2017年の大河ドラマ『おんな城主直虎』はとても楽しかった。最終回を見て、総集編も見たあと、ひとつ心残りだったのは、浜松にあるという大河ドラマ館に行っていなかったことだ。
正月三連休の関西行きは早くから計画していた。新年の展覧会をいくつか見てくることと、大阪で初春文楽公演を見る(咲甫太夫さん→竹本織太夫の襲名披露公演)ことが目的だった。文楽は日曜の昼の部なので、ん?これを見終わったあと、新幹線で移動すれば、最終日に浜松めぐりができるかも?と気づいたのは年が明けてから。急遽、日曜を浜松泊に変更し、今日は直虎ゆかりの地のエッセンスだけ回ってきた。
天気予報どおり、朝から雨のパラつく生憎の天気。しかし心配したほど荒れなくてよかった。はじめに大河ドラマ館のある気賀に向かう。遠州鉄道の終着駅の西鹿島で天竜浜名湖鉄道に乗り換える。遠州鉄道の本数が密にあるのに油断して、乗り換えを確認していなかったため、西鹿島で40分くらい待たされることに。遠州鉄道は2両、天竜浜名湖鉄道は1両で運行していた。
気賀駅着。駅前の文化センターに大河ドラマ館が設置されている(2018年1月14日まで)。次の『西郷どん』も昨日から始まったし、もう閑散としているのでないかな?と思ってきたらとんでもなくて、たくさんの人で混み合っていた。子どもの姿が多くて、子どもも楽しそうなのが微笑ましかった。井伊谷の井戸のセットを覗くと、次第に水紋が静まって、おとわと鶴、亀、南渓和尚(+にゃんけい)の姿が映るなど、しゃれた仕掛けもあった。
見ていて飽きなかったのは衣装。特にメインビジュアルに使われた直虎のパッチワークふうの打掛けは手の込んだ作りで美しかった。NHKは直垂や甲冑などを使い捨てにせず、別のドラマで使い回すようだが、これもいつか、ふさわしい場面で再利用してほしいなあ。龍雲丸の衣装も面白かった。私はテレビで気づいていなかったのだが、腰に短刀を差していて、堆朱のような赤い拵えで「珠をくわえた龍」のかたちをしている。おとわの水筒を下げていない、と思ったら、ちゃんと別ケースに展示されていた。政次が獄中で書いた辞世の歌も展示されていた。思ったよりも小さな紙(実際に高橋一生さんが書いたとか)。「嫌われ」でなく「愛され政次の一生」と題した名場面集が流れていて、分かっているなあという感じだった。
大河ドラマ館前から15分ほどバスに乗って龍潭寺へ。天平年間に行基菩薩によって開創されたと伝わる古刹で、井伊家の菩提寺だというが、私は全く知らなかった。大河ドラマの舞台にならなかったら、たぶん一生?訪ねることはなかっただろうと思う。新年の名残りで門前には立派な門松。

広い境内。本堂の前庭も、裏の池泉鑑賞式庭園も、どちらも美しかった。

井伊家歴代当主の位牌を祀る御霊屋。扁額に「井伊家五十九代当主」とあって、知らなかったが、井伊直愛(なおよし)氏(1910-1993)は農学博士号を持つ水産学者で、彦根市長でもあった方なんだな。

井伊家の墓所。これは向かって左側の列で、右側にも同様の石塔が並ぶ。奥の平らな石碑が22代直盛、5つの小さな石塔は、奥から、直盛室(直虎母)、直虎、23代直親、直親室、24代直政だという(※龍潭寺サイトに説明)。ちんまりと仲良く肩を寄せ合っている姿が奥ゆかしい。
境内に案内札が立っているのは「井伊家墓所」だけだったのだが、あとで龍潭寺のサイトを見たら、そのまわりに小野家、松下家、中野家、奥山家、龍潭寺歴代住職の墓所もあるではないか。近藤康用様の墓所も! くぅ~バスの時間が気になって参拝しのがしてしまった。もう一度、行かねば…。

龍潭寺から道を渡って徒歩2分。井伊のご初代様・共保公が生まれたと伝わる井戸。井戸に続く道端に橘の木があって、常緑の葉蔭に金色の実が下がっていた。

バスで気賀駅前に戻り、気賀から浜松まで路線バスで60分。楽しかった。違う季節にまた来てみたい。
正月三連休の関西行きは早くから計画していた。新年の展覧会をいくつか見てくることと、大阪で初春文楽公演を見る(咲甫太夫さん→竹本織太夫の襲名披露公演)ことが目的だった。文楽は日曜の昼の部なので、ん?これを見終わったあと、新幹線で移動すれば、最終日に浜松めぐりができるかも?と気づいたのは年が明けてから。急遽、日曜を浜松泊に変更し、今日は直虎ゆかりの地のエッセンスだけ回ってきた。
天気予報どおり、朝から雨のパラつく生憎の天気。しかし心配したほど荒れなくてよかった。はじめに大河ドラマ館のある気賀に向かう。遠州鉄道の終着駅の西鹿島で天竜浜名湖鉄道に乗り換える。遠州鉄道の本数が密にあるのに油断して、乗り換えを確認していなかったため、西鹿島で40分くらい待たされることに。遠州鉄道は2両、天竜浜名湖鉄道は1両で運行していた。
気賀駅着。駅前の文化センターに大河ドラマ館が設置されている(2018年1月14日まで)。次の『西郷どん』も昨日から始まったし、もう閑散としているのでないかな?と思ってきたらとんでもなくて、たくさんの人で混み合っていた。子どもの姿が多くて、子どもも楽しそうなのが微笑ましかった。井伊谷の井戸のセットを覗くと、次第に水紋が静まって、おとわと鶴、亀、南渓和尚(+にゃんけい)の姿が映るなど、しゃれた仕掛けもあった。
見ていて飽きなかったのは衣装。特にメインビジュアルに使われた直虎のパッチワークふうの打掛けは手の込んだ作りで美しかった。NHKは直垂や甲冑などを使い捨てにせず、別のドラマで使い回すようだが、これもいつか、ふさわしい場面で再利用してほしいなあ。龍雲丸の衣装も面白かった。私はテレビで気づいていなかったのだが、腰に短刀を差していて、堆朱のような赤い拵えで「珠をくわえた龍」のかたちをしている。おとわの水筒を下げていない、と思ったら、ちゃんと別ケースに展示されていた。政次が獄中で書いた辞世の歌も展示されていた。思ったよりも小さな紙(実際に高橋一生さんが書いたとか)。「嫌われ」でなく「愛され政次の一生」と題した名場面集が流れていて、分かっているなあという感じだった。
大河ドラマ館前から15分ほどバスに乗って龍潭寺へ。天平年間に行基菩薩によって開創されたと伝わる古刹で、井伊家の菩提寺だというが、私は全く知らなかった。大河ドラマの舞台にならなかったら、たぶん一生?訪ねることはなかっただろうと思う。新年の名残りで門前には立派な門松。

広い境内。本堂の前庭も、裏の池泉鑑賞式庭園も、どちらも美しかった。

井伊家歴代当主の位牌を祀る御霊屋。扁額に「井伊家五十九代当主」とあって、知らなかったが、井伊直愛(なおよし)氏(1910-1993)は農学博士号を持つ水産学者で、彦根市長でもあった方なんだな。

井伊家の墓所。これは向かって左側の列で、右側にも同様の石塔が並ぶ。奥の平らな石碑が22代直盛、5つの小さな石塔は、奥から、直盛室(直虎母)、直虎、23代直親、直親室、24代直政だという(※龍潭寺サイトに説明)。ちんまりと仲良く肩を寄せ合っている姿が奥ゆかしい。
境内に案内札が立っているのは「井伊家墓所」だけだったのだが、あとで龍潭寺のサイトを見たら、そのまわりに小野家、松下家、中野家、奥山家、龍潭寺歴代住職の墓所もあるではないか。近藤康用様の墓所も! くぅ~バスの時間が気になって参拝しのがしてしまった。もう一度、行かねば…。

龍潭寺から道を渡って徒歩2分。井伊のご初代様・共保公が生まれたと伝わる井戸。井戸に続く道端に橘の木があって、常緑の葉蔭に金色の実が下がっていた。

バスで気賀駅前に戻り、気賀から浜松まで路線バスで60分。楽しかった。違う季節にまた来てみたい。