見もの・読みもの日記

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草原を渡る文化/ユーラシアの風、新羅へ(古代オリエント博物館)

2009-09-09 22:38:23 | 行ったもの(美術館・見仏)
古代オリエント博物館 日韓共同企画展『ユーラシアの風、新羅へ』(2009年8月1日~9月6日)

 今年の春、MIHOミュージアムで開催されていたときは、見たい見たいと思いながら、結局、行き逃してしまった。それが池袋の古代オリエント博物館に巡回してきていたとは、最終日直前まで全く気づいていなかった。私は東武東上線の沿線住人なのに!

 本展は、韓国の国立慶州博物館、国立中央博物館の協力により、朝鮮半島(会場の説明では”韓半島”)の古代国家「新羅」を紹介するもの。同時代の東アジアにおいて、新羅文化を強く特徴づける「ユーラシア西方の香り」に注目する点が新機軸である。私は、新羅の古都・慶州には2回行った。古墳の深い緑と質素な黒瓦に彩られ、奈良を思わせるのんびりした地方都市だったが、博物館では、ため息の出るような黄金の装身具をいくつも見て、古代国家の華やかさに思いを巡らせた。確かに新羅の「黄金好き」には、西域の騎馬民族文化との類似性を感じさせるところがある。

 見ものは、やはり冒頭に展示されている『装飾宝剣』(宝物635号)と、MIHOミュージアムのポスターにも使われていた、鹿の角のような『金製冠飾』だろう(首飾りかと思っていた)。どちらも黄金製。このほか、「金銀器」「唐草文様」「角杯」「ガラス器」などのテーマで、新羅の文物と関連品(西アジア、あるいは日本や中国の出土品)が並べられていた。

 初めて知ったこともいろいろあって、5~6世紀の出土品だというガラス製の勾玉(大1個、小4個)には、へえ~朝鮮半島にも勾玉があったのか、と驚いた。調べてみたら、日本から朝鮮に伝播したという説が有力のようだ。→邪馬台国の会 講演会『謎の四世紀 成務天皇の時代 勾玉の起源

 獣角でつくった(またはそれを模した)角杯(かくはい、リュトン)は、いかにも西アジアの遊牧民族的な器形だが、新羅文化圏にも出土例があり、さらに「日本列島においても、近年角杯の出土が増加している」(ただし6世紀前半の一時期のみ)という説明には、びっくりしてしまった。→読売オンライン:上久津呂中屋遺跡C地区(富山県氷見市)角杯形須恵器を発掘(2004/9/1)

 宝相華文の瓦当や花文磚は、新羅らしい貴族的な優美さを感じさせたが、興味深かったのは、中国南朝時代(5~6世紀)の獣面文瓦当10点(個人蔵って…誰のものなんだ?)。また、ギリシャ古典期の建築の軒瓦にも、サテュロスの顔面意匠が取り付けられたという説明を読んで、そうかーギリシャ建築にも瓦が載っていたのかーと妙に感心した。

 写真紹介だったが、新羅第38代元聖王の墓といわれる掛陵(けりょう、クェヌン)には、参道に獅子や文人、武人の石像が並んでおり、ハチマキをして棍棒を携えた武人が、ソグド人をあらわしているのではないか、という説も面白かった。文献資料では、朝鮮半島にソグド人が大規模に定着していた痕跡はないそうで、こういう造形遺物が、どの程度、確実な証拠になるのかは分からない。しかし、慶州博物館から出陳の、小さな『文官像』はソグド人かなあ…。私には、鼻があぐらをかいた東アジア人の爺さんにしか見えないのだが。こうなると、無理にも異民族が定着していたと言い張って、小中華ぶりたいんじゃないかと、ちょっと勘ぐりたくなる。→韓国からの主な出陳品は、岡山市立オリエント美術館のサイトで。

 ちなみに私は、2003年、初めての韓国旅行で掛陵にも立ち寄ったが、当時の記録を読み返したら、見学の途中で雨が強くなってきて、近所の焼き物工場に退避したのだった。懐かしい。慶州、去年も行ったけど、また行きたいなあ。
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