見もの・読みもの日記

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顔真卿特集(書道博物館)と子規庵蕪村忌

2009-12-23 23:53:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
書道博物館 企画展『顔真卿特集』(2009年10月6日~12月23日)

 中国の書家も、いろいろ名前だけは知っているが、このひとの作品が好き、と言える書家は少ない。その中で、顔真卿(709-785)の楷書は、男っぽくて、四角四面で、確実に私好みである。顔真卿の生誕1300年を記念し、顔真卿作品の蒐集に情熱を傾けた中村不折コレクションから30種余りの名品を紹介。顔真卿と言えば、重量感のある楷書だと思っていたが、楷・行・草をまじえた『斐将軍詩』や、軽やかな行書の『与蔡明遠帖』、ふっくらして可愛らしい『麻姑仙壇記(中字本)』など、多面的な作品世界に触れることができた。願書の多様性は、「一碑一面貌」という言葉で表現されるそうである。

 その中でも、すごいなーと思ったのは『祭姪文稿』で、賊軍に殺された甥の霊に捧げられた祭文。怒りと悲しみのため、字の大きさ、筆圧、スピード、楷・行・草が目まぐるしく変化し、よそゆきの碑文には見られない生々しい感情が表現されている。展示は明代の拓本だが、現物は台湾故宮博物院にあり(→画像:日本語解説付き)。同様に『争坐位稿』もいい。上官に取り入り、儀式の席順を犯した人物に対する抗議の書だ。これも怒ってるな~。草稿がぐちゃぐちゃになるほど怒っている。融通のきかない、一徹者の風貌が、とても身近に感じられるとともに、謝罪状ばっかり残した、日本の書の名人、藤原佐理(このひとも好き)を思い合わせて、可笑しくなった。

 さて、展示作品の中で唯一の肉筆が『朱巨川告身』。いや、こんな(言っちゃ悪いが、小さな)区立博物館に、顔真卿の肉筆があるということに驚く。しかも、顔真卿の確たる肉筆楷書作品としては「世界唯一」なのだそうだ。正直なところ、拓本に見るほどの力強さが感じられなくて、あれっと思った。この魅力を解するには、私はまだ眼の修行が必要である。巻頭の乾隆御筆のほうが、平板だけど、ひきつけられてしまう。

子規庵(台東区根岸)

 書道博物館の斜め向かいが、子規庵(正岡子規旧居跡)である。いつも通り過ぎていたのだが、NHKドラマ『坂の上の雲』の縁もあるので、初めて入ってみることにした。中心となるのは、句会の催された八畳の客間と、子規が病臥した六畳の居間。ほかに小さな部屋を使って、『仰臥漫録』原本の写真パネルなどが展示されていた。子規の病床日記『仰臥漫録』の原本は、昭和25年頃から行方不明となっていたが、平成13年5月、子規庵の土蔵から見つかったのだそうだ(→神戸新聞2002/1/30)。こんな色鮮やかな水彩画が添えられているなんて、知らなかった。年譜を見ていたら、「従軍中、鴎外に面会する」という記載があって、先日のドラマの対面シーンはフィクションではなかったんだな、と思う。

 調べていたら、子規と鴎外との交友は日本へ帰ったあとも続き、明治29年の正月には、子規庵での発句初めに鴎外も招かれて参加した、という記述をネットで見つけた(壺齋閑話「子規と鴎外:日清戦争への従軍」)。おお、あの八畳間(復元建築だけど)に鴎外も座ったのか、と思うと、ちょっとわくわくする。いやー漱石も鴎外も、この根岸周辺の道を何度も歩いているんだよなあ、きっと。鴎外は馬で来たのかしら。

 子規庵別棟の展示では、大正6年(子規の死後)の写真に、母の八重、妹の律らとともに、着物姿の秋山好古が写っていた。ドラマの影響か、参観客の姿が絶えないなあ、と思っていたが、もうひとつ理由があって、陰暦12月24日(一説に25日)は、子規が発見した俳人・与謝蕪村の命日にあたるため、この日は恒例として、参観者にココアがふるまわれるのだ。なぜココア?と思ったら、子規が好きだったから…ということらしい。子規庵は明日(12/24)より年末休館。今度は、糸瓜忌の頃に来ようか、鶏頭の咲く頃に来ようか。
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