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表参道ギャラリー5610 渡邉肇×堀部公嗣『人間・人形 映写展』(2013年2月25日~2013年3月9日)
大阪市の文楽協会問題が発端で、演劇評論家の犬丸治さんのツィッターをフォローするようになり、この展覧会(入場無料)の開催を知った。フォトグラファー渡邉肇と映像ディレクター堀部公嗣が、最新のビジュアルテクニックで、人形浄瑠璃文楽の世界を再現する試みだという。
小さなギャラリーは、暗幕で三つのスペースに仕切られていた。最初の部屋では、3つのスクリーンに、「娘」のさまざまな表情が、ゆっくりしたビデオで流れている。着ているものから「曽根崎心中」のお初かな?と思ったが、全てそうなのか、よく分からなかった。どの表情も素晴らしく美しい。これはもう、私の独断でしかないが、私の理想とする女性美は文楽の「娘」の中にあると、むかしから思っている(もちろん男性美の理想は文七です)。この時点で、すでに涙腺がゆるみ始める。
聞こえていた音楽が途切れたのを潮時に、奥(暗幕の裏側)の部屋に入ると、20人くらいが座れる座席と大きなスクリーンがあって、「第一部:人形」というタイトルが映し出されたところだった。画面が替わって、女性的な顔立ちの十一面観音が映る。南山城の大御堂(観音寺)の観音様かな、と思う(違っていたら失礼)。灯明、花吹雪、夜の山道。語り過ぎないほどのプロローグのあとに主役の男女二人が登場する。ああ、お初と徳兵衛だ、とそのときはもう合点が入った。実はスクリーンの両側に(人形遣いの手を離れた)「人形」としての彼らの姿が掲げてあったと思うのだが、映像に熱中し過ぎていて、よく見ていない。
気持ちよく染み入る音楽はオリジナル(プロデューサー:緑川徹)。聴き慣れた三味線とはずいぶん違うが、映像も音楽も奇をてらわず、主役である文楽人形に最大の敬意を払っている感じが好ましかった。人魂が飛び、手を取り合って決意を確かめ合い、帯を裂き、二人の身体に巻きつけ…これまで何度も見たこともある所作なので、次に何をするかも、ほぼ分かっている。だが、カメラは舞台では絶対に観客が体験できない視点から、二人の(二体の、というべきかもしれないが言えない)表情を捉えている。これが圧巻。蓑助さんが、この映像に関して、いまわの際の徳兵衛の目にしか映らないお初の表情を初めて見せてくれた、というようなことを書いていたが、まさにそんな衝撃があった。本当に二人とも、ぎりぎりまで演技をしている――というか、むしろ生き抜いているのだ。
スクリーンが暗転したあと「第二部:人間」の文字が浮き出る。厳しい表情で黒装束を身につけているのは、お初役の吉田蓑助と、徳兵衛役の桐竹勘十郎。第一部のカメラは、人形遣いの存在をできる限り排除して、人形の撮影だけに集中していた。今度は、その映像の一部に「エアー人形」、つまり人形遣いたちが、人形なしで遣う動作を見せる映像をかぶせて見せる。切なく愛くるしい表情で徳兵衛を見上げるお初、その胸に刃を突き立てる徳兵衛の苦衷、それを指先で、あるいは全身で、最終的にはチームプレーで演じる人形遣いの真剣な表情。よくぞ撮影してくれたものだ。かなり長い年月、文楽ファンをやっているので、そんなに驚く映像はないだろうと思っていた自分には、不意打ちみたいな衝撃で、すっかり魂を抜かれて席を立てず、もう一回繰り返して見てしまった。
第二部の最後に、大御堂の十一面観音が再び出てくる。人形に命を与えるのが人間なら、われわれ人間も神か仏に命を与えられた人形のようなものか。いや人間が人形に命を与えているというのが錯覚で、真実はその逆なのかも知れない、など、いろいろな解釈の幅を残して終わるのが面白い。
第三室にも別のスクリーンがあって、3Dメガネを掛けて体験する3D文楽映像。これは、本物の舞台を知っているので何をいまさら、と思ったが、クローズアップを3Dで見られるのは、かなり迫力があってよい。以前は人形の細かい表情が見るために、最前列とか2、3列目の席を取っていたのだが、最近はどう頑張ってもいい席が取れないので、人形よりも語りと三味線に関心を移していた。また人形の魅力を見直すよい機会になったように思う。
最後に第一室に戻って、隅にあった吉田蓑助さんのパネルを読んだ。先輩の遣っているお初を見て、いい役だなあ、と思ったこと。わずか19歳の少女が、友人に裏切られ、面目も何もかも失った恋人を守って、一緒に死んでゆく、その強さと健気さに惹かれた、みたいなことが書いてあったと思う(不確かな記憶)。受付で貰ったパンフレットに載っているかなと思ったら、載っていなかった。もう一度読みたいのだけど、どこかに再録されないかなあ。そして、この展覧会、東京だけでなく、ぜひ他の地域にも巡回してほしい。
人形浄瑠璃文楽には、私が理想と考えるものがいろいろあって、ひとつは、お初のように小さく弱いものが、愛しいものを守り抜くために見せる捨て身の強さ、健気さである。同じ主題は、文楽以外にも日本文化のところどころに見ることができて、私がこの国を愛する原点でもある。蛇足かもしれないが、最近「日本大好き」を公言する、ある種の人々の行動を見ていると、私とは全く違う国を愛しているとしか思えなくて、途方に暮れてしまう。
もうひとつ、人形を主役とし、その脇もしくは裏方に徹して、じっと気配を消す人形遣いのポジション。これも私の理想である。向田邦子は、文楽の人形遣いについて「目立ってはいけない黒子の抑制の中にほんの一滴二滴、遣う者の驕りがないまぜになって、押えても押えても人形と同じ、いやそれ以上の喜びや哀しみや色気が滲んでしまう」と書いているそうだ。あらん限りの精進をしなければ、とてもそこまでの境地にはいけないだろうけど。
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YOMIURI ONLINE:先端技術が撮る文楽…「人間・人形 映写展」表情スローや3Dで(2013/1/14)
蓑助さんインタビューあり。
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SHOOTING MAGAZINE:NEWS and REPORTS
写真あり。