とすることは分かる。
興味深いのは、騎士修道会が、交易や国際金融への関与(前線で軍事資金を調達するため)、所領経営(農業と牧畜、特に軍馬の飼育)など、ヨーロッパの経済活動において大きな役割を果たしていたことだ。騎士修道会の有能なメンバーは各国の世俗権力のために、特に財政面で奉仕したという。タイトルの「清貧」とずいぶん違うじゃないか、と苦笑したが、それは別の話。また、著者は「騎士修道会がもたらしたもの」のひとつとして「聖戦」思想の胚胎と形成をあげる。この思想は、イスラーム教徒の「ジハード」と一対の概念となり、今日にも重たい影響を与えている。
次に托鉢修道会について。初期の修道院は、人里離れた「荒野」につくられ、農業生産を行いながら祈りの生活を行った。これに対し、聖フランチェスコ修道会、ドミニコ修道会などの托鉢修道会は、個人の財産だけでなく、共同財産も放棄し、生活の糧は全て喜捨に依存した。彼らが拠点としたのは、13世紀に大きく成長した都市であった。これは、日本でも山の寺院で修行する僧と、市の聖がいたことの類推で理解できる。
アッシジの聖フランチェスコについて、私は本書ではじめて多くを知ることができた。「絶対的無所有」という彼の思想の革新性も少し分かった。社会的上昇を大罪とみなすがゆえに、その手段となり得る「学識」に対しても不信感をあらわにする。高価な書物は、清貧と無所有の原理と対立するというのである。また「平和」を熱心に説いたことも当時の人々を驚かせた。著者は、若き日のフランチェスコが騎士に憧れ、平和の担い手としての「騎士道精神」に親しんでいたことが行動の源泉にあるのではないかと推測する。
聖フランチェスコ修道会が、詩的感性とラジカルな行動規範で今なお人々を惹きつけるのに比べると、ドミニコ修道会は分が悪い、と著者は書いている。しかし苦しむ人々へのドミニクスの同情と共感、行動する強い意志はやはり並大抵のものではない。まあ聖フランチェスコが空海なら、ドミニクスは最澄タイプかな、と思いながら読んだ。
最後に、13世紀後半からベギン派と呼ばれる女性の新しい回心者の形態が出現する。彼女たちは、修道誓願を行わず、自発的に貞潔と清貧の生活に入り、都市の中で、主に托鉢修道会の修道院の近くの小さな一軒家かベギン館(会館)に定着した。比較的裕福な中間層以上の女性が多かったというが、女性の生き方の選択肢として興味深いと思った。

騎士修道会は、異教徒に対する征服戦争(十字軍運動)の中で生まれた。本書には、テンプル騎士修道会、ホスピタル騎士修道会、ドイツ騎士修道会、サンチャゴ騎士修道会などが紹介されている。私は「修道会」と「騎士修道会」と「騎士」の区別がほとんどついていなかったのだが、これらは本来、別のものである。中世の社会は「祈る者」「戦う者」「働く者」の三つの身分で構成されていると考えらえていた。10世紀末から11世紀にかけて、領主間の武力紛争が社大きな混乱と疲弊をもたらしたため、教会人たちは騎士を「平和運動」に取り込み、一定の規律に従わせることで、その暴力性を馴致しようとした。ここに厳しい戒律と作法に従う武力集団「騎士修道会」が成立する。
ローマ教皇は騎士修道会に大きな特権を与えることで、彼らを従属下においた。これは異教徒との戦争における重要性もさることながら、むしろヨーロッパ内部において、司教権力から切り離し、教会改革や社会改革を実現する手段として活用する側面があったという。生臭い話だが、大きくなりすぎた権力が直属の集団(武力を含む)を必要とすることは分かる。
興味深いのは、騎士修道会が、交易や国際金融への関与(前線で軍事資金を調達するため)、所領経営(農業と牧畜、特に軍馬の飼育)など、ヨーロッパの経済活動において大きな役割を果たしていたことだ。騎士修道会の有能なメンバーは各国の世俗権力のために、特に財政面で奉仕したという。タイトルの「清貧」とずいぶん違うじゃないか、と苦笑したが、それは別の話。また、著者は「騎士修道会がもたらしたもの」のひとつとして「聖戦」思想の胚胎と形成をあげる。この思想は、イスラーム教徒の「ジハード」と一対の概念となり、今日にも重たい影響を与えている。
次に托鉢修道会について。初期の修道院は、人里離れた「荒野」につくられ、農業生産を行いながら祈りの生活を行った。これに対し、聖フランチェスコ修道会、ドミニコ修道会などの托鉢修道会は、個人の財産だけでなく、共同財産も放棄し、生活の糧は全て喜捨に依存した。彼らが拠点としたのは、13世紀に大きく成長した都市であった。これは、日本でも山の寺院で修行する僧と、市の聖がいたことの類推で理解できる。
アッシジの聖フランチェスコについて、私は本書ではじめて多くを知ることができた。「絶対的無所有」という彼の思想の革新性も少し分かった。社会的上昇を大罪とみなすがゆえに、その手段となり得る「学識」に対しても不信感をあらわにする。高価な書物は、清貧と無所有の原理と対立するというのである。また「平和」を熱心に説いたことも当時の人々を驚かせた。著者は、若き日のフランチェスコが騎士に憧れ、平和の担い手としての「騎士道精神」に親しんでいたことが行動の源泉にあるのではないかと推測する。
聖フランチェスコ修道会が、詩的感性とラジカルな行動規範で今なお人々を惹きつけるのに比べると、ドミニコ修道会は分が悪い、と著者は書いている。しかし苦しむ人々へのドミニクスの同情と共感、行動する強い意志はやはり並大抵のものではない。まあ聖フランチェスコが空海なら、ドミニクスは最澄タイプかな、と思いながら読んだ。
最後に、13世紀後半からベギン派と呼ばれる女性の新しい回心者の形態が出現する。彼女たちは、修道誓願を行わず、自発的に貞潔と清貧の生活に入り、都市の中で、主に托鉢修道会の修道院の近くの小さな一軒家かベギン館(会館)に定着した。比較的裕福な中間層以上の女性が多かったというが、女性の生き方の選択肢として興味深いと思った。