○佐藤卓己、孫安石編『東アジアの終戦記念日:敗北と勝利のあいだ』(ちくま新書) 筑摩書房 2007.10
7月30日、佐藤卓己さんと川島真さんのトークセッションを聞きに行き、引き続き、『1945年の歴史認識:「終戦」をめぐる日中対話の試み』(東京大学出版会、2009)を読んだ。その過程で、そうだ、この本をまだ読んでいなかった、と思い出した。いや、そのうち読もうとは思っていたのだが、私は複数の著者をそろえたアンソロジーは、あまり好きでないので、つい先延ばしにしていたのである。佐藤卓己さんの単著『八月十五日の神話』はもちろん読んでいる。
本書は、編者を加えて9人の著者が、東アジアの各国・各地域における、さきの戦争の「終戦」の迎え方と、その後の継承のされ方(記憶と忘却)を検証している。たとえば、北海道(および千島・樺太)、沖縄、北朝鮮、韓国(南朝鮮)、台湾、中国。驚いたのは、上海では、すでに8月10日頃から「日本の敗北」が多くの人々に公然と伝わっていたことだ(堀田善衛、山口淑子の証言)。
樺太はラジオ普及率が高く、全島で「玉音放送」を聴くことができたが、前線の兵士は必ずしもそうでなかったようだ。ある回想録によれば、15日夜、無線機調整中に偶然ラジオニュースを受信して終戦を知ってしまうが、「師団命令がない以上、停戦交渉を行うわけにはいかず」16日以降も戦闘が継続された。私はこの、8月16日以降のソ連軍の侵攻については、同軍の非道として習った(高校の授業で)覚えがあるのだが、本書を読むと、軍隊というのは因果なものだなあ、と思った。停戦命令が前線に届いたのは18日の夕方だという。「天皇の詔書のみでは戦闘を終わらせるわけにはいかない」のが日本軍の軍規だった。
沖縄では、6月23日、沖縄守備軍司令官牛島満の自決によって組織的戦闘は終結し、多くの住民はすでに「敗北」を受け入れていたが、戦闘は続いていた。そして、沖縄放送局が爆破されて、ラジオ放送が中断してたため、そもそも沖縄では「玉音放送」は物理的に不可能だった。このことは、私たちが「玉音放送=8月15日=終戦」という図式を、無批判に国民の神話として取り上げようとするとき、こぼれ落ちていくものが何か、再考する糸口を与えてくれるように思う。
日本の植民地であった台湾、朝鮮の8月15日も興味深い。特に、元容鎮氏が、京城放送局における終戦の迎え方を検証して、「朝鮮は日本という他者を失ってしまった」と書いている点に注目したい。長い間、朝鮮にとって、植民者・日本は「憎悪の対象であり、克服の対象であり、そして、生き延びるための協力対象」であった。むしろ、単に憎悪の対象であったなら、戦後の「手打ち」はもっと簡単だったろうと思う。やっぱり、植民地支配が残す傷って複雑で深い。
また、沖縄、北朝鮮、台湾など、戦後、激しい政治体制の変化を経験した地域では、歴史(体制)の曲がり角ごとに「終戦」の公的な記憶がつくり直されていく姿も興味深く思った。
7月30日、佐藤卓己さんと川島真さんのトークセッションを聞きに行き、引き続き、『1945年の歴史認識:「終戦」をめぐる日中対話の試み』(東京大学出版会、2009)を読んだ。その過程で、そうだ、この本をまだ読んでいなかった、と思い出した。いや、そのうち読もうとは思っていたのだが、私は複数の著者をそろえたアンソロジーは、あまり好きでないので、つい先延ばしにしていたのである。佐藤卓己さんの単著『八月十五日の神話』はもちろん読んでいる。
本書は、編者を加えて9人の著者が、東アジアの各国・各地域における、さきの戦争の「終戦」の迎え方と、その後の継承のされ方(記憶と忘却)を検証している。たとえば、北海道(および千島・樺太)、沖縄、北朝鮮、韓国(南朝鮮)、台湾、中国。驚いたのは、上海では、すでに8月10日頃から「日本の敗北」が多くの人々に公然と伝わっていたことだ(堀田善衛、山口淑子の証言)。
樺太はラジオ普及率が高く、全島で「玉音放送」を聴くことができたが、前線の兵士は必ずしもそうでなかったようだ。ある回想録によれば、15日夜、無線機調整中に偶然ラジオニュースを受信して終戦を知ってしまうが、「師団命令がない以上、停戦交渉を行うわけにはいかず」16日以降も戦闘が継続された。私はこの、8月16日以降のソ連軍の侵攻については、同軍の非道として習った(高校の授業で)覚えがあるのだが、本書を読むと、軍隊というのは因果なものだなあ、と思った。停戦命令が前線に届いたのは18日の夕方だという。「天皇の詔書のみでは戦闘を終わらせるわけにはいかない」のが日本軍の軍規だった。
沖縄では、6月23日、沖縄守備軍司令官牛島満の自決によって組織的戦闘は終結し、多くの住民はすでに「敗北」を受け入れていたが、戦闘は続いていた。そして、沖縄放送局が爆破されて、ラジオ放送が中断してたため、そもそも沖縄では「玉音放送」は物理的に不可能だった。このことは、私たちが「玉音放送=8月15日=終戦」という図式を、無批判に国民の神話として取り上げようとするとき、こぼれ落ちていくものが何か、再考する糸口を与えてくれるように思う。
日本の植民地であった台湾、朝鮮の8月15日も興味深い。特に、元容鎮氏が、京城放送局における終戦の迎え方を検証して、「朝鮮は日本という他者を失ってしまった」と書いている点に注目したい。長い間、朝鮮にとって、植民者・日本は「憎悪の対象であり、克服の対象であり、そして、生き延びるための協力対象」であった。むしろ、単に憎悪の対象であったなら、戦後の「手打ち」はもっと簡単だったろうと思う。やっぱり、植民地支配が残す傷って複雑で深い。
また、沖縄、北朝鮮、台湾など、戦後、激しい政治体制の変化を経験した地域では、歴史(体制)の曲がり角ごとに「終戦」の公的な記憶がつくり直されていく姿も興味深く思った。