goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
【はてなブログサービスへ移行準備中】

沙翁に捧ぐ/文楽・天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)

2009-09-06 22:13:02 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 9月文楽公演『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』

 たまたま、公演初日を見に行った。会場に漲る、そこはかとない緊張感に、いつもに増して胸が高鳴る。本作は、シェイクスピアの戯曲に題材を取り、坪内逍遥の翻訳『颶風(テムペスト)』を基礎に、山田庄一氏が脚本・演出、鶴澤清治氏が作曲を手がけた新作文楽。平成3年(1991)日英協会百周年を記念し、ロンドンで上演されるはずだったが、諸般の理由で間に合わず、翌年、東京と大阪で各2日間試演されたに留まったという。それが、この夏、大阪の文楽劇場開場25周年を記念して再演され、さらに国立劇場での初演を迎えた。

 公演プログラムの冊子に、脚本・演出の山田庄一氏が「雑感」を寄稿されているが、「(再演は)些か面映い」「本来なら全面的に手直ししたい」「不本意な本作」という調子で、控え目を通り越して、あまりにトーンが低調なので、ええ~そんな失敗作なの…?と、幕前は強い不安に駆られた。しかし、幕が上がってしまえばなんのことはない、これはこれで、よくできた作品だと思う。

 お奨めの随一は音楽。冒頭の荒れ狂う大海原の表現をはじめとし、和楽器(三味線、琴)の幅広い表現力に驚かされる。でも、立役の”物語”や女役の”口説き”の場面は、きっちりセオリー(型)どおりの伴奏で、新作を聴いているという感じがしなかった。

 主役を語る千歳大夫さんは、遠目にも分かるくらい、ノリノリ。作曲の鶴澤清治さんも、途中で床に上がられたが、静かな闘志みたいなものがピシピシと感じられた。人形は、出遣いが全くないので気づかなかったが、主役の阿蘇左衛門は吉田玉女さんが遣っていらしたのね。

 詞章に無理がなかったのは、坪内逍遥の翻訳をうまく取り入れているせいだろうか。ただ、私が違和感を感じたのは、山田庄一氏が気にされていた、魔法、魔女、妖精の登場ではなくて、復讐の鬼たるべき阿蘇左衛門藤則(=プロスペロー)が、あまりにも簡単に仇敵を赦し、一人娘と仇敵の嫡男の結婚を許してしまうことだ。だいたい文楽の登場人物は、こってりと執念深くて、一人か二人の犠牲者を出さなければ、愛する者どうしも結ばれないのが定石である。ここまで能天気にハッピーエンドの作品だと、カタルシスが感じられないのだが、シェイクスピアの原作や坪内逍遥の訳は、どうなっているんだろう?

あぜくら会Web通信:シェイクスピア原作『テンペスト』を文楽として上演!
 山田庄一さんインタビュー、鶴澤清治さんインタビューなどあり。

Wiki「テンペスト(シェイクスピア)」
 「我々は夢と同じ物で作られており、我々の儚い命は眠りと共に終わる」(We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.)は、原作の名文句なのか。本作の訳は「目前に在りと思う物も、例えば砂上の高楼(たかどの)にて、一切空と悟るべし。人間本来無一物、眠りに始まり眠りに終わる。ただ一時々々を大切に生きる事こそ肝要ぞ」。老荘っぽいので、オリジナルの詞章だと思って聴いていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする