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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。
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2025年5月関西旅行:龍谷ミュージアム、京都文化博物館など

2025-06-04 22:37:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

龍谷ミュージアム 春季企画展『大谷探検隊 吉川小一郎-探究と忍耐 その人間像に迫る-』(2025年4月19日~6月22日)

 関西旅行初日に訪ねた展覧会をあと2つ。明治時代後期、大谷探検隊の隊員として中国や中央アジアに赴いた吉川小一郎(よしかわ こいちろう、1885-1978)の人間像に迫る。大谷探検隊が将来し、龍谷大学図書館に入った西域の文物や古文書、吉川家が所蔵する写真帖や現地から送られた書簡などが展示されていた。加えて、吉川が16歳で、同い年の大谷尊重(光明。光瑞の弟)の「相談役」になったというのが、ちょっと庶民には窺い知ることのできない世界で、興味深かった。

京都文化博物館 特別展『和食〜日本の自然、人々の知恵〜』(2025年4月26日~7月6日)

 科博での開催を見逃していたので、巡回先の京都で見ることにした。ほとんどがレプリカとパネルによる展示だが、よくできたレプリカが多くて楽しかった。特に貴人や庶民の食膳の再現は、この展覧会のために製作したのかと思ったら、「足利将軍御膳再現模型」は同館の所蔵、「卑弥呼の食卓」は大阪府立弥生文化博物館から、「織田信長が徳川家康をもてなした本膳料理の再現模型」は御食国若狭おばま食文化館から、「明治天皇の午餐会料理の再現模型」は明治記念館から、という具合に全国から集めてきたようだ。素晴らしい! これで初日観光を終え、奈良に移動して宿泊。

奈良国立博物館 開館130年記念特別展『超国宝-祈りのかがやき-』(2025年4月19日~6月15日)

 2日目の土曜日は、前期に続いて2回目の『超国宝展』へ。8:30頃に行ったら、ピロティの屋根の下を少し外れるくらいの位置に並ぶことになった。9:30より5分ほど早く開館。まだ人の少ないうちに会場に入ることができたが、いきなり百済観音が待っているので、釘付けになって動くことができない。「天に向かって立ち上がる永遠の灯(ともしび)」という謳い文句が、さりげなく壁に書きつけられているのがいいなあ。大きな体に不釣り合いに小さな台座。真正面から見ると棒のようなシルエットに見えるのだが、ちょっと横にまわると、両脇に垂れた天衣が躍動感を醸し出す。前期は見逃していた8K映像を見て、宝冠の正面と左右の3箇所に青い宝玉が嵌め込まれているのに気づいた。

 展示替えで後期から登場したのは『華厳五十五所絵巻』。ほぼ全開だったのではないかと思う。図録には一部しか収録されていなくて残念!善財童子が訪ねる善知識、前半は世俗の人々だが、後半は菩薩らしい姿が続き、最後は見かけが童子と同じくらいの相手に出会って終わるように見えた。あれは普賢菩薩なのかな。詳しく知りたい。

 「釈迦を思う」には京都・清凉寺の釈迦如来立像と、かつてこの像を西大寺のために模刻させた叡尊の坐像がいらしていた。清凉寺の釈迦如来は透かし彫りの光背はなんだか洒落ている。続いて「華麗なる仏の世界」と題しながら、後期も『地獄草紙』とか『餓鬼草紙』とか容赦ないなあと思う中に『釈迦金棺出現図』があって万歳!孔雀の羽根を広げたようなゴージャスな光背のお釈迦様が大好きなのである。前期は最後の部屋にいらした宝菩提院の菩薩半跏像が、場所を移して引き続き展示されていたのもよかった。

 後期は、最後の「白い展示室」に中宮寺の菩薩半跏像(伝如意輪観音)が入った。これには賛否があるようだ。たまたまネットで流れてきた、奈良博名誉館員の西山厚さんの感想は「否」のほうだった。確かに背景は真っ白なので、菩薩像の黒さが濃縮されて、一瞬、命のない炭化した塊みたいに見えるのだ。しかし、ゆっくりまわりを回っていると、だんだん生命を取り戻すように感じた。童子のように細く小さな体で、精いっぱい踏ん張って祈り続けている姿に、そっと手を合わせた。7

 自分のためのお土産は、石上神宮の七支刀モチーフの手ぬぐい。夏場、明かり取り窓の窓枠に貼って、カーテン代わりにする予定。

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2025年5月関西旅行:帰ってきた泉屋博古館(リニューアル)

2025-06-03 22:24:41 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館 リニューアル記念名品展I『帰ってきた泉屋博古館 いにしえの至宝たち』(2025年4月26日~6月8日)

 関西旅行初日。京博のあとは、見たかった展覧会を順番に訪ねた。まずは1年の改修工事を経て再開した同館へ。建物へのアプローチがちょっときれいになった感じがした。玄関を入ると、新しいチケット売り場のカウンターができ、グッズ売り場が広くなるなど、細やかな改修が施されている。しかし基本構造は変わっていないのかな、と思いながら、企画展示室のある2号館に向かったら「←(左向きの矢印)」が表示されていて戸惑った。今まで企画展示室の入口は右手の奥だったのだ。

 左手に進むと、遮光性の高い黒い扉が開いて、初めて見る空間が現れた。なるほど、以前の展示室の突き当りに(狭いながらも)新しい展示室を設けたわけだ。冒頭には能面の『白色尉』と能装束(?)の白い狩衣。あとでリストを見たら泉屋博古館東京の所蔵品だった。ほかに中国の金銅仏、唐代の舎利容器、高麗仏画の『水月観音像』、木彫毘沙門天立像などは、同館で何度も見たことのある名品中の名品で、まさにお帰りなさい!と言いたくなる。展示ケースの前にふかふかのソファが設置されていたのも嬉しかった。

 隣りの、以前の企画展示室には、おなじみの大好きな絵画が勢ぞろい。右手の壁際に掛かっていたのは、華嵒『鵬挙図』、沈銓『雪中遊兎図』、伊藤若冲『海棠目白図』、椿椿山『玉堂富貴・遊蝶・藻魚図』3幅対など。中国絵画も日本絵画もどれもよい。覗き込むタイプの平置きケースには、石濤(石涛)の『黄山図巻』と『黄山八勝画冊』が出ていた。後者は瀑布の前に佇む白衣の人物が描かれており、岩の青が目に沁みて美しかった。ん?『廬山観瀑図』は出てないのか?と思ったら、左手の壁際ケースに掛かっていた。もっと大きな作品のイメージだったのに、記憶より小さな画幅で気づかなかったのだ。黄色と青を混ぜたような、中間色の岩肌が美しい。ああこれ、李白の『望廬山瀑布』の風景を写しているのか、と解説を読んで初めて気づいた。

 八大山人(朱耷)の『安晩帖』は、監視員席のそばの単立展示ケースに入っていて「叭々鳥図」が開いていた。拡張されたミュージアムショップでは青銅器のぬいぐるみを売っていたけれど、このふわふわ叭々鳥のぬいぐるみを作ってくれないかな。アクスタでもいいけど。あとは、鼻煙壺や文房具・印材などのきれいな小品を集めて、民藝館みたいな見せ方で展示したケースも面白かった。

 時間がないと飛ばしてしまう、1号館の青銅器展示室も、今回はひとまわりしてみた。写真撮影しているお客さん多し。虎卣(こゆう)を撮影していたお兄さんがあまりに熱心なので、私は近づくのをあきらめてしまった(また次の機会があるだろうからいいやと思って)。

 なお1号館には、眺めのよいガラス張りの休憩室がオープン。もとからあった空間をリニューアルオープンしたものだという。「饕餮の間」というセンスがいいのか悪いのかよく分からない(笑)名前がついており、緑茶やジャスミン茶の無料サーバーをありがたく思った。

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2025年5月関西旅行:美のるつぼ(京都国立博物館)

2025-06-02 23:03:09 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 大阪・関西万博開催記念・特別展『日本、美のるつぼ-異文化交流の軌跡-』(2025年4月19日~6月15日)

 5月最後の金曜に年休を取って、2泊3日で関西で遊んできた。最大の目的はこの展覧会、「大阪・関西万博開催記念」の3企画のうち、最後に残していた展示である。10:30頃に京博に到着して、入場待ちの列がないことにほっとする。会場内は、まあまあ我慢できる程度の混み具合だった。最初の展示室に入ったとたん、名前を呼ばれて振り向いたら、三重県在住の友人だった。お互い仕事持ちなので「金曜に、なんでいるの」と笑い合ってしまった。

 展示は、開催中の大阪万博に敬意を表して(?)明治政府が当時、欧米各地で開催された万博に出品した美術品から始まる。この場合、やっぱり薩摩焼だよね。そして江之島を描いた蒔絵額。「世界に見られた日本美術」と題して北斎の『神奈川沖浪裏』『凱風快晴』『山下白雨』も紹介(久保惣記念美術館のコレクションから)。次いで「世界に見せたかった日本美術」と題して西洋的な方法論を基礎に生み出された日本美樹史を概観する。狩野元信『四季花鳥図』(大仙院)が眼福。宗達の『風神雷神図屏風』は、線がどこまでも生きている感じで、気持ちが上がる。

 これでプロローグが一段落して本来の内容に入るのだが、冒頭のパネルにいわく「明治政府は、国外に向けた日本らしさの強調に尽力しましたが、実際に日本に遺された品々の多くは異文化の要素を豊かに示し、海外との活発な交流を物語ります」。まさにこの一文が、本展のテーマを端的に表している。以下、考古文物あり、磁器や漆器あり、書画あり、仏像ありだが、「模倣と改造は、この列島に住む人々の十八番(おはこ)」に何度もうなずいてしまった。

 「模倣と改造」の指摘は非常に細やかで、たとえば『宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱』(平安時代、仁和寺)に描かれた28人の迦陵頻伽の姿がすべて異なり、顔立ちが和風である(確かに丸顔で鼻が低い)とか、『山水図屏風』(後期展示は江戸期模本)は中国の故事を描いてるが、中国画の厳しさはあまりなく、柔らかく穏やかな表現は国風文化の真面目であるなど。

 滋賀・常念寺の『釈迦八相図』(初見かも)には「初歩的ながら同時代の中国画を学んだ痕跡がうかがえる」とあり、大阪・天野山金剛寺の『野辺雀蒔絵手箱』のスズメがあまりにも写実的なのは「日宋貿易がもたらした中国絵画のモチーフを借りたものと考えられている」そうだ。京都・隣華院所蔵の『渡唐天神像』は日本からの注文により中国・寧波で制作されたもの。天神がかなり中国文人寄りの風貌をしていておもしろい。

 交流は東アジアに留まらない。輸出用の蒔絵(南蛮漆器)を、久しぶりにたくさん見ることができたのは嬉しかった。三位一体の教義を表す油絵を収めた『花鳥蒔絵螺鈿聖龕』は、メキシコによく似た図像が伝わることからメキシコ製と推定されているとのこと。蒔絵のIHSマークが輝く『IHS紋花入籠目文蒔絵螺鈿書見台』は、何度か見たことがあると思うが、一枚板から蝶番を彫り出す技法は、イスラム圏でコーランの見台を目にした人々ならではの注文だという。タイの鮫皮を用いた洋櫃、ポルトガル人に学んだねじを切る技術を応用した徳利など、説明を読みながら、何度も「へえ~」が口から洩れてしまった。あと、美術品の中に混じって、京都市内に残る日本人キリシタンの墓碑(小さい)が2点展示されていたのに、私は衝撃を受けてしまった。

 インドネシアの刀剣『クリス』が石清水八幡宮に伝わっていることや、滋賀県甲・藤栄神社の『レイピア写し剣』(スペインの刀剣を写した日本製?)にも驚いた。実に珍しいものの多い展覧会だった!

 唯一撮影可だったのは、萬福寺の羅怙羅尊者像。以前、九博の范道生展でも写真を撮ったことがあるが、今回も記念に。韋駄天像も出ていたし、本展、萬福寺の扱いがわりと大きかったように思う。

 最後の展示室には、ボストン美術館所蔵の『吉備大臣入唐絵巻』巻四(囲碁対決)。解説には、1932年、ボストンでこの作品の公開に立ち会った矢代幸雄が「美術のもつ普遍的な魅力に感嘆しつつも、それだけになお一層、その力が政治的なプロパガンダに利用されることに警鐘を鳴らし」たことが記されている。矢代の反応の後半を省略しないとことが大変よろしい。

 また中国・深圳望野博物館所蔵『李訓墓誌』の写真があわせて展示されていた。「日本國朝臣備書」つまり、この墓誌の文字を書いたのは吉備真備だという(作文は別人)。私はむかしから、虚実とりまぜて吉備真備が好きなので、ありがたくて拝むような気持で眺めた。

考古学における画期的発見、吉備真備直筆の書が北京で公開(CRIオンライン2029/12/25)氣賀澤保規先生によると、真備の書は「褚遂良の書法を色濃く受け継いでいる」そうだ。

 図録はもちろん購入した。2泊3日旅行の最初の訪問先だったので、重いと嫌だな…と思ったのだが、軽量でありがたかった。充実した解説に加えて「みんなエキゾチック・インドのとりこ」「おくさまはヒョウ」「南蛮船は宝船」など、くすっと笑えるキャプションが採録されているのもうれしい。

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東京建築祭2025:慶応大学、旧近衛師団司令部庁舎、他

2025-05-28 22:40:20 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京建築祭2025(2025年5月24日~25日)

 そういえば、昨年、初めて東京建築祭に参加したのは今頃だったなと思い出して検索してみたら、今年も開催されることが分かって大喜びした。今年は5月17~18日の週末から特別公開が始まっていたが、17日は大雨だったこともあって、私は先週末の土日で、見たいところを見てきた。

 24日(土)は慶応大学へ。図書館旧館と三田演説館が公開されていた。

 ぼんやりした気持ちで見学に来たのだが、階段踊り場のステンドグラスを見て、あ、ここには来たことがある、というのを思い出した。斯道文庫の展示会を見に来たのである。ブログ内で検索したら、2010年のことだった。

 たぶん、かつて展示会場だったスペースには「福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館」の常設展示が入っていた。福沢先生に関する展示がとても面白かったので、いずれ感想を書きたい。なお、斯道文庫は相変わらず、この建物の4階に入っているらしい。

 この図書館旧館は、正面玄関を挟んで左右がアンシンメトリーなのが面白い。向かって右側の八角塔には「カフェ八角塔」という喫茶店が入っていて、一般利用もできるらしい。次回はぜひ入ってみよう!

 三田演説館は、福沢諭吉が建てた日本で最初の演説会堂。明治の言論といえば演説である。演台の背後には福沢先生の肖像画があり、演台の正面には「日本演説ノ由来」という文章が額に入れて掛かっていた。

 これは後世のものだと思うが、慶応の校章がかわいい場内の椅子。

 25日(日)は、竹橋にある旧近衛師団司令部庁舎を初めて見に行った。2日続けて赤レンガ建築を訪ねたのは、私の好み。10:30頃、到着したら、すでに1時間待ちの長い列。しかしスタッフベストをつけたお兄さん(関西から来たとおっしゃっていた)が、待ち列に向かって、建築の見どころを説明してくれたり、質問に答えたりしてくれたので、飽きなかった。ゴシック、ロマネスク、ルネサンスなど、さまざまな様式が混じっていること、赤レンガはオランダとイギリスに多いが、このレンガはイギリス積み、白っぽい石は花崗岩、関東近辺の産地だと茨城県の稲田が有名など。

 外観はふだんでも見られるのだが、今回は正面玄関ホールとその2階部分に入ることができた。なかなか瀟洒で貴族的な雰囲気。

 外壁下部の石積みの窓(通気口?)には五芒星が埋め込まれている。それは陸軍ですからね~とお兄さんがおっしゃっていた。

 この旧近衛師団司令部庁舎のそばに、軍服の騎馬人物の銅像があった。鬱蒼とした木立に隠れるように立っていたが、案内板を見たら、北白川宮の銅像だった。近衛師団を率いて台湾に出征した人物である。なるほど。

 続いて、共立講堂へ。共立女子大学の講堂だと思っていたら、外部に貸出もされていて、70年代には多くの著名ミュージシャンのコンサートが行われていたと知ってびっくりした。確かに立地もいいし、音響もよさそう。

 このほか、神田ポートビル(地下にサウナを有する文化複合ビル)、日建設計東京オフィス、泰明小学校も訪ねてみた。来年は、また違うところに行ってみたい。お天気にめぐまれるといいな。

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唯一無二の茶碗/黒の奇跡・曜変天目の秘密(静嘉堂文庫)

2025-05-22 22:29:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『黒の奇跡・曜変天目の秘密』(2025年4月5日~6月22日)

 工芸の黒い色彩をテーマとして、刀剣や鉄鐔など「黒鉄」とよばれる鉄の工芸品や「漆黒」の漆芸品を紹介するととも、中国と日本の黒いやきものの歴史をたどり、東洋陶磁の至宝、曜変天目が秘めるさまざまな謎と秘密にせまる。

 はじめに「天目のいろいろ」から。天目茶碗は、中国の天目山(浙江省)一帯の寺院において用いられた天目山産の茶道具で、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗のこと(Wiki)。例外もあるが、基本的には黒っぽい。 展示室の壁には、室町時代の『君台観左右帳記』による評価の文言が引用されていた。「天目」は「常のごとし」で、ほとんど評価の対象になっていない。続けて「灰被(はいかつぎ)を上とする也。上には御用なき物にて候間、不及代候也」(身分の高い人は用いない、価格を付けるまでもない?)ともいう。しかし、展示されていた灰被天目3件は、私にはどれも魅力的に見えた。いずれも福建省の茶洋窯(元~明時代)で小ぶりな作り。1件目は、仙台伊達家伝来で、側面に地層のような横縞がうっすら見られる。その隣りの『銘・埋火』は、縦にひっかいたような模様が、キラキラと彩雲のように浮かぶ。

 ウミガメの甲羅のような模様の玳玻天目は鼈盞(べっさん)とも呼ばれ、「天目の上、千疋」という。福建省の建窯で焼かれた建盞は「三千疋」。油滴天目は「五千疋」。そして「曜変は建盞の内の無上也、万疋の物也」。なるほどなあ。実は、1疋がどの程度の貨幣価値なのか、よく分かっていないのだが。カテゴリーごとのランク感はよく分かった。

 続いて、黒い工芸と黒のやきものさまざま。古代中国(戦国時代)の黒陶あり、黒釉の三彩馬あり、螺鈿、堆黒、蒔絵印籠など。刀剣とその拵えもあって、直江兼続の愛刀や黒田清隆旧蔵の刀も出ていた。磁州窯系の『黒釉線彫蓮唐草文梅瓶』は真っ黒け。ボールのように膨らんだボディに小さな口が載っている。酒瓶かな? 磁州窯は白と黒のやきもののイメージだが、白土の塗り忘れか搔き落とし忘れのように思われた。仁清の『色絵吉野山図茶壺』も大好き。解説に「夜桜」とあったけれど、漆黒の背景は、別に実景と捉えなくてもいいんじゃないだろうか。

 最後の展示室は、今回は『曜変天目』のみ。まわりが暗いせいか、茶碗の中がはっきり見えて美しかった。最後に中央のホワイエに出ると、曜変天目について充実した解説パネル(バナーかな?)を読むことができる。中国には「窯変」という言葉はあるが、「曜変」は日本で作られた言葉らしい。「窯変」は、陶磁器を焼く際に予期しない変化が出現することで、禍々しい印象があり、中国の陶工たちはこれを恐れたという(そういえば、橋本治さんの小説は『窯変源氏物語』だった)。曜変天目の条件を厳密に満たし、完存するのは3件のみであること、中国杭州では曜変天目の陶片が発見されていることなどは周知のとおり。鮮やかな青色がどのようにできるかは、化学物質の名前が並ぶ説明が書かれていた。

 中国では、元時代以降、粉末の茶に湯を注ぐ点茶法が廃れると、天目茶碗も次第に用いられなくなった。さらに明・洪武帝(朱元璋)が1391年に固形茶の製造を禁じた(団茶禁止令)ことが茶文化に決定的な影響を与え(え~初めて知った!)、以後は泡茶(湯の中に茶葉をひたす)や煎茶(急須で茶葉を煎じる)が主流になった。明・永楽帝は足利義政に天目茶碗を贈っているが、アンティークとしての位置づけだったのではないかという。おもしろい。でも曜変天目でお茶を飲みたいかといわれると、私はあまり気持ちが動かない。むしろ灰被天目でいただきたいかな。

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武士のイメージ/国宝の名刀と甲冑・武者絵(三井記念美術館)

2025-05-21 22:47:33 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 『国宝の名刀と甲冑・武者絵、特集展示 三井家の五月人形』(2025年4月12日~6月15日)

 国宝の短刀2点『名物 日向正宗』と『名物 徳善院貞宗』をはじめ、重要文化財7点を含む刀剣、および蒔絵の拵などを一挙に公開する。と聞いても、私はあまり刀剣に興味がないので、今回の展覧会は行かなくてもいいかな、くらいに考えていた。しかし武者絵やら五月人形やら、いろいろまとめて出ているらしいと分かったので、見に行った。

 展示室1~2は刀剣と刀装具。5振出ていた刀剣は、すべて短刀だった。国宝の短刀『日向正宗』は、飾りもなく反りもなく、金属そのものを投げ出したような造りで、かえってその無機質な美しさに引き付けられた。スケート靴のブレードを連想した。

 象彦製『宇治川先陣蒔絵硯箱』(深い)と『宇治川先陣蒔絵両紙箱』(やや浅い)は一組の作品(明治時代)。三井家の先祖は佐々木氏であることからこの図像が好まれたという。硯箱には、漆黒の背景に、くさむらのような波を掻き分け、人馬一体となって進む佐々木高綱の孤独な姿を描く。料紙箱には、浅瀬にたたずむ黒馬、赤い弓を横たえて前方を眺める梶原景季。勝者と敗者なのだが、どちらもカッコいい。

 展示室3(如庵茶室)は、武家好みの簡素な道具の取り合わせだった。床の間の掛け物が『八幡太郎義家像』(三井高就筆)というのも珍しかった。佐々木氏の先祖は源氏だものな。展示室4は、名刀(太刀多し)、甲冑に加えて、狩野派の『八幡太郎義家図』や象彦製『八幡太郎義家蒔絵額』が出ていた。そして亀岡規礼筆『酒呑童子絵巻』(江戸時代、19世紀、北三井家旧蔵)。解説によれば、根津美術館本(伝・狩野山楽筆)の図像に近いということだった。この翌日にサントリー美術館の『酒呑童子ビギンズ』展を見に行ったので、同時期に展示してくれてありがとうございます。

 展示室5には『十二類合戦絵巻』3巻(江戸時代、19世紀)が、けっこう広く開いていた。よく見る作品だが、こんな物語だったかとあらためて確認した。最後は首謀者のタヌキが出家して、山里に庵を結ぶのだな。お供のタヌキもいて、大原の建礼門院みたいだった。

 そして展示室5~7に並んでいたのは、五月人形、五月飾りの数々。『木彫能人形』は6躯セット。頭巾を被った舞人と肩衣・袴の囃子方5人から成る。これは欲しい! ミニチュアの五月飾(2セット、江戸時代、19世紀)は、大名行列を構成するらしく、纏、馬印、挟箱などに加えて、大筒、火縄銃、ゲベール銃(!)まであって驚いた。ひな人形に付随するさまざまなミニチュア道具は見たことがあるが、五月飾りにもあるのだな。

 三井家の雛人形は、ひな祭りの季節に「三井家のおひなさま」として展示するのが恒例になっているが、「三井家の五月人形を展示する機会は今までほとんどありませんでした」とのこと。確かにほかの美術館・博物館でも、これだけ多数の五月人形の展示は記憶にない。まだいろいろ調査中らしく、不備な点はご容赦くださいという趣旨の弁明が添えられていて、奥ゆかしく感じた。三井家では伝統的に、漢字1字か2字で個人を表す符丁「御印(おしるし)」が使われており、今回は御印(所蔵者)ごとに五月人形・五月飾りが展示されていた。いずれも明治~昭和の作と見られる。

 いま五月人形というと、ほとんどが兜飾りではないかと思う。しかし、この頃は、甲冑の揃った具足飾りだったり、華やかな飾り馬がいたり、為朝武者人形、神功皇后と武内宿祢、八幡太郎義家、矢の根五郎、楠正成など、バラエティがあって楽しい。赤と黒のおしゃれな制服の軍楽隊人形(明治時代)もあってびっくりした。調べたら、実際に明治期の陸軍軍楽隊は、この配色の制服だったようである。

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絵巻と能の異類退治物語/酒呑童子ビギンズ(サントリー美術館)

2025-05-18 23:51:18 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 『酒呑童子ビギンズ』(2025年4月29日~6月15日)

 週末に見に行った展覧会、順番が前後するが、こちらから紹介する。実は前日、三井記念美術館の『国宝の名刀と甲冑・武者絵』を見に行ったら、同館所蔵の『酒呑童子絵巻』(根津美術館本に近いとの説明あり)が出ていて、あ、早くサントリーに行かなくちゃと思い立ったのである。 

 本展は、2020年に解体修理を終えた『酒呑童子絵巻』(狩野元信筆、サントリー本、伊吹山系最古の絵巻)を大公開し(図録解説によれば「当館史上最大限に広げて展示」だそうだ)、酒呑童子にまつわる二つの《はじまり》を紹介する。すなわち、このサントリー本が《図様のはじまり》となり、江戸時代を通して何百という模本や類本が作られたこと。さらにサントリー本とほぼ同じ内容を含みながら、酒呑童子の生い立ち、すなわち《鬼のはじまり》を大胆に描き加える絵巻が、近年相次いで発見されていることである。

 サントリー本は、大永2年(1522)に北条氏綱の依頼によって制作が始まっており、上巻は狩野元信自身が手掛け、中下巻は有力な弟子が手掛けたとされる。画風の違いはよく分からなかったが、詞書の書風はずいぶん違うなと思った。上巻は源頼光一行が鬼の住処に向かう途中、山中で不思議な三人(実は八幡、住吉、熊野の三神)に出会う段で、まだ奇ッ怪な姿の鬼たちは出現せず、血なまぐさい描写もない。「青緑山水」の色の美しさが印象に残る。

 頼光に従うのは、いわゆる四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部末武)と一人武者・藤原保昌。冒頭にパネルがあって、着物の色と模様による見分け方が示されていたのはありがたかった。6人は基本的に山伏姿なのだが、三神のうち、熊野神も山伏姿なので、ちょっと混乱する。

 中巻で鬼の住処に到着。酒呑童子に対面する。その容貌は、図録図版の詞書を読み解くと「高さ一丈計(3メートル)」「髪はかふろ(禿)」「白く肥ふとり」「年は四十計」かな? このサントリー本の酒呑童子は、他本に比べて異質な異形性が感じられる。伸びた角刈りみたいな髪型で「容貌美麗」には思えないけれど、眼光は鋭い。派手な赤い衣に赤い袴。二人の角髪の童子の肩を借りて登場し、その後も、だいたいだらしなく巨体を横たえている。鬼の眷属が、歌と舞で親光たちの運命を揶揄すると、公時も歌と舞でお返しをする。雅な応酬で面白い。

 下巻。夜になり、眷属たちを毒酒で撃退した親光らは、いよいよ酒呑童子の寝所に踏み込もうとするが、鉄の扉を開けることができない。そこに三神が現れ、頼光らを助ける。八幡神と熊野神が鉄の扉を押し開ける場面、人体(神なんだけど)の描写がとても巧み。酒呑童子の首が切り落とされ、頼光の兜に噛みつく場面、その重さに耐えかねて膝をつく頼光のポーズも、驚いて逃げ惑う女性たちも、リアルで無駄がなくて巧いと思う。

 興味深かったのは、絵巻と能のかかわり。室町時代に「酒天童子」の上演記録があり(現在の曲名は「大江山」)江戸初期の上演記録からは、酒呑童子が二人の子方を伴って登場したり、鬼の面に赤頭(あかがしら)を綴じ付けて、首級に見立てて掲げたり、絵巻に類似する演出が行われていたことが分かる。会場では観世流「大江山」(特殊演出、ダイジェスト版)の映像も流されていて、全編を見てみたくなった。逆にサントリー本では草花図だった酒呑童子の寝所の襖障子が、後世の伝本では、能の詞章の影響を受けて荒海図になったというのも面白かった。

 後半では、酒呑童子の出生と成長の物語を大胆に書き加えた絵巻を「酒呑童子絵巻 エピソード・ゼロ」として紹介。ライプツィヒ・グラッシー民族博物館本は、これまで日本ではほとんど知られていなかったものだという。同様に出生譚の部分を持つのは、大阪青山歴史文学博物館本と根津美術館本。いずれも住吉派による。私は、2019年に根津美術館の『酒呑童子絵巻』展で、この出生譚を初めて知った。酒呑童子は、伊吹大明神(正体はスサノオ)が人間の娘に産ませた子供なのだが、いろいろ可哀そうな生い立ちで、ぐれて鬼にもなるよな、と思った。宣長の『古事記伝』が版本として刊行されたのは寛政年間で、その頃から日本神話の知識が広まったと考えられている。

 あと、ライプツィヒ・グラッシー本は、徳川家治の養女・種姫が紀州徳川家に輿入れしたときの嫁入り道具だったという。おお、まさに今年の大河ドラマの時代である。しかし、こんな血なまぐさい物語絵が婚礼道具として一般的だったというのも興味深く思った。

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2025年4-5月展覧会拾遺(2)

2025-05-16 22:51:19 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『桜 さくら SAKURA 2025-美術館でお花見!-』(2025年3月8日~5月11日)

 毎年楽しんでいる「桜」展。今年は会期ギリギリの5月の連休中に訪ねた。冒頭には松岡映丘の『春光春衣』。川合玉堂、小野竹喬、山本丘人など、比較的写実的な春の風景画が続き、それから名所の桜や詩歌・物語の桜が登場する。今年も土牛の『醍醐』『吉野』を見ることができてうれしい。誰の作品の解説だったか、『枕草子』は「絵に描き劣りするもの」に「桜」を挙げていることが紹介されていた。ふうむ、分からないでもない。

太田記念美術館 没後80年『小原古邨-鳥たちの楽園』(2025年4月3日~5月25日)

 鳥や花、獣たちを、江戸時代から受け継がれた伝統的な浮世絵版画の技法によって描いた小原古邨(1877-1945)は、明治末から昭和前期に活躍し、しばらくその存在が忘れられていたが、近年、注目が集まっているという。私は、2019年に同館が開催した小原古邨展は見逃したので、今回初めて、まとめて作品を見た。博物画的な正確さと、人間くさい愛らしさの配分が絶妙で、鳥好きにはたまらないだろうと思った。そしてずっと水彩画のつもりで見ていて、途中で、いや、これは版画なんだと気づいたときは、その超絶技巧に驚嘆した。あと、ほとんどが「個人蔵」であることにも驚いた。

 少数だが、古邨の先駆けとなる江戸・明治の花鳥画も紹介されており、鳥山石燕『鳥山彦』の孔雀図が印象的だった。この人、妖怪画だけの絵師じゃないんだ、ということを初めて知った。

永青文庫 初夏展『くまもとの絶景-知られざる日本最長画巻「領内名勝図巻」-』(2025年4月26日~6月22日)

 『領内名勝図巻』(りょうないめいしょうずかん、熊本県指定重要文化財)は、8代藩主・細川斉茲が、熊本藩のお抱え絵師・矢野良勝と衛藤良行に、熊本領内の滝や名所、川沿いの風景などの絶景を描かせた写生図巻の先駆的作例。本展では、現存14巻のうちから選りすぐりの7巻を展示する。私がこの作品を知ったのは、2010年に東博で開催された特別展『細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-』だが、その後、永青文庫で現物が展示されるのは、今回は初めてではないかと思う。

 展示の7巻は、それぞれ特色があって面白かった。『益城郡矢部手永之内』には多くの滝が描かれており、公開の「千滝」「五老ヶ滝」は、どちらも日本の風景とは思えない迫力の絶景。膨大な水量が絶え間なく流れ落ちる様子を、白い胡粉の塊の連なりで表現する。これは写真が切り取るのと全く同じ光景である。滝壺や深い淵の水は群青色をしており、岩肌は雪舟を思い出す。『芦北郡田浦佐敷湯浦手永之内』の「牧山」は、山上にひろびろと広がる草原で、豆粒のような牛や馬が遊んでいる。

 この図巻の制作を命じた細川斉茲の絵画も出ており、ふかふかの白ネコを描いた『猫図』は、画面への収め方(全身が収まり切れていない)が面白かった。『融姫像』は写実的で、対象への迫り方がクロッキーのようだった。斉茲の文化的ネットワークには、司馬江漢や谷文晃も登場する。黒漆塗りの地球儀は、鉄枠に「文化庚午秋八月、江漢司馬峻製」の文字が彫り込まれていた。

府中市美術館 春の江戸絵画まつり『司馬江漢と亜欧堂田善:かっこいい油絵』(2025年3月15日~5月11日)

 前期に続いて後期にも再訪。後期の見どころのひとつは、江漢の銅版画『天球図』『天球全図』だろう。てっきり静嘉堂文庫から借りたのだろうと思ったら、所蔵者が「京都大学附属図書館」になっていて驚いた。京大、さすがだ。『学術論争図屏風』(帰空庵コレクション)は、あまり見た記憶のない作品で、面白かった。ほんとに学術論争なのかどうか分からないが、緊迫した様子の西洋人の男性たちが面白い。図録の裏表紙にもなっている『寒柳水禽図』は、アオサギ、トキ、カワセミをまとめて描いたもの。公式ツイッター(X)のつぶやきによれば、長らくアメリカの大コレクターに愛蔵された後、近年日本に戻ってきた作品だという。

 田善は、江漢に学んだような七里ヶ浜図を何枚も描いているのだが、海の色が、太平洋と思えないような深い青で美しい(北国の海みたい)。『油彩山水図』(帰空庵コレクション)もよかった。洋風画、もっと見たい。

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2025年4-5月展覧会拾遺(1)

2025-05-15 22:12:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 相国寺承天閣美術館開館40周年記念『相国寺展-金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史』(2025年3月29日~5月25日)

 確か4月29日に訪問したのだが、めちゃくちゃ混んでいた。私は年に数回京都に行くと、ほぼ必ず承天閣美術館に寄っているので、旧知の作品が多かったのだが、ふつうの東京人には珍しいのかもしれない。鹿苑寺大書院の障壁画は『葡萄小禽図』『松鶴図』『双鶴図』9面が出ており、人の動線に従って大書院の全貌を見せる大画面の動画がとても興味深かった。若冲は『竹虎図』『厖児戯帚図』なども。応挙は『七難七福図巻』(そんなに酷くない場面)『大瀑布』など。伝・宗達『蔦の細道図屏風』は久しぶりに見た。あとは『永楽帝勅書』があったり、『異国通船朱印状』(西笑承兌筆)があったり、外交現場における相国寺僧侶の活躍がうかがえたのも興味深かった。

日本民藝館 特別展『民藝 無作為の美-深澤直人が心を打たれたものたち』(2025年3月30日~6月1日)

 深澤直人館長(2012年就任)が、館蔵コレクションの中から自身が感動し刺激を受けた生活道具を選び、民藝美の魅力に光を当てる。同館の館長は、柳宗悦→濱田庄司→柳宗理→小林陽太郎を経て、5代目なのだな。知らなかった。玄関ホール、大階段の左側の展示ケースには黒っぽい石彫の硯やうつわ、右側には白磁など白っぽい道具が並んでいて面白かった。視線を右上方に移すと、波間に浮かぶ城の図。『備中高松城水攻図』の絵幟だった。

 大展示室は、正面に「大」の字を白地に黒で染めた大きな暖簾(5つ割れ)。明治時代、京都で使われたものだというが、何のお店だろう? 茶色い革製の羽織が6点出ていたのは珍しかった。ふくらんだクッションのような緑釉の容器には「舟徳利」という札が付いていた。揺れる舟の上でもひっくり返らないように安定感を追求した形らしい。全体に、いかにも「民藝らしい」品が多くて、初心に帰る楽しさがあった。

渋谷区松濤美術館 『妃たちのオーダーメイド セーヴル フランス宮廷の磁器 マダム・ポンパドゥール、マリー=アントワネット、マリー=ルイーズの愛した名窯』(2025年4月5日~6月8日)

 西洋諸窯のなかの最高峰と称されるセーヴル磁器の魅力を紹介する。その始まりは、デュポア兄弟がヴァンセンヌ城に構えた窯で、ルイ15世や公妾ポンパドゥール夫人などの出資を受け、セーヴルの町に移って王立窯となり、その後もフランス王室と帝室、共和国に引き継がれた。陶磁器そのものの愛らしさ、青や緑など中間色の美しさもさることながら、「マリー・アントワネットが好んだ」「デュバリー夫人のためにつくられた」(ベルばら!)「ナポレオンがジョゼフィーヌに贈った」など、目の前でフランス近代の波乱万丈が展開するような感覚を味わった。そして、展示品のほとんどが「個人蔵」であることにも驚いた。

五島美術館 館蔵『春の優品展 THE BEST』(2025年4月8日~5月6日)

 1960年の春に開館した同館の65周年を記念して、5000件を超える収蔵品から、絵画・墨跡・陶磁器・工芸・考古など、さまざまなジャンルより選りすぐりの作品を展観する。冒頭に茶室「松寿庵」の床の間模型があって、青磁筍花生と古染付辻堂香合が飾られていた。しかし、そのあとが、いきなり古経と墨蹟なのは、地味すぎて大丈夫なのか?と思った。突き当りの壁には、尾形乾山『四季花鳥図屏風』、左端の饅頭みたいなサギが可愛い。屏風の前には、井戸茶碗とその類品が6件並んでいた。後半は『沙門地獄草紙断簡(火象地獄図)』や『前九年合戦絵巻断簡(帰順願図)』など、和漢の絵画の名品が続く。

 中央列の展示ケースには「大東急記念文庫蔵『蔦屋重三郎』関連書籍」のコーナーが作られていた。大河ドラマ人気を当て込んで、と思ってしまうところだが、近年、同館は江戸の草双紙など「大衆読み物」の紹介に力を入れているのである。山東京伝の『箱入娘面屋人魚(はこいりむすめ めんや にんぎょう)』の挿絵は何度見ても笑える。展示室2は、この時期恒例の『源氏物語絵巻』原本展示だったが、混んでいたので、人だかりの後ろからチラ見に留めた。

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大河ドラマともに楽しむ/蔦屋重三郎(東博)

2025-05-11 23:57:22 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展『蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児』(2025年4月22日~6月15日)

 2025年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK)との連携展。江戸時代の傑出した出版業者である蔦重こと蔦屋重三郎(1750-1797)の活動をつぶさにみつめながら、天明、寛政(1781-1801)期を中心に江戸の多彩な文化を紹介する。私はこの大河ドラマ連携展が好きで、ドラマ自体が気に入らないときでも、展覧会だけは見に行ってしまう。今年はドラマそのものが面白いので、展覧会もたっぷり楽しめた。

 会場へは、ドラマの撮影で使われた吉原の大門を潜って入る。すると(夜の吉原のように)薄暗い第1展示室の中央には、毎年、開花時期にあわせて人工的にしつらえられたという桜の植え込み。2024年の藝大『大吉原展』の会場のつくりとよく似ていた。展示は、大河ドラマのストーリーをなぞるように進む。まず蔦重が生まれ育った吉原と遊女たちを描いた華やかな絵画作品、歌川豊春『四季遊里風俗図』4幅は、細長い画面の使い方が斬新。品川・深川・吉原が「三遊里」と目されていたのだな。同じく豊春『新吉原春景図屏風』は、遊女たちよりも、粋人を気取った男たちの着こなしに目が行ってしまう。

 ついで平賀源内との出会い。『細見嗚呼御江戸』に『物類品隲』にエレキテル!(郵政博物館所蔵)。ホンモノのエレキテルが見たくて(~5/18展示)早々に出かけたのである。さらに各種の吉原再見、『一目千本』『雛形若菜』、富本正本・往来物と続くので、わ~ドラマのとおりだ~とテンションが上がった。そして蔦重は、朋誠堂喜三二、太田南畝、山東京伝らと交流し、自ら狂歌を詠んだり、戯作の筆を執ったりする。短い人生の晩年には、曲亭馬琴や十返舎一九も起用している。という感じで、前半は「書籍」の出版に重点を置く。展示物は小型の版本が多く、1点ずつ紙製(アーカイバルボード)の展示台に載せられているのが、あまり博物館では見ない風景で面白かった。

 後半はお楽しみの浮世絵。私は、これまであまり浮世絵(美人画)に関心を持ってこなかったので、完全に初心者モードで驚き、楽しんだ。なるほど歌麿の美人大首絵、確かにいいわ。そして写楽の独創性。最後に日本橋の耕書堂の店先や日本橋の風景を楽しめるのもよい付録だった。図録にも、たぶんドラマで撮影された天明寛政期の江戸の街風景の写真が収録されており、日本橋風景の端に唐がらし売りのおじさんが見切れてる(わざと?)のが嬉しかった。

 会場内では、中学生か高校生の男子が「これ、蔦重がつくった本だよ!」とうれしそうにお母さんに説明していたり、おばさまグループが「源内先生が」とふつうに平賀源内を先生呼びしていて、大河ドラマの影響力をしみじみ感じてしまった。私は、むかしむかしの学生時代に文学史で蔦重の名前を覚え、2010年にサントリー美術館で開催された展覧会『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎』も見たはずだが、あまり私の関心にマッチしなかったので、このブログに感想も残していない。それが、やはりドラマが頭の隅にあると、絵師も作家も本屋(版元)の主人たちも、生身の存在に感じられて、親しみが湧く。ありがたいことだと思う。

展覧会会場に設置された日本橋・耕書堂のセット。

ドラマで使われたエレキテル。木箱の中に大きなガラス瓶が入っているのね。

 展覧会を見た帰り、思い出して寄ってみたのは、我が家から徒歩圏にある「平賀源内電気実験の地」の碑(江東区清澄1-2-1)。隅田川の河岸にかなり近い。源内先生、この頃は深川清澄町にお住まいだったのね。富岡八幡宮のあたりも、時には散歩していらしただろうか。

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