○丸谷才一『人形のBWH』 文藝春秋 2009.11
雑誌「オール読物」2007年10月号~2009年3月号に連載。丸谷さん、おいくつになられたのかなあ、と思って調べたら、1925年8月生まれ、御年84歳でいらっしゃる。古今の書物を博捜し、自由な発想で、学問の愉楽にいざなうスタイルは相変わらずだが、いくぶん「お年」を感じる点もあった。
これは悪い意味ではない。私は、老齢の作家のエッセイが好きなのだ。読者が喜ぶようなオチをつけるとか、起承転結をきれいにまとめるとかの小賢しさが薄れて、書きたいことをだらだらと書き流すふてぶてしさには、かえって独特の味わいがある。内田百間の晩年の作品はその一例。若いころは、サービス精神旺盛だった丸谷さんのエッセイにも、ちょっとその気配が感じられるように思った。
驚いたのは、軍人嫌い・戦争嫌いだったはずの丸谷さんの嗜好が微妙に変化していること。まず、徳川家康と国家安康銘の話題から戦国武将を論じた「戦国時代の心理学」の一段がある。池波正太郎の『真田太平記』12冊を最近お読みになったそうで「この『真田太平記』はあまり騒がれないけど、なかなかいいですよ」と書かれている。おお、これにはびっくり。丸谷さんがお薦めになる本を、私のほうが先に読んでいるなんて、滅多にないことで、嬉しくなってしまった。さらには、なんと「ロンメル戦記」の話がある! 第二次大戦で活躍し、「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍の将軍である。著者によれば、人生の終わり近くなると、わたしの生きた時代はなんであったかが気になり、同時代史の類を読むと、必然的に軍人の名が出てくる。そうすると、これはましなほうだな、と思う軍人もある、ということだが、長年の丸谷読者には、かなり意外な登場である。
それから、色っぽい話題は、もともと著者の得意分野のひとつではあったが、老年らしいあけすけさと洗練が加わり、磨きがかかったように思う。『アラビアン・ナイト』『源氏物語』など、私たちが知っているようで深くは知らない古典に描かれた男と女の性(さが)には、おののきさえ感じる。でも、小説家の永井路子さんが、道鏡は肝っ玉の小さい男だったろうと言ったのに仰天しているところは可笑しい。いや、女性は、だいたいそう思っているのではないかしら。
もうひとつ、どうしても紹介しておきたいのは「ミシュラン東京版」への決定的批判。これはオビにも取り上げられていて、店の選び方に批判があるのかと思ったら、そうではなくて、文章なのだ。同じ店について、ミシュラン『東京2008』と文藝春秋『東京いい店うまい店』の文章を並べて、比較している。これは、どう見たって、後者のほうが上(そのレストランに行きたい、今すぐでなくても、いつか行きたいという気持ちを起こさせる)。関連して、店に合わないお客を断る鮨屋の若大将の実話が語られていて、これもいい話。料理人のつくる料理を、お金を払って食べに行くって、互いに礼節の必要な行為なんだな、と感じさせる。いろんな意味で、大人のエッセイ。
雑誌「オール読物」2007年10月号~2009年3月号に連載。丸谷さん、おいくつになられたのかなあ、と思って調べたら、1925年8月生まれ、御年84歳でいらっしゃる。古今の書物を博捜し、自由な発想で、学問の愉楽にいざなうスタイルは相変わらずだが、いくぶん「お年」を感じる点もあった。
これは悪い意味ではない。私は、老齢の作家のエッセイが好きなのだ。読者が喜ぶようなオチをつけるとか、起承転結をきれいにまとめるとかの小賢しさが薄れて、書きたいことをだらだらと書き流すふてぶてしさには、かえって独特の味わいがある。内田百間の晩年の作品はその一例。若いころは、サービス精神旺盛だった丸谷さんのエッセイにも、ちょっとその気配が感じられるように思った。
驚いたのは、軍人嫌い・戦争嫌いだったはずの丸谷さんの嗜好が微妙に変化していること。まず、徳川家康と国家安康銘の話題から戦国武将を論じた「戦国時代の心理学」の一段がある。池波正太郎の『真田太平記』12冊を最近お読みになったそうで「この『真田太平記』はあまり騒がれないけど、なかなかいいですよ」と書かれている。おお、これにはびっくり。丸谷さんがお薦めになる本を、私のほうが先に読んでいるなんて、滅多にないことで、嬉しくなってしまった。さらには、なんと「ロンメル戦記」の話がある! 第二次大戦で活躍し、「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍の将軍である。著者によれば、人生の終わり近くなると、わたしの生きた時代はなんであったかが気になり、同時代史の類を読むと、必然的に軍人の名が出てくる。そうすると、これはましなほうだな、と思う軍人もある、ということだが、長年の丸谷読者には、かなり意外な登場である。
それから、色っぽい話題は、もともと著者の得意分野のひとつではあったが、老年らしいあけすけさと洗練が加わり、磨きがかかったように思う。『アラビアン・ナイト』『源氏物語』など、私たちが知っているようで深くは知らない古典に描かれた男と女の性(さが)には、おののきさえ感じる。でも、小説家の永井路子さんが、道鏡は肝っ玉の小さい男だったろうと言ったのに仰天しているところは可笑しい。いや、女性は、だいたいそう思っているのではないかしら。
もうひとつ、どうしても紹介しておきたいのは「ミシュラン東京版」への決定的批判。これはオビにも取り上げられていて、店の選び方に批判があるのかと思ったら、そうではなくて、文章なのだ。同じ店について、ミシュラン『東京2008』と文藝春秋『東京いい店うまい店』の文章を並べて、比較している。これは、どう見たって、後者のほうが上(そのレストランに行きたい、今すぐでなくても、いつか行きたいという気持ちを起こさせる)。関連して、店に合わないお客を断る鮨屋の若大将の実話が語られていて、これもいい話。料理人のつくる料理を、お金を払って食べに行くって、互いに礼節の必要な行為なんだな、と感じさせる。いろんな意味で、大人のエッセイ。