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見もの・読みもの日記

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教師の責任/教室内(スクール)カースト(鈴木翔)

2013-03-25 23:33:13 | 読んだもの(書籍)
○鈴木翔著、本田由紀解説『教室内(スクール)カースト』(光文社新書) 光文社 2012.12

 スクールカーストとは、主に中学・高校(小学校から萌芽は見られる)のクラス内で発生するヒエラルキーのこと。子供たちは、集団の中でお互いを値踏みし、ランク付けをおこなう。その結果、彼らは自分のランクに応じた行動をとらなければならないという葛藤に、日々悩まされる。

 こう聞いて、あるある、とうなずく人は多いのではないかと思う。はるか昔、昭和の高校生だった私でも、当時のクラスに、こうした構造があったと記憶している。「スクールカースト」という言葉は、2007年に森口朗『いじめの構造』が用いて以来、メディアや教育評論家の間で用いられてきたが、「公の文書」に登場することはまずない。理由は想像がつく。

 児童生徒を悩ませる「いじめ」事件。これが明確な「加害者」や「原因」を特定できるものであれば、公権力は、その除去に関して有効な手を打てる。しかし、何だかもやもやした息苦しさをもたらすスクールカーストについては、教師も教育委員会も対処の下しようがないだろう。本書は、スクールカーストを「いじめ」の文脈から切り離し、生徒や教師へのインタビューによって、冷静に実態を見極めることに力を尽くしている。その結果、生徒が指摘する「スクールカースト」の様相は以下のとおり。

・上位グループの特徴…「にぎやか」「気が強い」「異性の評価が高い」「若者文化へのコミットメントが高い」
・下位グループの特徴…特徴がない。強いていえば「地味」「目立たない」

 「若者文化へのコミットメントが高い」というのは、格別、容姿端麗でなくても、流行に敏感で、メイクや髪型に気をつかって努力し(努力が自信を生む)、さらにダンスやバンドなど若者文化的な活動に親和性の高い生徒が、自然と上位グループに位置づけられるという。

 教師もだいたい児童生徒と同じように実態をとらえている。問題なのは、本書に登場する教師たちが、意外とスクールカーストを肯定的に考えていることだ。彼らは、スクールカーストを能力による序列と考えている(児童生徒はそう思っていないのに)。上位者は「リーダー性」「生きる力」「コミュニケーション能力」などの点で優れており、自分の意思を通し、学校生活を有利に楽しく過ごすことができる。一方、こうした能力に恵まれない者(下位者)は人生を損しているから、努力で改善を図る必要がある。え~嫌だなあ、こんな考え方をする教師。

 考えてみると、私はずっとスクールカーストの下位グループで過ごしてきた。「目立たない」ほうがラクだったし、王道的な「若者文化」には興味がなかったし…。でも楽しみはたくさんあったので、放っておいてくれと言いたい。幸いなことに、私が学生時代を過ごしたのは、自由な校風の女子校で、カースト上位者には、ほぼ上記の特徴があてはまるにしても、下位者に向かう力関係の分布は、比較的なだらかだったように思う。

 本書は日本の学校文化についての考察だが、実は社会人集団でも「スクールカースト」の特徴は、意外と温存されているのではないかと思った。「にぎやか」で「気が強い」集団が仕切る社会。ある程度、仕方ないのかもしれないけど、あまり固定化されるのは願い下げである。
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十三仏と十王/救いへの祈り(金沢文庫)

2013-03-25 00:15:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
神奈川県立金沢文庫 企画展『救いへの祈り』(2013年2月15日~4月21日)

 初七日、四十九日、一周忌など、死者を悼む供養に込められた祈りの姿をたどる展覧会。会場の展示資料配置図が「死去」に始まり、「初七日」→「二七日」→「三七日」と忌日の順番どおりになっているのが可笑しくて、申し訳ないけど、ちょっと笑ってしまった。

 それぞれの忌日には、関連する王と仏が割り当てられており、初七日から三回忌までの10回の忌日には十王が、さらに(初七日から)三十三回忌までの13回の忌日には十三仏が定められている。十三仏の順番って、あまり意識したことがなかった。何しろ、都会の法要は、葬式当日に初七日が来たことにしてしまい、次は七七日(四十九日)を内輪で営む程度が普通だと思う。

 十三仏の一覧表を見ながら、初七日は不動明王なのか、二七日の釈迦如来→三七日の文殊菩薩→四七日の普賢菩薩っていう順番も(理由が全然わからないけど)面白いな、などと考えてしまった。かつては、それぞれの忌日に、該当する仏の掛軸を下げて供養することが行われていたらしい。なるほど、世の中に伝わる仏画が、本来、何のために作られたのか、ようやく分かったように思った。

 十王図は、個別の年忌供養というより、追善供養の「仕組み」を学ぶ絵解きのために作られたのではなかろうか。本展には、江戸時代の十王図と、中国・元代の陸信忠筆(墨書あり)十王図が出陳されている。陸信忠の作品は、工房作なのだろう、奈良博が持っている重文の『十王図』に似ているところもあるが、あまり巧いとは思えない。

 死去から四十九日まではインドの土着信仰に起源があり、百か日から三回忌までは中国の祖霊祭に由来し、さらに三十三回忌までは日本で加わったこと、ただし、もとは天皇家や摂関家など限られた人々のみの習慣だったものが、次第に広く行われるようになった、という説明も興味深かった。

 しかし若い頃は、身内のために1年間喪に服す(社会的な活動を停止する)なんて、断じてありえないと思っていたが、今はやってみてもいいなと思う。忌日ごとに新たな仏を供養し、静かに祈り続ける。1年くらいの精神的休止期間があってもいいんじゃないかと思う。本気で。
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