もう50年以上にわたって飽きもせず、懲りもせず「ああでもない、こうでもない」と取り組んでいる「音楽&オーディオ」だが、これまで授業料を相当払ったつもりなのでその分だけ初めのころより進歩しているとは思っているが、いったいどの辺の「到達レベル」にあるんだろうかと考えることがままある。
で、先人たちがご丁寧にも「すべてにわたって何か物事を習得していく上でのレベル」を細かく区分してくれているのでこれを当てはめてみよう。
その誰が書いたとも分からぬ著作の一部分をメモって保管していたのがこれ。
蔵 → 書物や前例を基にして覚えているレベル
修 → 修練して己の血となり肉となっているレベル
息 → 学んだことがまるで息をしているように自然と身についているレベル
遊 → 学んだ内容にとらわれずゆったりと遊べる境地
最初の「蔵」の段階から順にレベルが向上していき、最終的に「遊」が究極のレベルとして位置づけられている。
先年の参議院予算特別委員会で首相が答弁の中で「学問は”遊び”だと思ってます」と言ってたが、ちょっとニュアンスは違うが「遊」に言及していたのは面白い。
また、ずっと以前にプロ野球の実況中継を見ていたら解説者の星野仙一氏(故人)が「このバッターはピッチャーから遊ばれてますね~」と言ってたが、ある程度通じているかもしれない。
で、これらの「蔵」「修」「息」「遊」だが「音楽&オーディオ」に当てはめてみるとどうなんだろう。
ちなみに「音楽&オーディオ」は端的に言えば「違いを理解し、それを楽しむ」趣味だと理解している。
たとえば非常に細かな「演奏の違い」「音質の違い」に気が付かないと始まらないので、かなり繊細な神経の持ち主じゃないと無理でしょう、この趣味を楽しむのは~。自分でいうのも何ですけどね(笑)。
そこで、自分なりに当てはめてみると、
蔵 → ブランドを盲信したり、他人の評価やオーディオ誌の記事を鵜呑みにする段階
修 → 自立したポリシーのもとに市販品を気に入るように改良したり自作する段階
息 → オーディオを意識させない自然な音質で音楽に没頭する境地
遊 → いかなる音楽、いかなる音質といえどもいっこうに構わない。脳の中でイメージを創造して聴くので単なる"きっかけ”を与えてくれさえすればそれでいい
で、肝心の我が家の「オーディオのレベル」だが、欲目かもしれないが「修」と「息」の中間ぐらいかなあ(笑)。
読者におかれましても、もし独自の尺度がありましたらどうかご教示くださいな。