見もの・読みもの日記

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学者から研究者へ/出版と知のメディア論(長谷川一)

2006-11-11 01:35:18 | 読んだもの(書籍)
○長谷川一『出版と知のメディア論:エディターシップの歴史と再生』 みすず書房 2003.5

 これも出張前に書棚から引っ張り出した本の1冊。著者は、晶文社、東京大学出版会で書籍編集に従事した経験の持ち主である。本書の内容は、「出版メディア」をめぐって、多岐にわたる。初めて読んだときは、「人文書」をめぐる読書空間の成立と危機を論じた第4章が印象深かった。電子メディアを論じた第3章も面白いが、いま、パラパラと読み返すと、ずいぶんトピックが古くなっている気がする。

 今回は、主として第2章の「大学と出版のメディア編制」を読み返した。ヨーロッパにおける学術出版メディアは、13~14世紀:口述を重んじた中世の大学→15~16世紀:大学都市に印刷工房と書籍商が出現(ラテン語を共通言語とすることで、広汎なマーケットが存在)→17世紀後半:学会とジャーナルの誕生、というかたちで進む。

 大学出版部は、16世紀末のイギリスに現れ、17世紀末、古典学者リチャード・ベントリーが、ケンブリッジ大学出版部の基礎を固める。彼は、利潤追求性を捨て去り、「知」のコミュニティに奉仕するメディアを理想とした。同じ頃、哲学者ライプニッツも、学者が出版社の賃労働者と化していることに警告を発し、より自由な学究生活の場である科学アカデミーの設立に腐心した。

 アメリカの大学出版部は、イギリスを親として生まれた。ただし、19世紀後半に至っても、アメリカの「ユニバーシティ」や「カレッジ」の内実は、同時代のヨーロッパとは比べものにならない貧弱なもので、知のコミュニティはいまだ存在していなかった。アメリカの大学(カレッジ)では「全人教育」の建前のもとで、24時間学生を監視・監督することが行われるのみだった。

 しかし、19世紀末葉、ハーバードやイエールなどの有力大学は、ヨーロッパ、とりわけドイツの近代大学の影響を受けて、大きな転回を図る。学部を中心とする旧体制には手をつけず、新たに大学院を設置し、ドイツ式の研究至上主義が取り入れられた。最も目覚しい効果を挙げたのは新設校のジョンズ・ホプキンス大学である。

 ただし、ドイツの研究至上主義が、自由なアイディアを持つ少数の才能によって行われる「学問」であるとすれば、アメリカのそれは、大量に養成されたB、Cクラスの職業的専門研究者による「サイエンス」であった。そして「学者」は「研究者」となり、不断に成果(論文や著作)を公表(出版)しては、その評価が大学でのポストに結びつく、というサイクルが確立される。

 このあと、話題は、上記のような「大学」および「研究者」のアメリカ・モデルの成立と、大学出版部のアメリカ・モデルの関連に及ぶのだが、今の私の直接の関心ではないので、ここで止めておく。しかし、ここまででも、ずいぶん興味深い話であると思う。多くの社会インフラが19世紀後半に成立した日本に比べると、ヨーロッパの歴史は長い。「若い国」と思われがちなアメリカでさえ、実は日本よりも、ずっと長い歴史の水脈を持っているということを再認識した。

 日本が社会システムを西洋に学んだとき、西洋はどの過程にあったのか、また、いくつかの選択肢の中でどの国をモデルにしたのか、というのも重要であると思う。日本の大学(東京大学)は、はじめはイギリス=フランス・モデルであった由。その後、ゼミナール形式の授業など、次第にドイツ式(ということは、アメリカ式なのか?)モデルに移行していったようである。しかし、幸か不幸か、「出版か消滅か(publish or perish)」的な成果主義が幅を利かせるようになったのは、もう少し最近のことではないかと思われる。
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