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見もの・読みもの日記

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好きなものは散歩と古本/内田魯庵(明治の文学)

2007-05-27 23:22:21 | 読んだもの(書籍)
○鹿島茂編集解説『内田魯庵』(明治の文学 第11巻) 筑摩書房 2001.3

 一昨年だったろうか、明治の世相について調べる必要があって、初めて魯庵の全集を開いた。前後の文章を拾い読みして、これは面白いと思ったのだが、手軽に読める文庫や単行本がない。重たい全集を図書館から借り出すのも面倒だなあと思っているうち、ずるずると日が経ってしまった。先日、たまたま書店で、この「明治の文学」シリーズを見つけた。1人1冊形式で、内田魯庵の巻には、小説「くれの廿八日」、戯文「文学者となる法」、評伝「二葉亭四迷の一生」、ほかに小品が数点、収められている。入門編として、程よいボリュームだと思い、買ってみた。

 読み終えて、セレクションのよさにも感心した(さすが鹿島茂さん!)。メインの3本は、全く毛色もジャンルも違うのだが、どれも面白い。「くれの廿八日」は面白いなあ。経世の理想に燃え、メキシコ行きを夢見ながら、仲人にだまされて資産家の女婿になってしまった純之助。夫の考えが理解できず、嫉妬と心細さに苦しむ妻のお吉。純之助夫妻に仲直りを勧めながら、本心では何を考えているか分からない「新しい女」の静江。

 特にお吉が印象的だった。新しい時代の教育を身に付けた静江に「新しい女」なりの苦悩があるように、取り残された「古い女」お吉の訥々とした独白も哀れである。そして、自分の理想を到底理解できない女を妻とした純之助の煩悶。「新しい女」静江は一生独身を通すというし。明治の男女の混沌とした様子がよく分かる。だが、惜しいことにこの作品は、長編小説の構想を予感させる書き出しだけで終わっている。続きを読みたかったなあと思う。

 「文学者となる法」は、いわゆる戯文。文学者とは、抜け抜けと異性に惚れ、半可通な学識をふりまわし、門閥流派に親しみ、酒を飲み、部屋は散らかし放題で、のんべんだらりと日を送る者、と説く。ところどころに、当時の文壇消息や、古今東西の文学者の逸話が盛り込まれている。

 「二葉亭四迷の一生」は渾身の力作。魯庵が二葉亭と往来したのは、短い期間に限られるというが、「親友」の面影を的確に捉えている。潔癖症の気難し屋でシャイで「何をするにも真剣勝負」「追取刀でオイ来たと起ち上がる小器用な才に乏しかった」という評言は、二葉亭の本質を分かりやすく表していると思う。二葉亭は文学者と呼ばれることを嫌ったが、世間は彼を偉大な文学者として遇し続けた(そして今も)というのも、何かほろ苦い。
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