見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

近年の新知見を踏まえて/運慶(金沢文庫)

2018-01-20 23:54:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
神奈川県立金沢文庫 特別展『運慶-鎌倉幕府と霊験伝説-』(2018年1月13日~3月11日)

 昨年の東京国立博物館の大規模な『運慶』展も記憶に新しく、『芸術新潮』の特集「オールアバウト運慶」に詳しい解説を寄稿されていた瀬谷貴之さんが主任学芸員をつとめる金沢文庫の企画なので、わくわくしながら行ってきた。本展は運慶と鎌倉幕府との関係や、運慶仏が霊験あらたかなものとして信仰されたことに注目して、彫刻・文書等、40件余りを展示する。

 まず1階から、あまり見たことのない小さな仏像が並んでいて目を引いた。ミニチュア感あふれる『厨子入薬師如来坐像及び両脇侍立像・十二神将立像・四天王立像』は、横浜・宝生寺所蔵だが、明治維新まで鶴岡八幡宮の社宝だった。厨子が15センチ程度で、十二神将は3~4センチくらいだが「覚園寺や鎌倉国宝館(旧辻薬師堂)と同じ形式)と言われれば、確かに似ている感じがする。『金剛力士立像(東寺南大門様※焼失)』2躯(江戸時代)と『四天王立像(大仏殿様)』4躯(南北朝時代)もなるほど、それらしいと思ったが、「個人蔵」にちょっと驚く。

 2階の展示室の入口に、さまざまな十二神将の像容(図版)の比較表が貼ってあって、見覚えがあると思ったら、2010年の鎌倉国宝館特別展『薬師如来と十二神将』からの引用だった。今回、横須賀・曹源寺の十二神将像を展示するにあたっては、後補である頭部の十二支にとらわれず、本来の像名・配列を復元したという説明がついていた。その十二神将の展示ケースには、さらに詳しい解説があって、他より少し背が高く、卓抜な作風を示す巳神像は、巳年生まれの頼朝にちなむのではないかと述べられていた。曹源寺の十二神将像は、東博の常設展示に出ていることが多いのだが、最近、巳神像をセンターに据え、それを他の像が取り巻くように配置されていたことがあって、アイドルグループじゃあるまいし、と苦笑した記憶があるのだが、あれは意外と正しかったのかもしれない。

 滝山寺の梵天立像は白い肌がなまめかしく、美しかった。四面四臂だが腕はあまり目立たない。左右の面は正面と同じくらい大きく、頭上にやや小さい面を戴く。白いお顔の存在感が妖しい。背面から見ることもできるので、三つの首が合わさったような不思議なうなじに目が釘付けになってしまった。宝冠や瓔珞は取り外して別のケースに展示されており、永福寺出土の金具類との類似が指摘されていた。並べてみると、確かに似ている。

 栃木・光得寺の厨子入大日如来坐像は本体のみ。厨子と蓮華座はおいでになっていなかった。そして、忘れてはならない称名寺光明院の大威徳明王像。これは展示室外の参考展示に、像内納入品を発見した当時(2007年)の写真があって、運慶の名前があった千手陀羅尼の巻紙を開いていく過程など、立ち会った人々の興奮が想像できて、感慨深かった。

 静岡・修善寺の大日如来坐像は慶派仏師のひとり実慶の作だという。初めて見たが、これはよい。円城寺の大日如来を彷彿とさせる。少し見上げる感じにすると、さらにいい(床に座りたかった)。それから、瀬谷貴之さんが『芸術新潮』の特集でも盛んに推していた瀬戸神社の舞楽面。抜頭面と陵王面が出ていたが、これも素晴らしい。陵王面は、小さなエイリアンのような龍が面の上に踏ん張っている。筋肉質の両手両足が力づよい。上から見ても横から見てもいいのだが、やはり少し下から見上げる角度が、一番迫力があると思う。

 あと光触寺の阿弥陀如来三尊(頬焼阿弥陀)と縁起絵巻も当然出ていた。展示替えは少しだけあるもよう。図録はこれからしっかり読むが、冒頭の瀬谷貴之さんの総論を拾い読みしただけで、面白くてたまらない。
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